34.毛利の罠
「……い。おい秀!」
肩を掴まれハッと我に返と、私は目の前の木にぶつかる寸前だった。
「わっと」
「ちゃんと前見て歩け。ずっとフラフラしてて危なっかしいんだよ」
「ご、ごめん」
凜太朗は叱られてしょぼんとした私を忠が面白そうに見ている。
二人に目をやり、ふと不思議に思う。
あれ、何で私二人と一緒にいるんだろう。
さっきまで赤の中を走っていたのに。
そう思い周りを見回してみると、金属のぶつかる音も、殺伐とした空気も、血の赤も全く見当たらない。
その代わりに疲労しきりただ足を前に動かしているだけの男達と、喪失感と疲れが漂う空気だけが広がっていた。
あ、そうか。戦いは終わったんだ。
徐々に頭が冴えていき今までのことを思い出していく。
***************
敵側の頭が倒されたことは戦場の全ての者の耳に届いた。
私もそれを聞いたけど、その時ほんの少しの間言葉の意味を理解することが出来なかった。
張り詰めていた空気が緩み、一人また一人と武器を下ろしていく。
その場から逃げる敵を目に写しながら私はようやく戦が終わったのだと言う事を理解した。
その瞬間体の力が一気に抜けて、私はその場にへたりこんだ。
遠くから忠と凜太朗の声が聞こえた気がしたけど、そこからはほとんど記憶が曖昧になってしまった。
***************
「おーい。また意識飛んでるぞ」
「イタッ」
頭を叩かれてまた我に返る。
ムッと凜太朗を睨むと、彼は何故か拗ねたように顔を背けた。
いや、確かにまたボーとしちゃった私が悪いけど、何であんたが拗ねてるのよ。
「まぁそんな怒るな秀。お前がずっと上の空で相手してくれなかったから拗ねてるだけだ」
「はぁ?!何言ってんだよ忠!!」
ニヤニヤしながらフォローした忠に凜太朗は顔を真っ赤にする。
必死に違うと言い張るけど、忠はそれを完全に無視していて。
それを見て私は思わず吹き出した。
「あはは。止めてよ、くっ、凜太朗必死過ぎっ」
「ちょっ、お前何笑ってんだよ!」
お腹を抱えて笑う私に、怒っているようなセリフをはいた凜太朗だけど、どこかホッとしたような顔をした。
忠も同じ。
さっきまで生きるか死ぬかの世界にいたのに、こんな風に笑っている何て嘘みたい。
改めて自分があそこを生き抜いたんだと実感した。
ひとしきり笑ってからふと思い出す。
「あ、そういえば。凜太朗、あの時はありがとう」
「は?なんだよいきなり」
「僕が敵に殺されそうになった時助けてくれたろ?」
「あぁそのことか」
「それにあの後言ってくれた言葉も。あれがなきゃもう一度立ち上がれなかったかもしれない」
ううん、絶対に立ち上がれなかった。
あの場に武器も持たず座り込んだまま、何の抵抗もせず殺されていただろう。
もう一度ありがとうと笑って言うと、凜太朗は照れくさそうに頭を搔く。
「別に大したことない。友達を助けるのは当たり前だからな」
そう言ってニカっと笑った。
『友達』
この言葉にズキリと胸が痛む。
凜太朗と忠は私のことを何度も何度も助けてくれた。
二人が私を友達として大切に思ってくれていることは痛いほど伝わってくる。
私だって二人が好きだし、大切な友達だと思ってる。
だけど私はそんな二人に嘘をついて、真実を話そうとしていない。
そうしている自分がすごくずるいと思った。
こんな私が二人に助けてもらっていてもいいのだろうか。
友達だと言ってもらってもいいのだろうか。
「おい、大丈夫か?」
「顔色が良くないな。気分でも悪くなったか?」
心配そうに私を見ると二人を見て涙が出そうになった。
いっそ全てを話してしまおうかという考えが頭を過ぎる。
だけど胸元にある重みが私を踏みとどまらせた。
もし二人に全てを話して、ほかの誰かに聞かれてしまったとしたら。
私がスパイだと気付かれて捕まってしまったら。
私なんかが捕まったところでこの戦にはなんの影響も与えないと思う。
だけど、自分からその危険性を高くするようなことをするのは間違ってる。
涙を飲み込み、私は笑う。
「大丈夫。何にもないから」
上手く笑えているだろうか。
私の言葉に二人は納得していないようだったけど、あえて気づかないフリをする。
胸の短刀に手を持っていく。
