37.温もり
ゆっくり目を開ける。
まだ夢の中みたいに頭がボーとする。
「あ、お目覚めですか蕾様」
その声に顔を向けるとニッコリと笑う小夜ちゃんがいた。
「あれ、何で小夜ちゃんが毛利に?」
「ふふここは大内です。蕾様は帰ってこられたんですよ」
そう言って私のおでこに乗せられたタオルを取った。
それを枕元に置いてある桶の中に入れ、また私のおでこに乗せる。
「昨日倒れられたこと覚えていますか?あの後熱が出たんですよ。今もまだ高いですからそのまま寝ていて下さいね」
そういえば何だか体が妙にだるい。
頭がボーとするのは熱のせいだったのか。
「そっか、ごめんね迷惑かけて」
「いえいえ、蕾様のお世話をするのも私の仕事なんですよ。それに蕾様の事でしたら迷惑な事など何もありませんから」
そう言って微笑む小夜ちゃんは桶を持って立ち上がった。
「ではもう少し寝て下さい。寝ないと熱は下がりませんからね」
出て行った小夜ちゃんを眺めながら瞼が重たくなっていく。
私はそれに争うことなく眠りについた。
頬にひんやりとした何かが触れた。
それがすごく気持ちよくて私は微笑んだ。
すると瞼にも何かが触れる。
だけどそれはさっきと違ってとても温かい。
目を開けると目の前に殿の顔があった。
まだ熱で頭が上手く働かずそのまま見つめ合う。
「起きたか」
「あ、うん」
あまりにも普通に話しかけてきたので反射的に答えてしまった。
あれ、だけど今の状況って……
「ち、ちょっと!顔近いから!!」
一気に体温が上がって殿の顔を手で遠ざける。
それにムッとした殿が私の手を掴んでさらに顔を近づけてきた。
「なんだその態度は。久しぶりにライが目の前にいるのだからもっとよく顔を見せろ」
「それにも限度ってものがあるでしょ!もっと離れててよ。私はどこにも行かないから!」
そんな押し問答をしていたら殿がフッと笑う。
「そうだな。今目の前にいるお主は幻ではなく本物のなのだから、消えはしないんだな」
そういいながら頬に触れた手はさっき感じた冷たく気持ちのいい感触だった。
さっきのはやっぱり殿の手だったんだ。
じゃあ瞼に触れたのは何だったんだろう。
「やはりまだ熱いな。辛くないか?」
「うん。ちょっとボーとするだけだから」
心配そうな殿に大丈夫だと笑った。
そこでふとあることを思い出す。
「あ、殿に短刀返さないといけないね」
ここを出る時に預かっておくと約束したんだった。
キョロキョロと周りを見回すけど見当たらない。
確かに持って帰ってきたはずだからもしかしたら小夜ちゃんが持ってるのかな。
「よい。あれはライが持っていてくれ」
「え、でも」
「元々幼い頃に使っていた物だから今は使っていなかったんだ」
「だけど……」
「私はあれをライに持っていてほしいのだ。駄目か?」
そんなこと言われて悲しそうな顔をしたら断れる訳がないじゃないか。
絶対分かってしてるよ。
なんて頭では思ってるけど、嬉しい気持ちは隠せなくて私は頷いた。
「良かった。では私も約束を守らねばな」
そう言って殿は袖からある物を取り出す。
「あ、それは」
「私も預かっていた物を返すよ」
渡されたのは桜の簪だった。
そういえば殿に帰ってきたら返してと預けてた。
「ありがとう」
殿から始めて貰った贈り物。
また私の手に戻って来ることができてすごく嬉しい。
キュッと胸に抱きしめ微笑む私を殿は嬉しそうに頭を撫でる。
懐かしい感触にただ身を任せた。
だけどあることが心に引っかかっていた。
聞きたいけど聞きたくない。
でも私が知らなくちゃいけないこと。
「ねぇ、江良さんはどうなっちゃったの?」
意を決して殿に尋ねた。
すると殿の手が止まる。
目を向けると悲しそうな瞳で私を見つめながら口を開いた。
「自害したと報告を受けた。大内を裏切ったという理由で晴賢がめいを出したらしい」
「そう……」
やっぱり間に合わなかったんだ。
「ごめん、なさい」
重たい体を起こして殿の方を向いて正座をした。
「ごめんなさい。私がもっと早く陶さんの所についていれば江良さんを救えたかもしれなかったのに」
手を膝で強く握る。
もしあそこで足を止めていなければ。
もっと私の足が速かったら。
頭の中で後悔ばかりが浮かぶ。
「ごめんなさい」
ひたすらに同じことを言う私を殿がそっと抱き寄せた。
「謝るなライ」
「でもっ」
「お前は良くやってくれたよ。それにライも辛い思いをしただろう」
「え?」
「この前の戦の時、お主も参加したのだろう?」
ハッと体を離して彼の顔を見る。
どうして私が戦に出たって分かるんだろう。
そう思ったけど、男として兵士に紛れ込んでいたんだから戦があったら参加しないといけなくなるのは当たり前のことだ。
だから殿も私が戦に出たって分かったんだろう。
「いや、大丈夫だったよ。大きな怪我もしてないし、それに助けてくれる人たちもいたから」
言葉は本心だった。
あの時の光景を思い出すと恐怖が湧き上がってくるけど、始めよりも我慢できるほどには大丈夫になった。
これ以上殿に心配をかけたくなくて私は笑った。
だけどそれを見て殿は苦しそうに顔を歪める。
「えっと、殿?」
驚いて目を丸くすると彼はそっと私の目頭をまるで涙を拭くみたいに撫でた。
「頼むから我慢をしないでくれ」
そう懇願するように言う。
私はそんな彼を黙ったままじっと見つめた。
「もう心を隠す必要はない。だからそんな泣きそうな顔で笑うな」
その言葉にハッとした。
そうだ、ここはもう偽らなければならなかった毛利ではないんだ。
じゃあもう我慢しなくてもいいの?
もう、泣いてもいいの……?
「うぅっ」
ずっと我慢していた涙が溢れ出す。
そこからはもう止めるすべもなく次から次へと瞳から雫が流れていった。
そんな私を優しげな瞳で見つめた殿はまたそっと抱きしめてくれる。
「それでいいんだ。前にも言っただろう、溜め込むより出しきったほうがいいと」
確か私が始めて殿にあった時に言った言葉だったか。
あの時も不安な私に殿はそう言ってくれたんだっけ。
自分はどんなに苦しくても誰にも打ち明けようとしないのに、私には吐き出せって言うんだから。
本当は彼の方が辛い思いをいっぱいしてるのに。
だけど今の私にとって彼の優しさは心に深く染み渡る。
「私、人を傷つけてしまった。自分が生きるためにいっぱい……。それに、ずっと助けてくれた、人たちに結局何も言わずに出ていってしまったの。私なんかを気にかけて、助けてくれたのにっ」
泣きながら途切れ途切れに言う私の言葉を殿は黙って聞いていてくれた。
「すまない、ライに辛い思いをさせてしまったな」
そう耳元で言われた言葉にますます涙が溢れる。
ずっとずっと誰かに言いたかった。
私の中の不安や罪悪感や恐怖を全部。
そして辛かったねと言ってほしかった。
抱きしめてもう大丈夫だと感じたかった。
泣きじゃくる私を殿はずっと抱きしめてくれた。
背中を撫でながら何度も言ってくれた言葉が私を優しく慰めてくれた。
「帰ってきてくれてありがとう」
その言葉だけで救われた気がした。




