33.赤の世界
大きく息を吐き出す。
重たい甲冑に身を包み、私は槍を持つ手に力を入れた。
周りは罵詈雑言が飛び交い、空気は殺気立っていて肌をビリビリと刺激する。
この時代の戦は私が今まで思っていたものとは随分違っていた。
小説とかゲームとかでは戦が始まると同時に刀で切りあったり槍を持った人が突進していったりするけど、実際はまずはお互いの頭が自分の名前を名乗り、それぞれ相手に暴言を投げつけ始めるのだ。
しかも戦いの中で刀を使うことは滅多になく、大体は槍や弓などで攻撃するらしい。
硬い甲冑を身につけた相手を刀で切りつけてもせいぜい強い衝撃を与えるくらいにしかならないのだ。
だから刀は最後の手段として使う。
荒い息をしながら私は目を閉じた。
早い鼓動を打つ心臓が今にも口から出てしまいそうなくらい緊張している。
ついに始まるんだ。
そう思うけど、今でも現実味が全くなくふわふわとした不安が私を包み込むんでいる。
そっと腰に手を持っていくと、支給された刀と一緒にさしている短刀の感触を感じた。
これに触れているとまるで殿の手に触れているような気がして少しだけ落ち着く。
大丈夫、私はここを生き抜いてみせる。
もう1度心にそう刻み込み、ゆっくりと目を開く。
周りの声がだんだんと小さくなってゆき、それと比例して緊張感が大きくなる。
完全に音が消える。
次の瞬間、何かが強くぶつかる重く大きな音が辺りに響きわたった。
そして同時に細い線がいくつもこちらに向けて襲いかかってくる。
近づくそれが矢だと認識した瞬間私の横にそれがふってきた。
ゆっくりと顔を向けると、あと少しずれていたら私の体に突き刺さっていたであろう矢が地面に刺さっていた。
所々から悲鳴とうめき声が聞こえる。
「準備はいいか」
けたたましい音の中、その言葉が耳に入る。
全員が息を飲んだ。
「突撃!!」
「「「うぉぉぉぉ!!!」」」
合図と同時に雄叫びと土を蹴る音が戦場を包み込んだ。
私もそれに合わせ走り出す。
金属がぶつかり合う音の中を走りながら目の前に広がる光景に息を呑む。
戦っている者、倒れた相手の上にのしかかる者、そして刃を相手の喉元に突き立てる者。
殺気と狂気の渦巻く空間では正気の者は最早数えるほどしかしないだろう。
ドサッ!
いきなり目の前に人が倒れてきて、慌てて足を止める。
私の瞳に首から血を流し息絶えている男が映った。
血は池をつくるようにどんどん溢れ出て私の足元まで広がってゆく。
その池はまるで底なし沼のように足を絡めとり、その場に私を縛り付ける。
見たくないのに目が離せない。
自分の目の前で人が死んでいる。
しかもその男を殺したのと同じものを私は今握っている。
それに気づいた途端手が震えだし槍が地面に落ちる。
今起きていることが夢なのか現実なのかやからなくなっていく。
夢なら早く覚めて欲しい。
ベットから飛び起きて、あぁ変な夢を見たなと笑ってしまいたい。
そう考えてながら呆然と立ち尽くしていると、目の前に男が立ち塞がった。
男は槍を構え今にも私に向けてそれを突き刺そうとしている。
逃げなきゃ。
そう頭では分かっているけど体が全く動こうとしない。
近づく刃から身を守る術を持たない私はただ自分は切られるのだと悟った。
瞬間、目の前が真っ赤に染まった。
そして一気に体が重くなる。
「おい大丈夫か!?」
後ろに倒れた私に向けて投げかけられた言葉は、駆け寄ってきた凜太朗のものだった。
彼の顔や服は赤く染まっていて、怪我をしていない様子からそれが全て返り血なのだと分かる。
「あ、うっ」
何か言わなければと必死に口を動かすけど、舌は言うことを聞いてくれず意味のなさない音だけが出てくる。
