38.一年
温かな風が頬を撫でる。
顔にかかった髪を避けながら外に目を向けると、桃色の花びらがひらひらと舞っていた。
「あ、桜だ」
私の足元に落ちた花びらを拾ってみる。
もう桜が咲いているところがあるのか。
周りを見回してみるけど見える限りの所ではまだ冬の色を残す木ばかりだった。
そういえば私がここに来たのって今くらいの時期だったっけ。
「じゃあもう一年になるのか」
ついこの間ここに来た気がするのにもうそんなにたったのか。
経験したことのないことばかりで慣れるのに必死だったから時間なんて気にすることなかったな。
今では一人で着れなかった着物も洋服を着る感覚で着れるようになっている。
「案外馴染んでるよなぁ、なーんて」
「おい」
「うぇ?!」
いきなり肩を掴まれ驚いて振り返る。
「どうしたおかしな声を出して」
肩を掴んだのは殿で、私の声に驚いていた。
いやいや、驚いたのはこっちだよ。
「殿かぁ。驚かせないでよ」
「おぉ、それはすまなかったな」
そう言いながら頭を撫でてくる殿は面白そうに笑っていて、これは絶対に反省していない。
プクッと頬を膨らませると彼はますます笑い出した。
「ぼーっとしていたようだが何か悩み事か?」
「ううん。さっき桜の花びらが落ちてきて、ここに来てもう一年になるんだなぁって」
拾った花びらを殿に見せると彼はフッと微笑む。
「そういえばそうだな。ライは桜の咲く時期に来たのだったな」
「うん。殿にあってからもう一年だね」
「あぁ」
会ってからたったそれだけしか経っていない。
秀を好きだった期間より短いはずなのに、そんなこと関係ないくらい殿のことを好きになった。
こんな風に思うようになるなんて一年前には想像出来なかったな。
むしろ最初は嫌いだと思ってたし。
「ライを見つけたのは桜の木の下だったんだ」
「へぇ、そうだったんだ」
そういえば初めに目が覚めた時雨が降ってて、それに混じって桜の花が舞ってたっけ。
「ライは桜に縁があるな」
「そう?」
「お主の名もそうだろう?」
あ、覚えていてくれてるんだ。
ここでは蕾として生きていて、私が『桜』という名前だということは私と殿と小夜ちゃんくらい。
だけど久しく桜とは名乗っても呼ばれてもいないから、殿が覚えていてくれたのがすごく嬉しい。
簪も私の名前と同じだからとプレゼントしてくれた。
殿が覚えていてくれるから私は『蕾』としてだけでなく『桜』としても生きていられるような気がする、なんて。
「あー……それ何持ってるの?」
なんだか自分の考えている事が物凄く恥ずかしくなって、話題を逸らそうと殿が持っている本を指さした。
「ん?これか。少し調べたいことがあってな」
そう言って差し出された本を受け取り中身を見てみる。
うげぇ、全然内容が分かんないや。
一回殿に読み方教えてもらったんだけど完全に忘れちゃったよ。
「なんだ読めぬのか?」
ニヤリと意地悪な笑みを浮かべた殿になんだか負けた気がした。
「よ、読めるし!!」
強がってみたけど、そんな私を笑いながら殿がすべてお見通しだというように笑うのでますますムッと唇を尖らせる。
「時間があるなら茶でも飲むか?読み方を教えてやってもよいぞ?」
「結構です!まぁお茶は飲んであげなくもないけど……」
素直になれなくて刺々しい言い方になってしまう私の言葉にも怒った様子もなく笑う殿。
そんな対応にますます好きになってしまうわけなんだけど、もしかしたら私の気持ちも気づいてるんじゃないだろうかとヒヤヒヤする。
「では行くか」
「うん。ってうわ!」
どしっと数冊の本が渡される。
まぁまぁの重量なんだけど?!
「ちょ、ちょっと何よこれ!」
文句を言おうとするけど殿は既に歩き出して笑い声まで上げている。
普通に女の子に何も言わずにこんなに持たすか?!
前言撤回。
あんなやつ嫌いだぁ!!
