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桜の蕾《完結》  作者: アレン
2章
24/99

24.黄色の決意

少し前までは青々としていた木が今は色とりどりに色づいてすっかり秋景色になった。


あれから数週間。

この短い間で色々な事が変わっていった。


お屋敷にはいろいろな人たちが出入りするようになり、静かだった廊下は人の足音が響きわたっている。



そして、殿が林に来なくなった。



毎日部屋に何人かで篭って話し合いをしているらしく、あの気まずくなった時から一度も話せていない。

何度か遠くに殿を見つけたことがあったけど、とても話しかけられる雰囲気じゃなかった。


雑巾を水につけながらふぅとため息をつく。


少し前までは水に手をつけると気持ち良かったのに、今では少しかじかんでしまうようになった。

そのことでも夏が終わったんだと実感する。


ここに来てもう半年近くたった。

始めは戸惑いばかりだったのに、今は自分でもビックリするほど馴染んでいる。


そして元の世界の事を考えることが少なくなった。

忘れたわけじゃない。

そうじゃないけど、それよりも殿との事が私の頭を占領している。


あの日内藤さんにはまだそばにいたいと言ったものの、日を重ねる毎にそれでいいのかと不安になった。


ここに居たって遠くから眺める事しか出来ない。

そんな私にここにいる意味はあるのだろうか。


朝から晩までずっとそんな事考えて最近ちょっと寝不足気味になっている。


例のごとく小夜ちゃんはすごく心配して、今日の仕事はこれだけ。

申し訳ないけど、ゆっくり考える時間が欲しかったからありがたい。



今日はいつもよりお屋敷の中が静かな気がする。

廊下を慌ただしく歩く足音や、何処からか聞こえてくる話し声もない。

こんなに静かなのはいつぶりだろうか。


ふと、あの林のことを思い出した。


何日かは殿が来るかもしれないと待っていたけど、もう随分あそこに行ってない。


そういえばあの時のイチョウらもう色づいてるのかな。


殿と一緒に見ようと約束したイチョウ。

最後に見た時はまだ緑色だったけど、もうそろそろ黄色くなっているはず。


そう思うと私は居てもたってもいられなくなって、急いで掃除を終わらせて林へ向かった。


**************


「うわぁ……」


目の前には全身を黄色に染めた木とまるで真っ黄色の絨毯のような地面が広がっていた。

あの立派なイチョウは見事に紅葉してまるで一枚の絵のようだ。


私はしばらくその景色に目を奪われた。


ここまで綺麗な紅葉は初めて見る。

良く秀と小夜子を誘って色々な所へ見に行ったけど、今のこれより綺麗なものなんてなかった。


本当に綺麗……



そう思うけど同時に泣きたくなった。


どうして今隣に誰も居ないんだろう。

こんなに綺麗なのに一人だと悲しく見える。

あの時、ちゃんと約束したのに。


そんな思いをグッと噛み締めて私は木の下に寝転がった。

幾つも重なった葉は私を優しく受け止めてくれる。


分かってる。

今殿はそんな事考えてる場合じゃないって事くらい。


少し前に小夜ちゃんから聞いた話しでは、陶さんが毛利軍に兵を送り込んだらしい。

でもそれは失敗して元就さんを止めることは出来なかった。


みんながピリピリしていることは部外者の私でも感じている。

殿なんてその中心にいる人なんだから、私が感じる以上のものを感じていると思う。


だけど、

私との約束が彼の心を休める機会になればいいのに。


こぼれそうな涙を止めるように私はそっと目を閉じた。



**************


「ねぇ」


ん、誰?


