46.亀裂
「やめろ隆世!!」
殿の声がして立ち止まった。
重輔さんが若山城へ攻めたという知らせの後、若山城を守っていた長房さんたちが自害したという知らせが飛び込んできた。
それは明確な同士討ちで、やっとまとまりつつあった家臣の心に戸惑いと不安が広がった。
見つからないように声のした部屋を覗くと殿と内藤さんがそれぞれ神妙な面持ちで向き合っている。
「何を言っているのか分かっているのか?」
珍しく声を荒らげる殿の様子に息を飲んだ。
対面する内藤さんも見たことないくらい思いつめた顔をしている。
「ええ、分かっております」
「敵討ちなど馬鹿げたことを考えるなどお前らしくないだろう」
敵討ち。
その言葉にハッとした。
そういえば内藤さんのお姉さんは陶さんの奥さん、つまり今回亡くなった長房さんは内藤さんの甥にあたるんだ。
つまり内藤さんは甥を殺した重輔さんを攻めようとしているってこと?
「このような時期に私怨を優先させた重輔を許すことなどできません」
「それは分かるが、いまお前まで動けば取り返しのつかないことになるだろう!!」
殿の言葉に内藤さんが目を閉じた。
重々しい空気に漂い私は息が詰まる。
そして内藤さんが目を開けた時、彼の眼には揺るがない決意が現れていた。
「申し訳ありません。ここで引くわけにはいかないのです」
「隆世っ!!」
内藤さんは殿の静止に振り向くことなく部屋を出る。
いきなりで身動きの取れなかった私と鉢合わせになってしまった。
「内藤さん……」
彼を見つめると内藤さんは一瞬表情を歪める。
そして悲しげに微笑んだ。
「申し訳ありません」
それだけ言って彼は歩いて行った。
私は追うこともできずただ背中を見つめることしかできなかった。
あの表情。
きっと殿の言ったことは内藤さんも分かっているんだろう。
それでも彼は殿の言葉を聞かなかった。
それだけ今回のことを許せないのだろうか。
だけど内藤さんがひどく傷ついている様に見えた。
私は内藤さんが消えていった方から部屋の中へ目線を移した。
殿は私と同じように内藤さんが出て行った方をただ見ている。
少し戸惑ったけど私は部屋の中に入った。
殿の目の前に立ち彼の服をそっと掴む。
殿が私の方へ顔を向けた。
その目は私を映しているのかわからないくらい暗く染まっている。
「えっと……」
そんな殿になんて声をかけたらいいのか分からない。
だけどこのまま彼を一人にしたらダメな気がする。
そう思った私は無意識に彼の体を自分の腕で包んだ。
初めて抱きしめた殿の体は私の腕が回らないほど大きかった。
私が辛いとき殿はいつも優しく包んでくれた。
彼の腕は温かく、どんなときにも私を安心させてくれる。
回した腕に力を込めた。
殿がしてくれたように今私の腕が彼の気持ちを少しでも和らげることが出来ていればいいのに。
身動きをしない殿に不安を感じ、私は彼の顔を見上げた。
暗い表情に何を思っているのか分からない瞳。
お願い、そんなに思いつめないで。
そんな表情をしないで。
回した手を殿の頬に添えた。
するとやっと殿が私を目に映す。
ジッと見つめあって、暗い殿の瞳に悲しみが浮かんだ瞬間私は強い力で抱きしめられた。
驚いたけど、殿は特に何か言うわけでもなくただ私の肩に顔を埋めている。
そんな彼に私はもう一度腕を回した。
「内藤さんはきっといきなりのことで驚いてるんだよ。もう少し話せば考えを変えてくれるかもしれない。それに重輔さんの方もちゃんと話せば争いが起きないかもしれないし」
そんなことを言いながら背を撫でた。
本当に出来るのかはわからないけど、あきらめちゃダメだと思う。
さっきの内藤さんの表情、何度も話せば少しは考えを変えてくれるかもしれない。
それから考え付く限り話し続け、私は殿を抱きしめていた。
最後殿は小さく「ありがとう」とつぶやいた。
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内藤さんが重輔さんを攻めようとしている、という情報は一気に家臣の間に広まった。
それは陶さん側の人たちにとっては望んでもないことであり、内藤さんを支持する声はどんどんと高まっていった。
それと同時に内藤さんの行動を非難する声も上がり始めた。
それは内藤さんの伯父さんの内藤隆春さんを支持している人たち。
隆春さんとはもともと考え方が違って対立していたみたいで、今回のことでそれが明確なものになってしまっているらしい。
屋敷内はギスギスとした空気が漂い、息をするのも辛いほどだ。
そんな中、殿は内藤さんと重輔さんを説得するために動き回っている。
ここを出て違う場所に居るらしい内藤さんと重輔さんの元に何度も訪れ、争いを止めるよう説得をしているらしい。
だけどそれはうまくいっていないらしく、この前ちらりと見た彼の顔には暗い影が落ちていた。
どうしてこんなことになってしまっているんだろう。
それぞれの関係が複雑すぎて私には完全に理解することが出来ない。
絡み付いてしまっている糸は容易にほどくことは出来ず、ますます絡んでいるしまっている。
みんなが一つになれればいいのに。
そんな私の願いはおそらく叶えられることはないだろう。




