18.贈り物
「随分髪が伸びたな」
梅雨に入り雨が多くなった頃。
今日は珍しく晴れて、久しぶりに林へ来ていた。
その言葉は隣で寝転んでいた殿が私の髪を触りながら言ったのだ。
「そういえば……」
ここに来た頃は確か肩につくかつかないかぐらいの長さだった。
今は鎖骨にかかるくらい。
起き上がった殿は何か面白いことを思い付いたようにニヤリと口角を上げた。
「そういえば最初に見たときは男子と間違えたな」
「余計なこと思い出さなくていいの!」
「そうか?」
楽しそうに笑う彼につられて私も口元がほころんだ。
殿に助けられて目覚めた日。
私が酷い事を言ったと謝ると、彼は目を丸くしたけど直ぐに優しい目で頭を撫でて「ライが謝ることではない」と言ってくれた。
恥ずかしくて結局今日まで好きだとは言えていないけど、あの日から私の周りで少し変わったことがある。
1つは百合さんのこと。
会えば嫌味を言ってきていた百合さんが最近全く話し掛けてこなくなった。
一度井戸でばったりと会ってしまった時にはすれ違いざまに「ごめんなさい」と小さく謝られた。
多分私が崖に落ちたのは百合さんが何らかの形で関わっているのではないかと思う。
でもそれは私の勝手な推測だし、例えそうであっても百合さんは私に謝った。
あの事をなかったことにして百合さんを許すほど私は人間が出来ていないけれど、百合さんのことについては私からは何も言わないでいてあげようと思っている。
そしてもう1つ。
「いつまで髪の毛触ってるの?」
「ん?」
殿が最近決まって私のどこかに触れるようになった。
それは肩だったり背中だったり。
どこかは決まっていないけど毎日必ず一度は触れてくる。
ベタベタとかそういうのじゃなくて軽く触れる程度。
別に嫌とかじゃない。断じてそんなことはないんだけど……
「別にいいではないか。減るものでもないのだから」
ドキドキし過ぎて今にも心臓が止まりそうなんですよ!!
殿が好きな私にとっては軽く触れられるだけでも心臓がこれでもかってほど暴れる。
すっごく嬉しいんだけど私の心臓的にはもう少し頻度を減らして欲しい。
「ライは髪をまとめないのか?」
私の悩みなんて全く気づいていないであろう殿は髪を指に絡めて遊んでいる。
「仕事の時に邪魔になるだろう」
「そりゃまぁ……」
そういえば小夜ちゃんにもくくらないのかって聞かれたな。
そのときはまだ肩についたぐらいの時だったからいいって言ったんだっけ。
「でも結ぶにしても何も持ってないから出来ないのよ」
小夜ちゃんに頼めば貰えそうだけどあの子は自分の分まで全部渡してきそうだからちょっと遠慮したい。
「それにまだ長いって程じゃないし」
ハハハと笑ったけど殿は一緒に笑ってくれず、何か考えているような表情を浮かべた。
「どうしたの?」
「ん? いや、何でもない」
「そう?」
殿は直ぐに笑って私の髪をまた触りだした。
そんな彼の行動に少し疑問を感じたがそんなことは直ぐに忘れてしまった。
それからこの話題が出ることはなかった。
**********
「あれ? いない」
次の日、いつもの時間に林へ来ると殿の姿がなかった。
何で今日はいないんだろう?
最近ずっといたのに。
あの事故以来殿は毎日のようにここにいた。
必ず私が来る前にいる。
こんなに頻繁にここに来て大丈夫なのかと思う反面、彼が来てくれていることが物凄く嬉しいかった。
すれ違い気味だった彼と必ず毎日会えるのだ。
恋する乙女としては胸が踊らないわけがない。
が、それと同時にいなかった時のダメージも半端ないようだ。
私は仕方なく小夜ちゃんの元に向かうことにした。
「小夜ちゃーん」
私が駆け寄ると小夜ちゃんは振り返ってニッコリと笑った。
「蕾様ではないですか」
「仕事終わったところ?」
「はい。夕食の準備までは特に何もありませんよ」
「そっか。じゃあちょっと付き合ってくれない?」
「ええもちろん」
私たちは近くにある木の側までいって並んで座った。
「今日も林へ行かれていたのでは?」
「うーん。それが今日は殿がいなくて」
ってこの言い方だと殿に会いに行くために行っているって言ってるみたいだな。
まぁ間違ってはいないんだけど。
でも小夜ちゃんはそれを冷やかす訳でもなく何かを言うわけでもなくただ「そうなんですか」と笑っている。
多分この子は分かってないんだろうな……
「殿なら今日は屋敷にいらっしゃらないと思いますよ」
「へ? そうなの?」
「ええ。確か町の方へ民部様と行かれているとか」
知らなかった。
そうか、だからいなかったんだ。
「でも何で小夜ちゃんそんなに詳しいの?」
「噂を聞いたので」
小夜ちゃんの噂系の情報網は凄いなと最近密かに思ってきた。
「殿が町に行くのはよくあるの?」
「いいえ。滅多にありませんね」
じゃあ何で今日は行っているんだろう。
「何でもな陶様がお帰りになられるからではないかと」
「陶様?」
あれ?どこかで聞いたことあるような名前だな……
「殿の重臣のお一人です。先の戦でご出陣なされていて近々御戻りになられるそうです」
そっか思い出した。
現代で秀が言っていた話の中に『陶』という名前が出てきた。
確か、
殿を『傀儡』にした人。
「近々っていつ頃なの?」
「さぁ、私も詳しくは。でももうこちらに向かっているそうですから直ぐだと思いますよ?」
「そっか……」
どんな人なのだろうか。
彼を操り人形にするような人、想像しただけで沸々と怒りが湧き出てくる。
いったいどういうことがあって彼を傀儡なんてものしたのだろうか。
小夜ちゃんが夕飯の支度に向かったので私はもう一度林へ行くことにした。
何だか無償に殿の顔が見たくなった。
「別に深い意味はないのよ。ただよく分からないけど見たいだけ。そうよ、毎日見てたから今日1度も見ないのが変な感じがするからだけなのよ!」
なんて誰に対して言っているのか自分でも分からない言い訳を呟きながら恐る恐る林へと入っていく。
「おぉ、ライではないか」
後ろから声がして慌てて振り返るとそこには殿が微笑んで私を見ていた。
不意打ちでいきなり現れるのは反則だ。
驚きと違う意味で胸がドキドキしている。
少し会うのが遅れただけでこれなんて私重症なんじゃないだろうか。
赤くなった顔を俯いて隠しながら私は本気で自分が心配になった。
「ど、どうしたの? こんな時間に来るなんて珍しいじゃない」
あぁ、言い方が刺々しい。
テンパって正直何を言ったらいいか分からなくなっている。
「今日は少し出ていてな。遅くなってすまん」
「別に待ってないわよ。あんたなんか」
私はどこのツンデレ女子だ!!