「起きなよ」


人がせっかく気持ちよく寝てるんだから邪魔しないでよ……


「さーくーらぁ!!」

「いひゃいいひゃい!!」


私は渋々目を開ける。

そこには怒った顔で私の頬を容赦無くつねる小夜子がいた。


「何だ、小夜子か」

「それはこっちのセリフ。何でこんな所にいるのよ?」


やっと離してもらった頬をさすりながら周りを見る。


真上にはイチョウの木。

その周りは見慣れた校舎。

どうやら私は中庭の木の下で寝ていたみたいだ。


「いきなりいなくなるんだもん。探し回ったのよ」

「あー……」


段々思い出してきた。

掃除当番の小夜子を待つ間ぶらぶらしていたらここに辿り着いて、疲れたぁとか思って寝転がったんだ。

そしてそのまま夢の中。


「ごめんなさい」


シュンとなって謝ると、小夜子はため息をついて手を差し伸べてきた。

どうやら許してくれるみたい。


「あーあ、大分時間たっちゃったじゃん」

「ほんと申し訳ない」


エヘヘと笑いながら立ち上がる。

私がここに来た時は下校途中の生徒が居たのに、今は一人もいない。

結構長い間寝ちゃったみたいだ。


「もう部活始まっちゃってるよ。今日も見に行くんでしょ?」

「もちろん!」


満面の笑みで答えると小夜子にまたため息をつかれた。



放課後の校庭。


汗を流しながらボールを追いかける男子たち。

その光景は「これぞ青春!」って感じ。

真剣にプレーする姿は普段イマイチの男子でもかっこよく映る。


「キャーー!! かっこいぃぃ!!」

「がんばってぇ!!」


そんな姿を見て黄色い声援を送る女子たち。

でもその子達の目的は勿論……



「「「秀ーー!!!」」」



「毎日飽きもせずよく頑張るねぇ」


小夜子はある意味戦場とかしている女子の大群を見ながら呆れている。

そしてチラリとこちらを見てため息をつく。


「まぁあんたもだけどね」


隣からの視線に若干哀れみを感じるけど、いつもの事なので気付かない振り。

それよりも今はボールを蹴ってゴールまで走る秀の姿を見つめる。


向かってくる敵を簡単に交わしながら走っていき、華麗にシュート!!


「「「キャーーーー!!!」」」


その瞬間に沸き起こる黄色い声。

私は笑いながらチームメイトとハイタッチする姿をウットリと見つめていた。


「おーい桜ー。戻ってこーい」


完全に自分の世界に浸っていた私の頭を叩く小夜子。

その腕をガシッと掴んで振り返る。


「今のスゴくカッコ良かったよね! あんなに人居たのに居ないみたいにゴールしちゃったよ!」

「あーそうだね。すごいよねー」


興奮気味に言う私に心底興味なさそうに返す小夜子。

こんな真逆のテンションなのもいつもの事。


みんなから少し離れた木陰でこうやって秀の姿を見る事が私の日課。

あの助けて貰った時から小夜子も巻き込んでずっと続けている。


「そんなに見たいならもっと近くに行けばいいじゃない」

「それが出来たらもうしてるよ……」


あの戦場の中に入って行く勇気は残念ながら持ち合わせていない。

だからこんな向こうに気付いてもらえない様な場所でひっそりと見てるんだ。


「一度くらい喋りかけに行けばいいじゃない。向こうも挨拶してくれるんでしよ?」


そりゃすれ違ったときとかに挨拶してくれたりするけども。


「無理無理っ絶対に無理!」


あんなのみんなにやってる事だろう。

特別私にだけなんて考えるのはあまりに無謀過ぎる。


「それに、私はこうやって遠くから見てるだけでいいんだよ」


毎日遠くからでも秀の姿を見れるだけで満足。

別にそれ以上を望んないのかって聞かれたらそうじゃないけど、今はこれで十分だ。


そう言ってまた秀の姿に目を奪われかけていたら、


「このバカが!」

「あたっ」


小夜子のチョップが綺麗に頭に決まった。


「何するのよ!」


若干涙目になりながら訴えると、ガシッと肩を掴まれた。


「桜ってほんと意気地無しね! 何腑抜けた事言ってんのよ」

「は、はい?」


いきなりの罵倒に何か言い返そうとするも、小夜子の気迫に負けて対抗出来ない。


「考え方が受け身なのよ! 今のままで十分なんてあっちがモーションかけてくるまで待ってたら何にも始まらないでしょうが」

「で、でもさぁ」


小夜子の言ってる事も最もだ。

だけど一回偶然助けて貰って好きになったのは私で、秀はそんな事覚えてるはずない。

いきなり喋りかけたら私完全に変な子じゃん。


「変な子上等!」


私の言葉を聞いて小夜子はそう胸を張った。


「むしろそれで印象に残っちゃいなさい」


そのスッパリした性格をどうか少しでも分けて欲しい。




と、まぁそんなこんなで結局小夜子に背中を押された私は校門で秀を待ち伏せしている。


部活が終わってからも自主練している彼は下校時間ギリギリまで学校に残っている事は知っていた。

冬も近づいて辺りはすっかり暗くなってるから流石にファンの子達も帰ったみたいだ。


『何が何でも誘うのよ。出来なかったらもう放課後付き合わないからね』


家が遠い小夜子はそう悪魔の課題を残して帰った。


誘えって言っても何に誘えばいいのよ!