********************
なんて思いつつ素直に彼について行く私はなんて単純なんだろうか。
なんだかんだ言っても殿と過ごせるのが嬉しいんだもの。
もうこれは惚れた弱みだと納得するしかなかろう。
殿の部屋は相変わらず本で溢れかえっている。
心なしか増えたような気がするな。
「適当に座ってくれ」
「うん」
言われて見回すと前に私が来た時に空けた場所がそのままになっていて、なんだかちょっと嬉しかった。
私が座ると殿がお茶を渡してくれる。
「ありがとう」
受け取ってふとあれ?と思う。
確かこの前来た時はお茶を入れる道具なんてなかったのに。
チラッと机の方を見るとお盆に急須とコップが乗っていた。
「誰か来てたの?」
「あぁ少し前までな」
「ふぅん」
殿の部屋に誰か来ることがあるんだ。
いや、私が知らないだけで結構来ていたりするのかな。
なんて結構失礼なことを考えていると殿が本を置いて前に座った。
「ライとこうしてゆっくり話すのは久しぶりだな」
「そうだね。帰ってきた後は熱出したしね」
あの後三日くらい寝込んでた。
全く動けなくなったりして、小夜ちゃんには随分心配をかけてしまった。
「お主はよく寝込むな」
「うーん。あんまり寝込んだりするほうじゃなかったんだけどなぁ。風邪ひいても熱出たりしなかったし」
だから一度熱が出ると長引いちゃうのかな。
「あまり無茶をし過ぎるなよ。心配をする身にもなれ」
そう言って私の頬を撫でた殿にキュンと胸が締め付けられた。
寝込んでた時殿は何度も様子を見に来てくれた。
熱が上がって苦しんでた時なんかは汗を拭いたりしていたんだと後から小夜ちゃんが教えてくれた。
「うん。気をつけるよ」
「そうしてくれ」
優しげに微笑む殿に私は目をそらして頬を赤らめる。
こんな顔するのは私を心配してくれているから。
はたしてそれだけなのだろうか。
もしかして殿は私を……
「まぁ仕方がないか。子供は親に心配をかけるものだというしな」
「はぁ?!子供じゃないし!」
てゆうか親って、殿は一体どの様な立場で私のことを見ているんだろう。
ケラケラ笑う殿を見てハァとため息が出る。
私の事心配してくれたりいつも助けてくれたりする殿が私の事好きなんじゃないかと淡い期待を抱く時があるけど、その度にこうやってはぐらかすようなことを言ってくるから分からなくなってしまう。
子供扱いする殿は私の事本当に手のかかる子供としか思っていないのかな。
なら私の想いを伝えたってまともに受け止めてもらえないんじゃない?
モヤモヤとしたものが次から次へと湧いてくるけど、私が一人で考えたって答えが出るわけない。
じゃあいっそどんな反応をされるかなんて関係なく気持ちを伝えてしまえば解決するんだろうけど、今の関係を崩したくないと思ってしまう。
だから浮かんだ想いに蓋をして何でもないように微笑む。
「そういえば調べ物をしたいって言ってたけど、何を調べるの?」
置かれた本を指さすと、彼は立ち上がって机の方へ移動した。
「これが何か分かるか?」
殿について机の方に行くと大きめの紙が広げてあってそこには設計図が書かれていた。
なんだか見覚えのある形で何だったかと記憶を呼び起こす。
「あっ、お城じゃないかな!」
手を合わせて答えると殿は微笑んで私の頭を撫でた。
どうやら正解みたいだ。
「よく分かったな」
「何度かお城は見たことあるの。私の時代ではお金を払えばお城の中を見て回ったり出来たのよ」
といっても親に連れられてニ、三回だけ。
しかも紅葉や桜の時期に行ったからそっちばかりを見てメインであるお城はあんまり見てなかったんだけど。
「だけどどこに建てるの?」
「南の方に山があるだろう。そこにと考えているのだ」
南……。
あぁ、そういえば結構高めの山があるな。
「でもなんでそんな近くに建てるの?」
「この館では毛利を迎え撃つことは出来ぬからな」
「え……」
殿の言葉に私は言葉を失う。
毛利を迎え撃つって、じゃあここに毛利が攻めてくるの?
ここが戦場になるってこと?
その考えが浮かんだ瞬間あの赤の世界が思い出された。
あの赤がここも染めていってしまうのだろうか。
呻き声、臭い、感触……
ありありと思い出されていき、私は膝の上の手をギュッ握りしめた。
するとそこに大きな手が重なる。
パッと顔を上げると微笑む殿が目に映った。
「大丈夫だ。もしもの為に考えているだけで、そうそうここが戦場になることはない」
握られた手は相変わらずビックリするくらい冷たいのに、私の冷えた心を溶かしていってくれる。
思い出された感触は殿の与えてくれるものに塗り替えられていく。
「本当に?」
「あぁ。何せず最悪の事態になってから考え出すより、用心して何も無かった方が良いからな」
そうか、殿はずっと先のことを想定して色々なことを考えているんだ。
今だけで精一杯の私には出来ないことだ。
「すごいね殿は」
「そんなことはない、ただ臆病なだけだ。これを会議に出したとしてもそんな弱気で毛利には勝てんと突き返されてしまうだろうしな」
「あー……うん。だろうね」
「だが私にはこれくらいしか出来ぬ。ならば何度否定されようと出来ることをやり続けるだけだ」
そう言って胸を張る殿の姿はほんの少し前まで会議で何も言えず黙ったままだった彼とは思えないほど立派に見える。
そんな変化に胸が温かくなって顔が緩む。
なんだか子供の成長を見ているみたいな気分だ。
「おい、お主今失礼なことを考えているだろう」
じと目を向ける殿に、お前はエスパーかと言いたいほど的確な事を言われてしまった。
「ソ、ソンナコトナイヨ」
「片言になっているぞ」
「あはは、ごめんごめん」
くしゃくしゃと髪を撫でる殿に私はクスクスと笑う。
こんな風に馬鹿みたいな事を言いながら笑い合い、時間は過ぎていった。
こんな時間がずっと続けばいいのに。
そう心の中で願いながら、だけどそう長くは続かないんじゃないかという不安が胸に巣くう。
そして運命の時は刻一刻と近づいていく。




