28.急転
5月26日 調べ直して矛盾しているところがあった為最後の方を修正しました
隙間から漏れる朝日にゆっくり目を開ける。
眠くて閉じてしまいそうな目をこすりながらあくびをしていると、いきなりふすまが勢いよく開いた。
ビックリして口を開けたままそちらを見ると息を荒くした小夜ちゃんが立っている。
「ど、どうし」
「大変です蕾様!!」
声をかけようとして食い気味に被せられたかと思えば、部屋に駆け込んだ勢いのまま飛びついてきた小夜ちゃんに押しつぶされる形で後ろに倒れてしまった。
運悪く頭を強打し痛みに涙がにじむ。
そんな私の肩を掴み小夜ちゃんはパニックを起こしている。
「どどどうしましょう?!いや、まずは落ち着いて下さい。焦らず平常心ですよ!さぁ深呼吸して」
「うん。まずは小夜ちゃんが深呼吸しよっか」
「ほえ?」
肩に置かれた手を掴み苦笑いを浮かべるとやっと落ち着いたのか小夜ちゃんは私の上から退いてくれた。
「で、どうしたのそんな慌てて」
「そうです!陶様が部屋に来てくれないかと」
「陶さんが?」
名前を聞いてあの時の冷たい視線と言葉を思い出して血の気が引く。
そういえばただでは済まないとかなんとか言ってた。この呼び出しってまさかそのことじゃ……
「えっと、行かないって選択肢は出来るのかな?」
「出来るとは思いますがあまりお勧めは致しませんよ。あとから怖そうですし」
確かに。行かなかったら一体どんな小言を、いや今は何をされるか分かったものではない。
「何の用なんだろう。小夜ちゃんなんか聞いてないの?」
「いえ私も人づてに蕾様をお呼びするようにと言われましたので。しかし朝から殿と内藤様と陶様が部屋にこもっていると聞きましたよ」
殿と内藤さんか。結構嫌な感じがするな……
けど行かないと何も分からないし行かないといけないよね。
「まぁ何はともあれ陶さんたちの所に行こうか。小夜ちゃんも着いてきてくれる?」
「はい勿論です!」
立ち上がり小夜ちゃんと共に部屋を出た。
なんだか敵地に赴く兵士のみたいな気分だ。
**********
「こちらの部屋です」
着いた部屋からは重々しい空気が漂っている。
毎度のごとく入りにくい雰囲気だ。
「小夜ちゃんやっぱり」
「失礼します」
帰りたくなっている私とは対照的に小夜ちゃんは平然と襖を開けた。
こんな場面で小夜ちゃんの意外な一面を発見したよ。
「し、失礼します」
恐る恐る入ると殿、陶さん、民部君、内藤さんがいる。
そしてこちらを向いた殿と目が合う。
殿は目を見開き、次に陶さんを睨みつける。
「晴賢何故ライを呼んだ?!」
「何故と? 本人が居なければ話が進まぬでしょう」
「話も何もあり得ぬことだ!」
なんか私の事っぽいけど何のことだかさっぱり分からない。
しばらく続きそうな言い合いにどうしたものかと視線を内藤さんの方へ移す。
目があって困ったように笑った内藤さんは空いている所に座るように手招きしてきたので、小夜ちゃんと共になるべく静かに移動した。
「御屋形様、陶殿言い合いはその辺りにして蕾様に説明して差し上げてはどうですか? 困惑していますよ」
私たちが落ち着いたのを確認して内藤さんが言った言葉で一応二人の言い合いは終わった。
けど二人とも、主に殿の機嫌は悪いままだ。
一体何があったんだろう。私にとって良いことではないことは確実だろうけど。
「何故私はここに呼ばれたんですか?身に覚えは全くないんですけど」
「身に覚えはない、ですか」
意味深な言い方をする陶さんに腰が引ける。
何もしていないのに何かしてしまったかのように感じてしまう。
「毛利は次々と城を攻め落としついに現在最前線である門山城に一番近い櫻尾城まで迫っております」
「はぁ……」
陶さんの一言一言が私に絡みついて動けなくさせてゆく。
いったい何が言いたいっていうの?