今からじゃ何処にも行けないし、お昼を一緒には絶対にファンが黙っていない。


うんうん唸っていると、向こうから話し声が聞こえてきた。

慌てて振り返ると何人かの男子がこっちに近づいてきている。

その中には秀もいた。


どど、どうしよう!!

来ちゃったし、しかも一人じゃないよ!


逃げようかとも思ったけど、そんな事したら明日小夜子に何をされるか分からない。



ええい、こうなったらっっ!



「秀君!!」


いきなり現れた私に全員が目を丸くした。

目の前の秀も何事だと私を凝視している。


と、まぁ勇気を振り絞ってみたもののこの後の事を全く考えていなかった。

何か誘えるようなことないのかぁ……



ふと、あの黄色い木を思い出した。



「あのっ、良かったら明日中庭のイチョウを一緒に見ませんかっ?」

「「「は?」」」


全員の声が重なった。


その反応はごもっとも。

言った私も心の中で同じように言ったもん。


イチョウを一緒に見ませんかって何!?

老人かよ!

女子高生がそんな誘い文句使うってどうよ!


真っ赤になって俯く。


こんなんじゃ変な子どころか痛い子じゃん。

覚えてもらうどころか避けられるに決まってる。


「ハハハっ!」


気まずい雰囲気の中、誰かが笑った。

顔を挙げるとお腹に手を当てて笑う秀がいた。

私はその姿を口を開けたまま見つめる。

こんな無邪気に笑う秀を目の前で見たの初めてだ。


「お、おい秀。笑うのは失礼だろ」

「いや、だって何を言われるのかと思ったらイチョウを見ないかだぜ? 予想外すぎて逆に笑えるだろ」


どうやら痛い子とは思われなかったみたい。

多分確実に変な子とは思われただろうけど。


「えっと名前は……」

「む、村上桜です!!」

「あ! 確か前に保健室に連れてってあげた事あるよな?」

「は、 はい!!」


まさか覚えててくれたなんて……

半年以上前の事だから絶対に覚えてないと思ってた。


「村上って何組なの?」

「一年三組です」

「じゃあ明日の放課後迎えに行くから待っててよ」

「へ?」


思わぬ言葉に耳を疑った。


え?

今明日迎えにいくって言わなかった?

いやいや、きっと聞き間違いだ。

もしくは私がつくった幻聴。

秀が私のこと迎えになんてあるわけないし。


「えっと、今なんと?」


が、取り敢えずもう一度聞いてみる。


「だから、明日迎えにいくって」

「え、何で?!」

「何でって中庭行くんだろ? イチョウ見に」

「えぇぇ?!」


き、聞き間違いでも幻聴でもなかった!!

ウソっ本当に秀が私と?!


「い、いいの?」

「ああ。俺も結構紅葉見るの好きなんだよ。じゃあまた明日な!」


そう言って秀は手を振って仲間たちと帰っていった。

私はそれを呆然と見送る。


夢、じゃないよね?

頬を引っ張ってみるけど痛い。

じゃあ現実?


段々落ち着いてきて、それと同時に嬉しさが湧き上がってくる。


「や、やったぁぁぁ!!」


勇気は出してみるものだな。

背中を押してくれた小夜子に感謝した。


小夜子の言葉がなかったら私はずっと受け身でなにも始まらなかった。

スタート地点から一歩も踏み出せないままだった。


恋は自分から前に出ないと始まらないんだ。



*************


ゆっくりと目を開けるとそこには黄色い葉っぱの絨毯が広がっていた。


あれ、ここ何処?


起き上がって周りを見渡すと、そこには制服を着た学生も校舎も小夜子も秀もいない。

私は着物を着て一人木の下に座っていた。


そっか、今のは夢か……


まぁ夢といっても本当にあったこと。

あれは確か一年生の秋。

小夜子に背中を押されて初めて自分から秀に話しかけた日のことだ。


次の日本当に放課後秀が迎えに来て二人で中庭へ行った。

あの時は緊張し過ぎてほとんど会話ができなかったけど、今思うとあれからちょこちょこ秀と喋るようになったんだ。


てゆうか私好きな人に対しての誘い文句が紅葉狩りだけって……


もうちょっと可愛い誘い方とかしようよ私!