そんな私の元へ着いた凜太朗は上に乗っかっているものを退けてくれた。
私を赤に染めたのは男の血。
槍が私にたどり着くよりも先に駆けつけた凜太朗によって男は喉を掻き切られ、私の方へ倒れ込んできたのだ。
軽くなった体を起こしふと下を見ると全身が真っ赤に染まっていた。
べっとりと張り付いていてそれは妙に生暖かく、これは現実なのだと私に叩きつけてくる。
怖い。
今さっきまで動いていた人が一瞬にして動かなくなった。
上がっていく息と共に正気も私の中からこぼれ落ちてしまいそうなきする。
「考えるな!!」
恐怖に溺れそうになっていた私を凜太朗の怒鳴り声が現実へと引っ張りあげた。
恐怖で染まっているであろう瞳を向けると、彼は真っ直ぐ私を見つめて強く肩をつかんだ。
「今は何も考えるな、そんなの全部後にしろ! 今そんなことしたって死ぬだけだ。生きたいんなら武器を取れ!!」
そう言ってそばに落ちていた槍を拾い上げ、私の手に握らせる。
「お前にも生き残りたい理由があるだろ?!」
その言葉を聞いた瞬間全身に電気が走ったような衝撃を受けた。
そうだ、私には帰りたい場所、会いたい人がいる。
グッと体に力を入れて立ち上がる。
目を閉じて大きく息を吐き、開いた時には私の心に迷いが消えた。
それを見て凜太朗はフッと微笑み肩を叩いて走り去っていった。
歩みを止める考えは全部捨てて、ただ自分の望みだけを考える。
私は生きたい。
生き残ってやらなきゃいけないことが沢山あるんだから。
顔に付いた血を拭い、全てを振り切るように駆け出した。
***************
激しい音が鳴り響く中走っていると、横から男が私の方へ突っ込んで来ようとしているのが目に入った。
私は走るのを止め今度は自分の槍を相手の方へ構える。
襲いかかってきた槍を自分のもので受け止める。
強い衝撃が手から全身へと伝わり、よろけそうになった体を必死に支える。
その隙に相手は突き放すように私から離れ、もう一度攻撃を仕掛けようと槍を構え直す。
その刹那、私の頭にある言葉がよぎった。
『お前の場合、槍で相手を貫くのは無理だ。だからもし一対一になったら迷わず刀を抜け』
忠に稽古をつけてもらった時に言われた言葉。
女である私には武器を扱うための腕力が圧倒的に足りず、槍を相手に届かすことが出来たとしても大したダメージも与えることができない。
だから私が今出来ることはただ一つ。
私は手に持っていた槍をその場に投げ捨て、腰に下げている刀を抜いた。
そしてそれを構えるとそのまま相手に向かって突進する。
力が足りないのなら自分の体重全部を込めて相手にぶつかっていく。
それが今の私にとって唯一勝てる戦略だった。
相手はいきなり突っ込んできた私に驚き一瞬動きを止めた。
ここだ!
肩口に向かって刃を全身で押し込む。
それを受けた男は衝撃でそのまま後ろへと倒れてゆく。
私も勢いを殺さず男の動きに合わせて倒れ込んだ。
「はぁはぁはぁ」
荒い息をしながらゆっくりと体を起こすと、私の下敷きになっている男は完全に動かなくなっていた。
死んではいない。
甲冑相手に刀を使ってもせいぜい倒れるくらいの衝撃しか与えないということは忠から聞いていたから間違いない。
多分倒れた拍子に頭を強く打って気絶したとかだろう。
私は男の上から立ち上がり、倒れる彼を見つめる。
この男を倒したのは私だ。
この手で人を傷つけた。
その事実が胸を引き裂くような痛みとして私を襲う。
でもここで立ち止まってなんていられない。
男に向かって心の中で謝り、私はまた走り出す。
真っ赤に染まる世界を私はただ生きたいと願い走り続けた。