しっかりしろ桜。
自分がここにいる理由を見失うなよ。
「皆ご苦労だった。次に備え少しの間休め」
やっとお城にたどり着いた時には既に日が傾き、オレンジ色が辺りを染めていた。
ただでさえ疲れていたのに、行きと同じでほとんど休憩が無く歩き続けていた。
解散の指示が出たことでフラフラと集団は建物の中へと向かっていく。
まるでゾンビの大群が歩いているみたいだ。
「はぁ。やっと休めるな」
そう言って背筋を伸ばした凜太朗の顔には疲労の色が浮かんでいる。
行きは平然としていたけど、流石の彼も疲れているようだ。
まぁここでケロッとしていたら本当に人間じゃないんじゃないかと真剣に疑ったけど。
「今日はもうこのまま寝ようか。何をするにしても今日は疲れて何も出来ないしな」
忠の言葉に頷き、私たちも集団を追いかけた。
***************
静寂の中目が覚める。
ゆっくり起き上がると部屋にはいびきと寝息だけが聞こえた。
今何時だろう。
この時代に時計なんてないから正確には分からないけど、真っ暗なところを見るとまだ真夜中といったところか。
多分寝てから一、二時間くらいかな。
まだ寝足りなくて、私はあくびをしながらもう一度寝ようと考える。
その時、外から廊下を誰かが歩く音がした。
こんな時間に誰だろう。
足音は部屋を横切ってだんだんと小さくなったいく。
まだ誰かが起きていたって不思議じゃない。
だけど何故か気になった私は音をたてないよう静かに部屋を出た。
人影を追って廊下を歩いていくと、丁度部屋に入っていく男を見つける。
私は周りに誰もいないことを確認してゆっくりと隙間から中をのぞき込んだ。
中には先ほど見た男の後ろ姿と、こちらを向いている男の二人が座っていた。
暗くて顔はよく見てない。
「して、どうだった?」
その声にハッと息を呑む。
そしてロウソクの火が風に揺れ男の顔を照らす。
毛利元就さんだ……
前に見た顔がそこにあり、聞こえるんじゃないかというくらいうるさい胸をおさえた。
真剣な表情をする元就さんに、今何か重要なことを話しているのだろうと思った私は、何一つ聞き逃さないように必死に耳をすませた。
「やはり要求を飲んではくれませんでした」
「そうだろうな。あやつは一度忠誠を誓った者を裏切るような男ではないからな」
「ではどう致すのです?江良房栄とまともに戦うのには骨が折れますぞ」
そう言った男に元就さんはニヤリと笑みを口角に浮かべた。
「江良に毛利からの勧誘があったという事実があるだけでよいのだ。今の陶なら必ずあやつを始末するだろうからな」
「何故ですか?江良は大内を裏切っていないのに」
「近頃こちらに寝返る家臣が多い中、例え自分の腹心だとしても裏切ったのではと疑惑が出た時点で陶は江良の処分を決める」
そう言いきる元就さんに男は納得いっていないようで首を傾げている。
「まぁ見ておれ。直ぐに分かることだ」
そう言って笑う元就さんに背筋が凍る。
私は逃げるようにその場から立ち去った。
部屋に帰ってきた私は急いで寝床に戻った。
頭の中では先ほどの会話が何度も再生される。
江良さんっていうのは多分今回の戦の大内側の頭の人のこと。
その人に元就さんは毛利に来ないかと誘ったけど、江良さんはそれを断った。
だから江良さんは大内を裏切っていない。
だけど、陶さんが江良さんを殺すと元就さんは言い切っていた。
本当にそうなるのだろうか。
いくら陶さんでも裏切っていない相手を殺すなんて……
そう思うけど、元就さんの考えが間違っていないのではないかという考えも浮かぶ。
私がここに来ることになったのも、そもそも陶さんが私が毛利のスパイではないかと疑ったから。
それに、ここに来るのを拒んだら処分すると言っていた。
だったら江良さんが裏切ったかもしれないと聞いて陶さんが殺すことを決めると言った元就さんの考えは正しいんじゃないだろうか。
なら早くこの事を陶さんに伝えないと。
そのためには何とかしてここから逃げ出さないといけない。
だけど今闇雲に出ていっても無事たどり着くのはほぼ不可能だ。
明日起きたら陶さんが今どこにいるのか聞き出さないと。
そう思いながら私は枕元に置いてあった短刀を引き寄せ目を閉じた。