自分に飽きれつつもう一度寝転がる。

どうやら私が寝ている間も殿は来なかったみたいだ。


どうして来てくれないのよ。

私はここで待ってるのに。


そう思っているとふと小夜子の言葉を思い出した。


『考え方が受け身なのよ! 向こうがモーションかけてくるまで待ってたら何にも始まらないでしょうが』


受け身な考え方。

今の状態にピッタリだ。


遠くで見ているのは嫌だと思ってるくせに行こうとはしない。

自分からは何もしようとしないくせに向こうがしてくれなくて不満に思ってる。

挙句の果てに自分の本心まで揺らいでしまって……


私は立ち上がってお屋敷へ走った。



会いたいと思ってるのは私なんだ。

そばにいたいのも私。

全部私が思ってる事なんだから自分からぶつかっていかない限り何も始まらないんだ。


前までは何も考えずに殿にぶつかってたじゃない。

好きだって自覚した途端弱気な考え方。

私は好きになると受け身になるタイプみたいだ。


でもそれじゃダメ。

内藤さんにはハッキリ言ったじゃない。

それに変な子だと思われたっていいじゃないか。

てゆうか既に殿には散々変な所見せてるし。


「当たって砕けろ、よ!」




目的の後ろ姿を見つけ足を速める。

隣には民部君と知らない人がいるけど、そんなの関係無い。


「殿!!」


叫ぶように呼びかけると彼は驚いた様に振り返った。

周りの人たちも走ってくる私を何事かと見つめている。


「ラ、ライ? どうしたのだそんなに息を切らして」


驚く彼の正面に立ってその顔を見つめた。


さぁ、勇気を振り絞って!


「明日、あそこでずっと待ってるから」

「……」


何も言わず目を見開く彼の反応で、私が何を言いたいのかは分かってもらえてるみたい。


「待ってるからね」


それだけ言って私はまた走ってその場から離れた。


返事はいらない。

本当に明日来てくれるかは分からないけど、それでも私は待ち続けてやる。



それを望んでいるのは私なんだから。




*************


頬に冷たい感触を感じる。


「ライ」


ゆっくり目を開けるとそこには私の頬を撫でる殿の姿があった。


「こんな所で寝ていては風邪を引く。それにこんなに薄着で」


起き上がると、私の髪に付いた葉を優しく払いながらそう呟いた。


正直昨日はあんな風に強気で行ったけど、気まずいままずっと喋ってなかったから前みたいに喋れるのか不安だった。

心配してくれる殿に嬉しさが混み上がる。


「風邪を引くなんて一番貴方に言われたくない言葉」

「それもそうだな」


お互い笑顔になり、ふと殿の顔を見る。

昨日は良く見えなかったけど、目元に薄っすらクマができていて少し顔色も悪い。


「大丈夫?」


そっと殿の頬に触れながら尋ねる。

彼は目を細めて笑った。


「ああ、心配ない。久しぶりにライと会って元気が出た」


その発言に思わず顔が赤くなる。

なんでそういうことをこのタイミングで平然と言っちゃうのよ!


「そうね。そうなこと言えるなら大丈夫よね!」


恥ずかしくなって、殿の頬を軽く叩いて手を引っ込めた。

そんな私を見て殿はクスクスと笑っている。

そして私の隣に腰を下ろした。


「美しいな」


そう呟いた殿があの満月の夜と重なる。

心なしか肩の力が抜けた様に見える彼に私は笑顔になった。


「約束破るのかと思った」

「破れぬよ。ライとの約束だ。昨日言い逃げして行ったのには驚いたが、あれだと本当に針千本飲まされてしまいそうだからな」

「残念。小夜ちゃんに用意してもらってたのに」


いたづらっぽく笑うと、殿は「それは恐ろしい」とケラケラ笑った。


まるで桜が咲いていた頃に戻ったみたいだ。

あの時は毎日のようにここに来てこんな風に殿と笑いながら話していた。

ほんの数ヶ月前の事なのにもう何年も前のことみたいに懐かしく思える。


「そういえば、隆世がまたライと話をしたいと言っていたな」

「内藤さんが?」


そういえば内藤さんともあれから会ってない。

もう一回ちゃんと会ってお礼言わなくちゃなぁ。


「私も内藤さんに用事があるから丁度いいね。いつがいいのかとか聞いてないの?」


何気なくそう言いながら殿を見ると、何故か不機嫌そうな顔をしている。


「どうしたの?」


何か機嫌をそこねることを言ってしまったのだろうか。

不安に思いつつ殿を見つめていると、彼はぼつりと呟いた。


「随分親しくなっているのだな」

「へ?」


親しくって内藤さんと私が?