何でこんな可愛くないこと言っちゃうのよっ。
「そうか」
でも殿は笑って私の頭を撫でてくれたのでホッとした。
少なくとも今の私の発言で彼が気分を害した様子はないようだ。
「手を出して目を閉じてくれないか?」
「は?」
いきなしそんなことを言われて私は口を開けたまま彼を凝視した。
今何て言った?
手を出して目を閉じろ?
「な、ななな、何でよ?!」
真っ赤になりながら私は後ろに退いた。
何おかしなこと言っているんだこの人は!
そんなこと「はい、そうですか」って疑いなくする人なんていないでしょ?!
「何だ? ライは何を想像しているんだ?」
ニヤリと悪そうに口角を上げた殿は私との距離を縮めてきた。
「そ、想像? 何を仰っているのでしょうか」
「言葉遣いがおかしくなっているが?」
「うっ」
逃げようとしたけど運悪く後ろに大きな木があって逃げることが出来なかった。
それをいいことに彼はあり得ないくらい近くまで顔を寄せてきた。
「で、何を想像してたのだ?」
どちらかが少しでも動いたら唇が触れてしまいそうな距離。
思わず殿にキスされたときの事を思い出してしまい、一層顔が真っ赤になって心臓がバクバクと鳴り響く。
でも私なんか変な期待してる。
もしこのまま彼が私にキスしてくれたら何て考えてる。
そう私は彼にキスされたい。
彼とキスがしたいんだ。
そんな衝動が身体中に沸き上がって、私は彼を真っ直ぐ見つめてゆっくりと目を……
「くっ」
いきなり殿が吹き出した。
「すまんすまん。あまりにもライが面白い反応をしたのでついやり過ぎてしまった」
彼は笑いながらポンポンと私の頭を撫でて離れていった。
へ? 何? どういうこと?
私は状況を理解出来ないまま呆然と彼を眺める。
すると殿はニヤリと笑って。
「何を考えていたんだ、ライ?」
そのしてやったりみたいな顔を見て、カァーと顔が赤くなる。
こ、こいつ!
私の反応を見て面白がってるの?!
しかも私の考えていたことなんてお見通しみたいな顔して!
私は余計なこと思い出して変な期待までしちゃってたのよ!
私のピュアな純情を返せ!
「何言ってるのよ! 人で遊ばないでよ馬鹿!!」
涙目になりながら叫んだ私を彼は笑いながら頭を撫でて機嫌を直そうとする。
子供扱いじゃん。
ムスッとしたけど彼に撫でられて機嫌が治りかけてる自分がいるんだから呆れてしまう。
「機嫌は直ったか?」
「それ聞く?」
スッカリ機嫌が直った私を確認して彼は手を離した。
それが名残惜しいと思ったのは私だけの秘密で。
「で、手を出して目を閉じてもらいたいのだが」
「それ真面目に言ってたの?」
「勿論だ」
ここでまた彼の言うことを聞かなかったら次は何をされるか分からないので、私は仕方なく従うことにした。
「まだ?」
「まだだ」
「もういい?」
「もう少し」
私の手の上に何かが置かれた。
「いいぞ」
そう言われて目を開ける。
手の上の物を見て私は目を見開いた。
「これ……」
置かれていたのは髪飾りとリボンだった。
リボンは多分髪をまとめるためのもの。
小夜ちゃんが使っているものとよく似ている。
そして髪飾りは。
「ライの名前と同じものだろ?」
桜の髪飾りだった。
「何で……」
「昨日結うものがないと言っていただろう? たまたま町へ行ったときに売っていたのだ」
彼を見るとそっぽを向いている。
でもその横顔が少し赤い。
たまたまなんて嘘。
昨日の話で私の為に買ってきてくれたんだ。
「そんなに高価な物ではないし、ライが気に入らぬというのなら捨ててもいい」
気に入らないなんて……
「そんなことをするわけないじゃない」
高価な物なんていらない。
私にとっては例え紙1枚だとしても彼がくれた物ならどんなものでも宝物になるんだから。
「嬉しい。ありがとう」
彼が私の為にしてくれたことが嬉しい。
私の本当の名前を覚えていてくれたことが嬉しい。
「大切にする」
笑顔でそう言うと、殿も嬉しそうに笑ってくれた。
この上なく幸せな、そんな時間だった。




