36.疾走の果て
真上に登った太陽に照らされる一本道。
頬を流れる汗も気にせず私はただひたすらに走る。
お城から一番近い村で何とか陶さんの居場所を教えてもらった。
どれくらい進んだんだろう。
教えてもらった場所は一本道を進んだところにあって、地図を見てもイマイチ自分が今どこの辺りにいるのか分からない。
それに村からほぼ休まず進んでいるのに一向にそれらしいものが見える気配はしない。
本当に聞いた場所は合っていたんだろうか。
人と全くすれ違わないからもう一度道を聞くことも出来なくて、悪い方向へどんどん考えが膨らんでいく。
考えるほど足が重たくなっていく。
三月の空気は汗をかいている私には凍てつくように寒く感じる。
持ってきた水ももうすぐそこをつきそうで喉がキリキリ痛み、呼吸するのも苦しい。
だんだんとスピードが遅くなっていき、ついに足を止めてしまった。
頭がボーとしてその場に倒れてしまいそうだ。
力が抜けそうな体を支えようと近くの木に手をついた時、胸元から短刀が滑り落ちた。
慌ててそれを拾い上げる。
幸い傷はついていなくてホッと息をつく。
こんなタイミングで落ちるなんてまるで殿が大丈夫か?って聞いてきたみたいだ。
なんて、こんなこと考えるなんて私相当重症だな。
そう考えると笑いが込み上げてきた。
「こんなところでへこたれてちゃダメだよね」
私は気合を入れるために頬を叩いて足に力を入れる。
そしてまたどこまでも続く道を走り出した。
***************
日が傾き始め辺りが暗くなってきたとき、遠くにいくつかの明かりが見えてきた。
陶さんの軍だ。
そう確信して私は最後の力を振り絞り走るスピードを上げた。
近づくにつれ明かりの数は増え、人のざわめき声も聞こえてくる。
男が私に気づき何か叫んだ。
止まれとか言っているんだろうけど、私はそれに構わず進み続けた。
「おいそこの止まらんか!!」
「なんだ敵襲か?」
「いや子供のようだが」
異変に気付き人が集まってくる。
そのせいで道が塞がれてしまう。
「どいて!」
僅かな隙間をくぐり抜けて行こうとしたけど腕を掴まれてしまった。
「ちょっ、離してよ」
「お主何者だ。答えによっては斬り捨てるぞ!」
「陶さんに急いで伝えなきゃいけないことがあるの!」
「陶さんだと?!なんと無礼な」
力が込められ腕が軋むように痛い。
「誰でもいいから陶さんに蕾が来たって伝えて!言えば分かるから!」
「蕾だと……?」
私の名を聞いて男の力が緩んだ。
それを見逃さず私は腕を振り払い奥へ進もうとした。
だけど後ろにいた男に阻まれ後ろから抱き込むように押さえられる。
「こいつ女子か?!」
「おい、蕾って殿の女の名だよな」
「ああ、確か陶殿が毛利に密偵として送り込んだって話だったが」
「その蕾が私だって言ってるのよ!分かったのなら早く連れて行って!!」
男達に困惑が広がりざわめき出す。
そんな姿にいらいらがどんどんつのっていく。
あぁもう何でここに来て足止めされなくちゃ行けないのよっ。
「お願いだから!早くしないと無実の江良さんが殺されちゃう」
そう叫んだ瞬間その場の空気が凍った。
さっきまでが嘘のように静かになる。
どうしたんだと辺りを見回すと全員目を丸くして私を凝視していた。
「な、何よ」
「お主、今何と言った」
「急がないとって言ったのよ」
「そこじゃない。その後だ!」
抑えていた男が私の肩を持って自分の方へ向かせて焦ったように聞いてきた。
あまりの変わりように私まで困惑してしまう。
「江良さんが大内を裏切って毛利に寝返ろうとしているって噂がたつように元就さんが仕組んだの。だから江良さんは実際に裏切ってはいない。毛利の戦略よ」
「まさか、あれは毛利の罠だったというのか」
「そうよ、だからそのことを陶さんに伝えなきゃいけないの」
男達は顔を青くして黙り込んだ。
いったいどうしたんだろう。
訳が分からなくて眉間にシワがよる。
「ねぇどうしたの?」
「もう手遅れだ」
誰かがボソリとそうつぶやいた。
「え?」
「今朝江良殿が寝返ったのではという報告があった。それを聞いた陶殿はその場ですぐに処分のを決めたのだ」
「え……」
体が冷たくなっていき、手が震えてくる。
頭がグチャグチャになって言葉が上手く入ってこない。
「おそらく今頃江良殿のところに書状が届いているだろう」
だけどそんな頭に一つだけハッキリ浮かんだ。
私は間に合わなかった。
瞬間目の前が闇に包まれた気がした。
***************
ふと気づくと私は門の前に立っていた。
あれ、私どうしたんだっけ。
確かお城から陶さんのところまで走って、それから……
靄がかかったようにその先が上手く思い出せない。
記憶がないわけじゃなくて、私自身がその後の出来事をハッキリ見ていなかったみたいにぼんやりしている。
周りを見回してみると私を取り囲むようにしていた男達の姿はなく、代わりに見覚えのある建物があった。
「ここって……」
そうだ。
私がつい一ヶ月ほど前まで過ごしていた場所。
ずっと帰りたいと思っていた所だ。
帰ってきたんだ。
でも何故か何とも思わない。
嬉しいはずなのにそういう感情が私の中に生まれてこないのだ。
いったいどうしたっていうのだろう。
「蕾様?!」
中から声がしてそれとともに人が飛び出してきた。
それは私に真っ直ぐ向かってきてそのまま抱きついてきた。
「うぅぅぅ」
「小夜ちゃん……?」
「蕾さまぁ。ずっと心配していたのですよぉ」
泣き出す小夜ちゃんの背中をそっと撫でた。
その感触はとてもリアルで、ここにいる小夜ちゃんは夢じゃないんだと伝えてくる。
だけどまだ頭はぼんやりとしたままで、夢の中なんじゃないかと思ってしまう。
「お怪我はなさっていませんか?……蕾様?」
上の空の私を小夜ちゃんが、覗き込んでくる。
何か反応したいけど体がまるで自分のものではないみたいに動かない。
これは夢?それとも現実?
抜け出せない闇に飲み込まれてしまう。
「ライ!!」
声が私を闇から引き戻した。
懐かしい呼び名。
思い出しては聞きたいと恋焦がれた声。
ゆっくりと顔を上げると、玄関のところに立っていたのは。
「と、の……」
私の中で何かが弾けた。
小夜ちゃんの手から離れ一気に駆け出す。
もつれる足を必死に動かして早く彼の元へ。
段差に足をとられ倒れかけた私を殿が抱きとめた。
その瞬間彼のぬくもりが私を包み込む。
「本当に殿、なんだよね?」
震える声で問いかけた私に彼は懐かしい笑顔を浮かべた。
「あぁ、おかえりライ」
世界が一気に色づいた気がした。
ずっと夢の中のような光景が現実味を帯びる。
そうか、私の帰りたかった場所と会いたかった人は同じだったんだ。
彼がいなきゃここに帰ってきても意味がなかったんだ。
そして今彼はここにいる。
「ただいま」
そう笑って言ったら何だかすごくホッとして、私は糸が切れたように意識を手放した。




