31.命令
風が頬をなでる。
少し肌寒いくらいの風も今の私には丁度いい。
あぁこのまま風に乗ってどこかに飛んでいきたいな。
「何してんだ秀」
現実逃避のすえ思考が変な方向に行っていた私を凛太朗が覗き込んでくる。
「どうやったら風に乗れるのか考えてたの」
「え、何だそれ。うーんどうやったらいいんだろな……」
冗談で言ったつもりだったのに凛太朗は真剣な顔で悩み始める。
その姿に私は耐えきれずに吹き出した。
「ちょっと、本気になるなよ」
完全にツボにはまった私は笑い転げる。
それを見て凛太朗がムスッと頬を膨らませるから、ますます笑いが止まらない。
「はぁ、笑った笑った」
「お前失礼だぞ」
「ごめんって」
やっと落ち着いた私は息を整えてその場に座り直す。
そして辺りを見回してみる。
今は数人づつ集まって槍や刀の稽古をしている。
「あれ忠は?」
「お前がへばったから他のやつのところだ。あいつ今はどこからも引っ張りだこだからな」
「まぁそりゃあね」
ここへきてから私たちが課せられたのは“全員が使い物になる兵士になること“だった。
様々な村から来た私たちの中には戦闘の経験や訓練を受けたものから全く初心者の者まで様々だ。
もちろん私は後者。
でもそれではこれからの戦いで足でまといになることになるからと私たちはずっと戦う稽古をしている。
そしてそんな中、忠は訓練を受けていた人であり人に教えるのがとてもうまかった。
なんせ槍の持ち方すら分からなかった私をたった二週間でなんとか使い物になるレベルまで上げてくれたのだから。
でもそんな忠には一つ難点がある。
「じゃあもう少し休んでも大丈夫ってことだね」
「そうだな。流石のあいつでもここじゃあ気づかないだろう」
「そうだといいんだけど。なんかこれでも見つかりそうで怖いよ」
私は今までの忠との特訓を思い出す。
忠は教えるのは上手いんだけど、すごくスパルタだ。
3時間くらいぶっ続けで練習するなんていうのは当たり前。
耐えられずに目を盗んで逃げ出そうとしても、背中に目があるんじゃないかってくらい必ず見つかってしまう。
私と凜太朗は何度も首根っこをつかまれ連れ戻された。
その度皆に笑われて、私たちの3人はすっかり笑いの種になっている。
「どうだ、ここの生活には慣れたか?」
凜太朗が私の隣に腰をおろす。
彼の方を見ると心配そうにこちらを見ていた。
「うん流石にね」
「そうか。あまり無理するなよ」
「なんだよ、僕が大丈夫じゃなさそうに見えるの?」
忠にもよく同じように心配されるんだよな。
何かそう思われるような態度でもとってしまっているのだろうか。
変な素振りをしないよう注意してるんだけど。
「いや、大丈夫じゃないってゆうか……お前たまに悲しそうな顔する時があるんだよ。泣きそうっていうか」
「え……」
そう言われて初めて気づいた。
そうだ、あるじゃないかそんな顔しそうになっちゃう時。
ふとした時に殿のことを思い出してしまう時がある。
多分その時無意識にそういう表情をしてい待っていたのだろう。
「そっか。でも本当に大丈夫だからさ」
2人には心配をかけてしまった。
これからはもっと気をつけないと。
安心させようとヘラっと笑うと、凜太朗は何か言いたげに口を開けたけど、結局何も言わずポンポンと私の頭を撫でた。
なんだか子供扱いされたような気分だけど今回は何も言わないであげよう。
それからとりとめのない話を続けて、ふとある疑問が浮かんだ。
「そういえば凜太朗はなんで毛利軍に入ったんだ?」
「いきなりなんだよ」
「いや、たんなる素朴な疑問かな」
「なんだそれ」
「で、なんでなんだ?」
「そんな面白い理由じゃないぞ」
「別にいいよ」
「あれだ、俺は農民の家の次男なんだが兄貴が病弱だから俺が代わりにここへ来たってだけだ」
「へぇお兄さんいるんだ。それっぽいな」
「それっぽいってなんだよ?!」
凜太朗は頼りになるって感じじゃないからなぁ。
予想していた通りって感じだ。
忠と話している時も完全に主導権は忠に握られてるしね。
妙に納得している私を見て凜太朗は面白くなさそうにすね始める。
それがおかしくて笑いそうになるのを必死に抑える。
「おいお前ら」
話に夢中になっていて誰かが近づいていたことに全く気づかなかった。
そしてその声は聞き覚えがあり、この場では1番聞きたくなかった声でもある。
私と凜太朗は揃ってゆっくり後ろを振り返る。
目に入ったのは鬼の形相をした忠だった。
「「すみませんでした!!」」
怖すぎて思わず謝ってしまった。
ほぼ毎日こんな顔した忠に連れ戻される度誤ってたから完全に癖になってしまったようだ。
そんな私たちに忠は驚いた顔をしてからプッと吹き出した。
「ハハハ、お前ら怖がり過ぎたろう」
「いやお前が仁王立ちして立ってると怖いんだよ」
「何か言ったか?」
バツが悪そうにうつむいた凜太朗が小さく呟いた言葉を聞き逃さなかった忠が笑みを浮かべる。
目が全然笑ってなくてすごく怖い。
向けられた凜太朗は顔を青くして必死に首を振っている。
その必死な様子が面白すぎて思わず私も吹き出してしまった。
