30.危機
「何してるんだ秀」
城に来てから3日。私は最大のピンチに陥っていた。
「早くしねぇと遅れるぞー」
「えっと、うん。そうなんだけどさ」
不思議そうにこちらを見る忠と凛太朗に私は苦笑いを浮かべつつ目をそらす。
本当にどうしよう。えらいことになってしまったうえに、心臓が壊れるんじゃないかってほどドキドキいってる。それに……
「さっさと着替えねぇと怒られるぞ」
上半身裸の二人を目の前に目のやり場に心底困っている状態です。
結論から言うと、やってしまった。
3日たって慣れてきたせいか緊張感が緩んでしまい、私にとっては一番やってはいけないミスを犯してしまったのだ。
現在は早朝。
周りには着替え中の男たちで溢れかえっている。
着替えに関しては悩みに悩んだ結果夜はみんなが寝静まった後にこっそりと、朝は誰よりも早く起きて素早く済ますことにしていた。
のに今日は寝坊してしまい現在にいたる。
早くしなきゃっていうのは分かってる。んだけど男の人の前で着替えるなんて男子のフリをしているとはいえ流石に耐えられない。
それに普段昼間はサラシを巻いて胸を隠しているんだけど、寝るときは苦しいから少し緩めている。
それを直さなくちゃいけないから上はほとんど脱がなきゃいけない。
そんなこと出来るわけない!!
けど一番ヤバいのは、
「ん?お前ちょっと顔赤くないか」
「本当だ。熱でもあるのかな」
「ないない!!だ、大丈夫だから!」
近づいてくる二人の姿を見てますます頬が赤くなっていく。
直視できなくて目をそらそうとするけど、どこに目線を向けても半裸の男ばかり。
男の人への耐性が0に近い私にとってこれはメンタルの、いや命の危機ともいえる状況だ。
「おい秀聞いてるのか」
パニック状態の私に凛太朗の手が近づく。
あと少しで触れるというところで私の頭は完全にパンクした。
「とと、トイレに行ってきます!!」
そう叫んで部屋を飛びたした。
私が去った後の部屋では、
「なぁ“といれ”ってのは何のことだ?」
「さぁ」
思わず出てしまった言葉に全員が首を傾げていた。
**********
あぁやってしまった……
無我夢中で走り行き着いた井戸の端で私は頭を抱える。
あんな変な態度とったら女だと疑われる前に頭のおかしいやつだと思われるよ。
どれだけここにいるのか分からないのにそんな風に思われてる中生活するなんてメンタルが持たない。
深呼吸して落ち着いてくるとさっきこうしてれば良かったのに、と色々良い案が出てくるのになんで私はパニックになると変な行動に走ってしまうんだろう。
項垂れた頭をふとある記憶が浮かぶ。
そういえば前にもこんな風に井戸の端でうずくまってたことがあったっけ。
この世界に来てすぐの頃、殿が私にキスしてきたことについての発言に怒ったんだ。それで家臣の人たちにナンパ的なことされかけて殿が助けてくれたっけ……
そうだ、何をやってるんだ。
私はあそこに帰らなくちゃ行けない。
その為に情報を聞き出すっていう危険なことをしないといけないのに、こんな事慌てたり落ち込んだりしていてどうする。
バッと顔を上げ井戸の水を汲んでバシャバシャと顔を洗う。
かじかむほど冷たい水は今の私にとっては丁度よく、頭がスッキリした。
弱音なんて吐いてらんないよね。
そうと決まればさっさと着替えちゃわなきゃ。
きっと今頃心配しているであろう忠と凛太朗にこれ以上迷惑かけるわけにはいかない。
パパッと着替えを済ませ気合を入れるために自分の頬を両手で叩く。
「これからなんだから!」
「お主何をしている」
後ろから声がして慌てて振り向く。
少し離れた縁側のところに立つ男の人が私を見つめている。
「え、あの」
「何をしている」
いきなりで言葉が出てこない私に男はもう一度同じ言葉を発する。
男の目は警戒しているのか冷たく、それが何故か陶さんを思い出されたますます何も言えなくなってゆく。
「おい」
いっこうに答えない私に痺れを切らしたのか縁側から降りてこちらに近づいてくる。
な、何か、何か言わないと。
「あ、朝の気合をと思いまして!」
それがやっと出た言葉。
またやってしまった、さっき反省したばかりのことをまたしてもやってしまった。
我ながら何を言っているのか理解に苦しむ。
相手はますます眉間にしわを寄せどんどん距離が縮まってゆく。
あぁどうしよう……
「秀ーー!!」
もういっそ全力で逃げてしまおうかと思ったとき、私にとっては救いの声が向こうから聞こえてきた。
顔を向けると忠と凛太朗がこちらへ走ってくる。
た、助かった。
男も声を聞いて忠たちの方へ興味が移りなんとかこれ以上距離が縮まることは回避出来たようだ。
「いきなり飛び出すな」
「そこらじゅう探し回ったんだからな!」
二人の方に駆け出そうと体を動かそうとすると、二人がいきなりで足を止めた。
どうしたんだろうと顔を見ると、一点を見たまま固まっている。
首を傾げてその目線を追うとそれは私の目の前の男に注がれていた。
「ほう。こやつは秀とゆうのか」
男は目線を私に向き直しニヤリと不敵に不敵に笑った。
その顔に私は背筋が凍った。
笑った彼の瞳はさっきまでの冷たさと私に対しての興味がこれでもかというほど感じられる。
まるで肉食獣に狙われた草食動物の気分だ。
すっと男の手が私の方に伸ばされる。
完全に固まった体は思うように動かず私はただその手を見ていることしか出来ない。
「秀。急がないとみんなお前を待っている」
あと少しというところで横から腕を引かれた。
その瞬間金縛りが解け後ろに目を向けるとどうやら私を助けてくれたのは忠だったみたい。
完全に冷静な顔をしているのか忠はまだ固まったままの凛太朗と私の頭を掴んで頭をグッと下げさせた。
「ご無礼を下しました。今回のところはどうかご容赦頂けないでしょうか」
頭を下げながら言った忠の言葉に全く状況が掴めないけど、言葉遣いからして目の前の男は身分の高い人物なんだということは理解できる。
え、じゃあ私って結構ヤバい?