「そのせいか毛利に寝返る者が出てきておりましてな。それも確か蕾様がここへこられた頃から特に多くなっておりますのだ」
「つ、つまり?」
「蕾様は毛利方の密偵なのでは?」
ニヤリと笑う顔に血の気が引いていく。
私が密偵?つまりスパイってこと?そんなことあるわけない。
「なっ?!私はそんなんじゃないわよ!」
「そ、そうですよ!蕾様がそんな器用なこと出来るはずがありません!」
小夜ちゃんは私を包み込むように肩を抱いて反論してくれた。
若干失礼なことを言っているような気がしなくはないんだけど。
「晴賢先ほどから言うようにライが密偵などあり得ないことだ。根拠も証拠も何もない。決めつけるには早すぎる」
「甘いですな御屋形様。疑う余地のあるものは早いうちから摘み取らねば後から大事になっても遅いのですぞ」
「それが偽りだったとしたらどうするのだ?!」
「そうですが、蕾様にはまだ疑う理由はありますぞ。蕾様、あなたはここに来られる前、何処にいらっしゃったのです?」
「そ、それは……」
ここより遥か未来に居ました。なんて言っても絶対に信じてくれない。むしろ話がもっとややこしくなるだけだ。
「それは私が知っている。ライは毛利方とは一切通じておらぬ」
説明出来ずに戸惑っている私に殿が助け舟を出してくれた。
だけど陶さんの疑いは全く薄まらない。
「ほほう。では御屋形様にご説明頂きましょうか」
「それは出来ぬな」
「ならば疑いは晴れませぬな。家臣も皆蕾様の事を疑っているのですよ。説明がないとなれば然るべき処置を行わなければならなくなりますな」
意見は平方線をたどるばかり。
どうしたらいいんだろう。どうやったら陶さんに私が敵じゃないって分かってもらえるの。
「しかし一つ蕾様の疑いを晴らす方法がありますぞ」
陶さんの発言に下ろしかけた顔をパッと上げる。
「えっそれってなんなんですか?!」
食いついた私を陶さんの頬はゆっくりと弧を描く。
その様子に私は陶さんの策略にはまったのだと瞬時に悟る。
しかしそれも遅すぎた。
「毛利方に潜入して情報を得てくるのです。もし貴方様が毛利の密偵ならばそれは毛利に対しての裏切り。もう向こうには戻れませぬ。密偵でないにしても情報を持ち帰ったとあれば貴方様を疑う者はいなくなるでしょう」
完全にやられた。
これだと私には行くという選択肢しか残されていない。もし拒否をしたら自分がスパイだと認めてしまう事になる。
そうか、これが陶さんの言っていた『ただではすまない』か。
ずっと自分の思い通りになっていた殿を変えてしまった私をここから追い出そうとしているんだ。
「何を言っているそんなことさせられるわけがないだろう?!」
今にも襲いかからんばかりの勢いの殿を全く気にせず陶さんは私を見つめたまま嫌な笑みを浮かべている。
「陶殿失礼ですが蕾様は女子です。毛利方に潜入など不可能ではないでしょうか」
民部君の言った陶さんへの初めての反論に私は少し光が見えた気がした。
もしかしたらこれでなんとかこの場を乗り切れるかも……
「男子の格好をすれば良いだろう。蕾様なら疑われることはそうそうあるまい」
「それは……」
そこは否定してよ民部君!!
そりゃ胸は残念なほどないけど流石に男装したらバレるよ!
「そもそもライをそんな危険な目には合わせられぬ!
このことは許可できぬ」
「蕾様が毛利に行かないのであれば家臣共の疑いも晴れることはありませぬ。そうなれば御屋形様の仰る危険とやらは遠からず蕾様に降りかかることになりますぞ」
「そんなことは……」
「ないとでも?この事は大内家にとって重要な勝利への鍵となるかもしれぬものです。ですが御屋形様は蕾様だから反対なされているのか?そうならば君主としてあるまじき判断ですな」
ダメだ。このままじゃ私のせいで殿の立場まで危うくなってしまう。
分かってるでしょ私。この場を丸く収める方法は私が持っているんだ。
息を大きく吐いて私は心を決めた。
「分かりました」
全員の目がこちらを向く。
困惑した目が並ぶ中一つだけ怪しげに歪む瞳が目に入るが、私はあえてその瞳を真っ直ぐ見つめた。
「私が毛利に行って情報を掴んできます」
「つ、蕾様?!」
声を上げた小夜ちゃんに大丈夫という意味を込めて微笑む。他の人も言いたい事は大体同じだろう。
「それで良いのですな?」
「ええ」
強くうなづいた時に合った殿の目が怒りと悲しみを含んでいるのを感じて胸が痛んだ。
でももう後には引けない。
「では三日後に出発ということでよろしいな」