「ちょっ、笑うなよ秀!」
「ご、ごめんって……っく」
忠も私につられて笑い出し凜太朗の機嫌はますます悪くなる。
そしてそれがまた面白くて私たちはますます笑い出した。
「はぁ本当に凜太朗は面白いよな」
「そうだね。そういえば他の人に教えてたんじゃなかったっけ。もういいのか?」
「さっき終わった。誰かさんたちに比べて飲み込みが早かったからな。脱走しようとしないし」
「うっ」
嫌なところを突かれて苦い顔をした私を面白そうに見つつ忠もその場に腰をおろした。
どうやら彼も休憩をするみたいだ。
「で、さっきは何の話をしていたんだ?」
「秀が俺がなんでここに来たのか聞いてきたんだよ」
「へぇそうなのか」
「ねぇ忠もどうしてなのか聞かせてくれない?」
「俺か?俺は長男だからな。それに下はみんな小さいから、まぁ必然的にってやつだ」
「ふぅん」
「こいつの弟妹面白いぞ。みんなこいつみたいにすました顔してるんだぜ。同じ顔が並んでるの見ると笑いを捉えるのが大変で」
「いや、お前いつも耐えれてないからな」
「え、そうなのか?!」
漫才みたいな会話を私はクスクス笑いながら眺めた。
笑い合いながら話す様子に本当に仲がいいのだと改めて思う。
しばらく続いた会話を完全に観客として見ていると、いきなり凜太朗が私に会話をふってきた。
「で、秀はどうなんだ?」
「え?」
「秀はどうしてここに?」
いきなり聞かれたので一瞬訳が分からなかった。
だけどその意味を理解したと同時に私は戸惑った。
そうだ、あんなこと聞いてしまったら私も理由を聞かれる流れになってもおかしくないじゃないか。
どうしよう。
普通なら忠みたいに長男だからとか適当な理由を話してこの場をしのげばいい。
だけど、2人と過ごしてきた中で私はこの2人に出来ることなら嘘をつきたくないと思い始めていた。
嘘だらけの私だけどなるべく話せることなら真実を話したい。
あまり知らない私を助けてくれている2人にはこれ以上嘘をつきたくない。
だけどここに来た理由を正直に話すわけにはいかない。
黙り込んだ私を不思議そうに2人が見つめる。
あぁどうしたら……
「みな集まれ!!」
焦ってまた有らぬことを言いそうになった時、向こうから集合の命令が聞こえた。
「あ、行かないといけないな」
「そだな。まぁこの話はまた今度ってことだな」
声のおかげでなんとか話を終えることができ、ホッと胸を撫で下ろした。
だけどまた聞かれたらどうしよう。
そんな不安が残るけど、今は考えないでおこうと急いで皆の元に向かった。
たどり着くとそこには初日に私のことを疑っていた男が立っている。
相変わらず不機嫌そうな顔。
「揃ったか?」
「はい!」
「いいかよく聞け。2日後に進軍することが決まった。お前達も後衛として参加してもらう。明日の朝出立するので十分な準備を行っておくように。以上だ」
男はそれだけ言い終えるとそのまま去っていった。
少しの間その場がしんと静まりかえっていたが、一人また一人と気合を入れるように叫んだり喜んだりしだいた。
その姿を私は唖然と見つめていた。
男の言葉が理解出来ていない。
いや、理解出来ているけど信じたくないと思っているのか。
「ねぇ忠、進軍ってことは戦うってことだよな」
隣りにいる忠に問いかけると彼は不思議そうな顔をする。
「何を言ってるんだ、当たり前だろう」
「じ、じゃあ相手って……」
「今戦う相手なんて大内以外にありえないだろ」
話を聞いていた凜太朗が呆れたように言った言葉に私はきゅっと拳を握った。
「そう、だよね」
まさか私が実際に戦に参加することになるなんて。
不安と焦りが全身を包んでいく。
少し考えれば分かることだったのに。
私が今いるここは戦の中で最前線となっているところだ。
ならば兵士としてここにいる私が戦に参加しなければいけなくなるのも当然。
スパイだとバレないようにということばかり考えていたけど、1番危険だったのはこれだったのだ。
全身から血の気が引いていく。
ここから逃げ出したいという思いがどんどん煽りてくる。
「おい大丈夫か?」
そんな様子に気づいた凜太朗が私の肩を掴む。
そこでハッと我に返った。
何を考えているんだ。
今恐怖でここから逃げ出したって私には帰る場所がないじゃないか。
情報を何も得られないまま大内に帰ったってまた足でまといになるだけだ。
落ち着こうとたまっていた息を吐き出す。
そしてできるだけ笑顔で凜太朗と忠の方を向いた。
「大丈夫。いきなりのことだったからちょっと動揺しただけだから」
「そうか……」
信じてくれたかは分からないけど、それ以上追求してくることはなく屋敷の中に戻っていくみんなを追って歩き出した。
その後ろをゆっくりと歩きながら私は今更ながら理解した。
何故殿は最後まで私がここに来ることを反対し、あんなに心配していたのか。
分かっていたんだ、こうなる事を。
そのことを全く考えていなかった自分を後悔する。
これから自分に降りかかること、やらなきゃいけないことについて覚悟を決めるには時間があまりに足りなく、グルグル考えているうちに出立の時となった。




