26.蚊帳の外 下
トボトボと歩く。廊下には何人もの人が忙しなく行き来しているけど、私の目には入ってこない。
ずっと気になって知りたいと思っていたことなのに心が沈む。秀がなんとなくそれっぽい事を言っていたけど、心の中でそんな大それた事ではないだろうと思っていた。
だけど真実は思っていたより暗く残酷なもので思考が追いついていない。
ふと足で何かを蹴った。見下ろすとそこには一冊の本が落ちている。
拾ってみると随分読み込まれているみたいで所々破れてしまっていた。
いったい誰のものなんだろう。
周りを見回してみたけど持ち主らしき人はいなさそうだ。
「小夜ちゃんに聞いてみようか」
そう思い私は本を胸に抱えて部屋へと急いだ。
「ねぇこの本誰のか分かる?」
襖を開けた瞬間襲いかからんばかりの勢いで心配してきた小夜ちゃんをなんとか宥めて私は本を差し出した。
本を受け取ってまじまじと見ながら小夜ちゃんは首を傾げる。
「うーん……ちょっと私には分かり兼ねますね」
「そっか」
じゃあ誰か他の人に……いや、悩むほど選択肢はないか。
「ですがこんな難しい書物をここまで読み込んでいるなんて、勉強熱心な方なんでしょうね」
「そう、だね」
持ち主は一体どんな人なんだろう。ちょっと興味が湧いてきたな。
殿に言いたいことは沢山あるけど、もう少し心の整理がついてからにしたいし持ち主探しは丁度いいかもしれない。
**********
どうしていつもはこうなんだろうか。
誰もいない廊下でため息をつく。
誰かに聞こうと思った時に限っていつもは嫌ってくらいいるのに今は誰一人歩いていない。
女中さん達は仕事中だから聞けないし、たまに通りかかる人には勇気が持てなくて話しかけられなくて聞き逃してしまう。
「次っ、次は絶対に聞く!」
顔を見る前に勢いでいけばいけるはず。
曲がり角をジッと見つめていると、足音が近づいてきた。
さぁ今だ桜!
「あの!」
「えっ」
人影が見えた瞬間声をかけると相手は驚いて足を止めた。
「ああああの、少々お聞きしたいことがあ、ありまして」
「蕾様どうなされたのですか?」
「ほえ?」
混乱してうつむいていた顔を上げると目を丸くした民部君の姿があった。
「な、なんだ民部君だったのか。よかったぁ」
「ええそうですよ。何かお困りですか?」
ニコッと微笑んだ民部君に慌てて本を見せる。
「この本拾ったんだけど誰のか分かる?」
本を受け取るとパラパラと中身を確認してから民部君は笑う。
「これは御屋形様のものですよ」
「え……」
その可能性は考えてなかった。そういえば前にこんな感じの本を読んでいるところを見たことがある。
どうしようまだ心の準備出来てないのに。
「えっとじゃあ民部君が殿に」
「おい民部来てくれないか」
本を渡してくれるよう頼もうとしたら向こうから誰かが民部君を呼ぶ声がして遮られる。
「あ、申し訳ありません。よろしければその本を御屋形様の部屋まで届けておいて頂けませんか。恐らく今はお部屋の方にいらっしゃるはずですから」
「いや、それは」
「ここを真っ直ぐ行った先にありますから」
「え、ちょっ」
「よろしくお願いします」
本を私に渡して民部君は足早に行ってしまった。
どうやら持っていくしか選択肢はなさそうだ。
あぁ一体どんな顔をすれば……
元の世界ならマスクとかで隠せるのに。
**********
取り敢えず部屋までは来た。うん、全く迷わず。
本当は迷いに迷ってあやふやにしてしまいたかった。
部屋を伺ってみると人の気配はなさそうだ。ならさっさと本を部屋に置いて帰ろう。それなら殿に会うなんてことは起きない、はず。
「失礼しまぁす」
誰もいないのは分かるけど一応静かに襖を開ける。
中が見えた瞬間驚いた。
「うわぁ、すごい量の本」
部屋はいたるところに本が積まれていてやっと一人が入れるくらいのスペースしか床が見えない。
近くに落ちていた本を拾い上げてみると、どうやら戦についてのことが書かれているみたいだ。
他にも地図だとか歴史の本だとか数え切れないほどある。
これ全部殿のものなの?