陶さんの言葉に素直にうなづく。
三日後、なんて初めから私が行くことになるって確信して用意をしていたってことだろう。
この部屋での出来事全て陶さんの作戦だったようだ。
**********
それから怒涛の2日だった。
小夜ちゃんを宥めるのはもちろん男の立ち振る舞いや言葉遣いなど覚えられる範囲を必死に頭に叩き込んだ。
そしていよいよ出発が明日に迫った夜。
私は緊張で眠れず明日から身につける着物の着付けの練習をしていた。
ここに来てからしばらくは着物の着方が分からず小夜ちゃんに手伝ってもらっていた。だけど今回はちゃんと覚えておかないと助けてくれる人は誰もいない。
「これをここにして、これをこうで」
2日の特訓でなんとか様になるように着れるようにはなったものの、こんなことで疑われたりしたくないのでギリギリまで練習する。
「ここを通して……よし出来た!」
今までで一番手応えのある出来だ。
小夜ちゃんや民部君は男子にしか見えないと言っていたけど、それはお世辞なのか本気なのか……
どちらにしてもイマイチ喜べないけど、今は疑われない要素は少ない方がいい。
髪をまとめて完成だ。
ホッと息をついたとき襖を叩く音がした。
こんな夜にだけだろう。
疑問はあるもののいっこうに襖が開く気配がないので仕方なく開けに行く。
「だれ……?」
目の前の人に私は息を飲んだ。
「殿?」
あの時何も話さず部屋を出てしまってから今まで殿を見つけることが出来なかった。
なんとか話したかったんだけど、どうやら彼の方が私を避けているみたいだったのだ。
「話せず終いになるかと思ったよ」
微笑むと黙ったままの殿は一瞬口を開きかけ、何も言わぬまま閉じてしまう。
しばらく待ってみても殿が何か言う気配がないので私は彼の腕をとって部屋の中に入れてあげた。
なんだか誰にも聞かれたくないのではないかと感じたのだ。
「どうしたの?」
首をかしげて問うと殿は重い口をやっと開いた。
「その姿。男子にしか見えぬな」
「うん?」
引っ張った挙句の言葉に思わずツッコミたくなった。
だけどその後に殿は少し微笑んで私の頬をそっと撫でた。
「それなら安心だな」
声色と表情で殿がどれだけ私のことを心配しているのか痛いほど分かる。
なんとか少しでも安心させてあげたい。でもどうしたら……
ふと机の上に置いた簪が目に入る。
私はかんざしを手に取り殿に差し出した。
「これ預かっておいてくれないかな」
「これは……」
「私の大事なもの。だから私が帰ってきたら絶対に返してね」
私は絶対に帰ってくるからと殿の手にかんざしを握らせる。
微笑む私に殿はフッと頬を緩めた。
「ああ、ではこれは預かっておくよ。その代わりこれを持っていけ」
渡されたのは1本の短刀。
使い古されていて所々色が剥げてしまっている。
「これって」
「私が幼い頃から持っているものだ」
「えっ!そんなの貰えないよ」
「いや、ライのかんざしと同じく預けるのだ。だからちゃんと返してくれよ」
さっき私がした様に殿は私の手に短刀を握らせる。
「向こうでは私はお前を守ってやれぬからせめてそれを持って行ってくれ」
短刀には殿の気持ちが込められていて、握りしめていると不思議と勇気が湧いてくるような気がした。
「うん、ありがとう」
「明日は見送ってやれぬからな。気をつけるんだぞ。決して無茶はするなよ」
「分かってる。大丈夫だから」
そこで会話が途切れただお互いに見つめ合う。
どれくらいそうしていただろう。
殿が私の腕を引いたのが先か、私が殿の胸に頬を寄せたのが先か。
私たちは抱きしめあった。
「また会えるよね」
「ああ必ず」
体を離し、何も言わず殿は部屋を出て行った。
私も無言で見送った。
何も言わなかったんじゃない。何も言えなかった。
何か言葉を発したら涙が溢れてしまう。
だけど今は泣きたくない。
泣くのなら次会った時の嬉し涙にしたいから。
**********
「さぁ着きましたよ」
次の朝、泣きそうな小夜ちゃんに別れを告げて私は案内役の男のと共に静かに屋敷を出た。
早朝から歩き続けようやく第一の目的地である村に辿り着いた。
「ここからはあそこにいる者が案内いたします」
「分かりました。ありがとうございます」
「では私はこれで」
そう言って男は来た道を足早に戻っていった。
一人取り残された私は目を閉じて息をはく。
大丈夫ちゃんとすれば上手くいく。
胸にしまった短剣に手を置いて私は目を開いた。
さぁここからは私の戦いだ。
強く一歩を踏み出した。