失礼な態度とりまくってたよ?!
「も、申し訳ありませんでした」
焦りながらもなんとか謝罪の言葉を口にしチラリと男の様子を伺う。
彼は忠、凛太朗、そして私をそれぞれ見てフッと笑った。
「どうやら相当肝の据わった男のようだな。それに怖いもの知らずの者もおるとは。お主ら今回兵に入った者か。名は?」
「私は忠、左は凛太朗、右は秀と申します」
「そうか」
男は納得したのかそれだけ聞くとその場を立ち去って行った。
男の背中が見えなくなったのを確認して私は大きく息を吐いてその場に崩れ落ちた。
「よ、良かった」
「何が良かっただ!」
「イタッ」
忠に頭を叩かれる。結構痛くて涙目で彼を見上げるとものすごく起こった顔をしていて涙が一気に引っ込んだ。
「どうしているあんな事になってたんだよ」
「えっとそれはその……」
「やっと見つけたと思ったらまさか大殿といるなんて心臓が止まるかと思ったぞ」
「大殿?」
ん?さっきの人のこと言ってるんだよね。
え、『殿』ってことはまさか……
「何変な顔してるんだ。まさか分からないってことはないよな」
「えっと、イマイチ理解できてない……かな」
「ハァ?!」
呆れ顔の忠に私は肩を縮める。
いや、ほとんど見当はついてるんだよ。でも確信が持ててないってゆうかさ。
「大殿は毛利家の前当主である毛利元就様のことだ」
「前当主?」
「大殿は隠居なされて今は息子である隆元様が当主だ。ただ実権はいまだ大殿が握っているという話だか」
「へぇ」
そっか、毛利さんは今当主てわけじゃないから殿とは呼ばれてないのか。
なんだか隆元さんの置かれている状況が殿と少し似ている気がする。
この時代ではこういう表向きの人じゃなくて裏にいる人が実権を握っているのが普通なのかな。
「てゆうか何でお前知らないんだよ。こんなの常識で知らない方がおかしいぞ」
忠から疑いの目が向けられギクリとする。
「あっと、実は記憶が曖昧でここに1年より前のこと覚えてないんだよ」
「はぁ?!それって大丈夫なのか」
「日常生活に支障はほとんどないから大丈夫」
ハハハと笑って誤魔化す。
疑いはまだあるみたいだけど忠は考え込んで、その後少し納得したような顔になる。
「まぁお前の行動はおかしなところが多いからな。記憶がないのならそれもうなづける」
「そ、そうなんだよ」
なんでみんなこんなに私が記憶喪失だってあっさり納得するんだろう。
この時代の人は順応能力が凄まじく高いの?
それとも滅多に起きないことでも私ならなるんじゃないかってくらいおかしな行動ばかりしてるってことなの?!
「何はともあれ無事でよかった。大殿はとても厳しい人だと聞いていたから正直何か罰を与えられるのではと思ったよ」
「ほんと二人が来てくれて助かったよ」
まさか殿と話すときみたいなノリで毛利さんに話していたなんて今考えると末恐ろしいことをしたものだ。
名前を覚えられたみたいだからかえってラッキーだったものの下手すればここから追い出される、いや殺されてしまっていたかもしれない。
そう考えるとブルッと体が震えた。
「大殿はしばらくここにいるのかな」
「どうだろうな。ここは最前線だから陶軍の動きによってだと思うが」
そっかじゃあ情報はここに集結してくるってこと。
毛利さんがいるってことは今後の戦略を聞き出せたりするかもしれない。
「ま、この話はひとまずここまでだ。早く皆のところに行かないと、まぁ完全に遅刻だけどな」
「うっごめんなさい」
俯いた私を忠は優しく微笑んでポンっと頭を軽く叩いた。
そんな何気ない行動に頬が赤くなる。
これはイケメン過ぎるよ。
女子相手ならほとんどの人がノックアウトされちゃうよこれ!
パタペタと手で頬をあおいで熱を下げようとしている私。
そんなことには気づいていないらしい忠はいまだに固まったまの凛太朗の頭をさっきの私よりも強く叩いた。
「いつまで固まってるんだよ!」
「イッテェ!!叩くことないだろ」
「知るか、文句言ってないでさっさと歩け!」
何だろうこの感じ。どっかで見たことあるな。
凛太朗の首根っこを掴んで進んでいく忠を慌てて追う。
あ、あれだ。朝寝坊した子供を叩き起こすお母さん。
今の忠はそれにぴったりだ。
妙に納得してしまって、それから私の中での忠の位置付けはクールな人から面倒見の良いお母さんになったのだった。