それに見た限り全部読んだ形跡がある。
圧倒されてその場に立ち尽くた。
「誰だ」
いきなり後ろから低い声が聞こえ、ビクリと肩を震わせ慌てて振り返るとそのには怪訝な顔をした殿が立っていた。
「殿……」
「あ、ライだったか。すまない誰だか分からなくてな」
私だと確認した瞬間殿は顔を緩めて私の頭を撫でた。
「何か用があるのか?」
「あ、うん。この本殿の?」
本を差し出すと殿は目を丸くして受け取る。
「ああ私のものだ。どこでこれを?」
「廊下に落ちてたのをたまたま拾ったの」
「そうか、ありがとう」
微笑んでまた頭を撫でてくる彼に私は顔を真っ赤にしてうつむく。
なんかこんなにまじかで笑顔を見たのは久しぶりな気がする。非常に心臓に悪い。
そんな私を置いて殿は部屋の奥にある机の前に座る。
私も慌てて後に続き彼の近くにあった本を避けて座った。
「すごい量の本ね。入った瞬間驚いちゃった」
「珍しい物や興味深い物を集めていたらいつの間にかここまでになってしまったんだ」
「へぇ、これ全部読んでるの?」
「ああ」
本当に全部読んでるんだ。この量をなんてどれだけ前から集めているんだろう。
ふと目の前の机に目を向けると、そのには書きかけの紙と同じような紙の束が幾つも置いてあった。
よく見ると私の読める範囲で城、戦、毛利、大内という単語が書かれている。
「これって殿が書いたの?」
「ん?ああ意味のないものだがな」
「え、なんで?」
私が思うにこれは殿の考えた毛利を倒すための作戦だろう。
なのになんで意味ないなんて悲しそうに笑っていうの?
「私がいくら考えたところで所詮机上の空論に過ぎないからな。何も出来ぬ私はせめて知識だけでもと思い色々な書物を読んでいるが、結局それだけだ」
諦めたように言う殿を見て、ふつふつと怒りがこみ上げてくる。
「それならこんな風に書いてお終いにするんじゃなくてみんなの前で言えばいいじゃない」
そつ言うと殿は私から目をそらした。
「ライの言う通りだ。しかしそう上手くいくものではないんだ」
この間の事を思い出す。
殿だけが蚊帳の外にされたあの空間。
確かにあの場で主張するのは相当勇気がいるだろう。
「私はここでは異質だからな」
ポツリと呟かれた言葉にパッと顔を上げる。
「そんなことない!殿は、そんな……異質なんかじゃ……」
脳裏にあの二人の会話が浮かんでくる。元は大内の人間じゃない殿をみんなが認めていないのは事実だろう。そしてみんなが認めているのは陶さんだ。
どうすれば彼を救えるの?
キュッと目を瞑ると小夜子の顔が浮かんだ。
そうだ、彼女ならこういう時なんて言うだろう。
「殿が自身がそんな事思ってたら何も変わらない。勇気を出して前に進まなきゃ後で絶対に後悔すると思う。後悔するんなら自分の思う通りにした後の方がずっといいんじゃないかな」
私は殿のこの先を知ってる。陶さんの傀儡と言われてしまう殿。実際に目の当たりにしてこんなのあんまりだと思った。
あの時怒りが湧き上がったのも、その後悲しくなったのもきっと殿に一歩踏み出して欲しいと思ったからだ。
そんな私の言葉を黙って聞いていた殿は下を向いたままこちらを見てはくれない。
「本当に出来るとライは思っているのか……」
やっと呟かれた言葉には殿が今まで受けてきたものに対しての恐怖や不安が混じっているように感じた。
きっと彼は拒絶を恐れている。それなら……
私は膝の上で握られた殿の手をそっと包み込んだ。
「何か言ってくる人もいると思う。でもそんな人ばかりじゃなくて殿の考えをちゃんと聞いてくれる人がきっといるはず。少なくとも私は殿の味方だもの」
笑っていうと殿はゆっくりと顔を上げた。そして目を閉じて微笑んだ。
「そうだな」
一言だけだったけど、揺らぎのない真っ直ぐな言葉だった。
ただ辛い思いをしている殿の背を押してあげたかった
。ただそれだけだったのに、このことはのちに私の運命を大きく変えることになった。