「一度しか会っておらぬのに随分仲が良いのだな」


いや、まぁ実際には話をしてもらったから二回なんだけど。

それに多分向こうはただ心配してくれてるだけだと思う。


「そんなことないよ。内藤さんはただ噂とかあって心配してくれてるだけ」

「……」


参ったなぁ全然納得いってない顔だよ。

うーん……なんて説明すればいいんだろう。

戦の話を聞いたってことはまだ知られたくないしなぁ。


どうしたものかと悩んでいると、ふと殿の表情が変わった。

それはあの気まずくなった時に浮かべた悲しそうな顔。


「すまぬな。私がこんなことを聞くのはおかしいな」


あぁ、あの時と同じだ。

ズキリと胸が痛む。


もうあの時みたいに気まずくなりたくない。

私から歩み寄るって決めたんだ。


「あの……」

「ライは元の世界に戻りたいか?」


何か言おうと口を開こうとしたら、殿がそう言って私を真っ直ぐ見つめてきた。


一瞬何を言われたのか分からなかった。

何で今そんな事聞いてくるの?


訳が分からなくてただ殿を見つめる。

すると彼はそっと私の髪に触れた。


「私の知り合いにライの助けになりそうな者がいる。ここから少し遠いが会いに行ってみるか?」


殿の言葉に目を見開いた。


正直この時代でタイムスリップの事が分かる人が居るとは思ってなかった。

現代でさえアニメや漫画での出来事なのにこんな昔にその術があるものなの?



ふと殿の瞳が一瞬揺れた気がした。

それで私は理解した。


「知り合いって何処の人なの?」


そう尋ねると殿はゆっくりと髪を撫でる。


「九州だ」


九州といえば殿の生まれの家がある場所。

それに陸続きになっていないから多分一度行けばそうそうここには戻ってこられない。


殿は私をここから遠ざけようとしている。


本当に私の助けになってくれそうな人が居るのかは分からないけど、これを口実に私がここを離れればいいと思ってるんだろう。

きっともうすぐ元就さんが動き出すから……



「帰りたい、とは今も思ってる」


私は真っ直ぐ殿を見て言った。

髪に触れる彼の手が一瞬震えた。


これは私の本心。


殿のことは好き。

離れたくない。

だけど心の端っこでは今でも両親や小夜子、秀の存在を忘れられない。

『帰りたくない』と言えば嘘になる。


「そうか……。ならば隆世に話をーー」

「でも」


立ち上がりかけた殿の服を掴んで止めた。


内藤さんの名前が出て内心で苦笑を浮かべる。

きっと殿にも私に言ったのと同じ事を言ったんだろう。

内藤さんは相当世話好きな人みたいだ。


「でも私はまだここにいたいの」


殿の目が大きく見開かれた。


キュっと手の力を強める。

私の気持ち、ちゃんと殿に伝えたい。

ううん、伝えなきゃ。


「帰りたい。でもね、それよりもここにいたいの」


帰りたい気持ちよりも勝る殿の側にいたい気持ち。

殿の側にいて私が何か助けになるのかなんて分からない。

ここにいていいのかなんて分かるはずない。


それじゃあ私がここにいるのは自分がいたいからでいいじゃないか。


このままここを離れたら絶対に後悔する。

何であの時自分の気持ちを押し殺しちゃったんだって。


そんな思いしたくない。

もう受け身な恋はしたくないから。


「だから私はここを離れない」


殿は何も言わずただ私を見つめている。

そして服を掴んでいた私の手をそっと解いて優しく握った。


「そうか」


俯いた殿の表情は髪に隠れて分からなかった。

だけど、呟いた声はとても穏やかで優しい。

手を強く握り締めてることから私の気持ちが伝わったのだと思った。


それが嬉しくてぎこちなくだけだ彼の手を握り返した。



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