私とワタシのはなし
これは私の子どもの頃の話。
初めて買ってもらった人形はとても小さくて一指し指にはめて遊ぶ指人形だった。
人差し指がすべて隠れて、洋服の部分は私のお気に入りの服に似た青いワンピースみたいな形をしている。髪はとても綺麗な金色で外国のお姫様をイメージしているようでうれしかった。私、外国の女の子に憧れてたから。
残念ながら指の部分は動かせなくてオママゴトをするのはちょっと無理があったからよくお話をした。
人形に名前はなくて私は童話に出てくるお姫様の名前を付けて遊んだ。指にはめて、関節をうねらせたり、ピンと張ったりさせて。
「あなたの名前は――そうね“アリス”なんてどう? とってもかわいいわ」
周りの女の子が持っているような物はお母さんたちは買ってくれなかった。だからこそ、お母さんが初めてくれたこの“アリス”はとても大切なものになった。私と唯一一緒に遊んでくれる私のお友達。
学校から家に帰ってはすぐにお話をした。だってカバンから出して先生に見つかったら取られてしまうかもしれないから外では出せなかった。
「こんにちわ、アリス。今日も学校はつまらなったわ。なんでだと思う? 今日もヒカリちゃんたちに言われたの。“男の子にチヤホヤされて調子のってるんじゃないの”って」
私はチヤホヤとかよく分からなかった。だって、まだ小学生になって二年しかたってないんだもの。周りの子は少しマセている子が多かった。
確かに私の周りにはよく男の子が多かった。でも、みんな私だけに優しかったなんて微塵も思わなかった。だって、“友達”に優しくするのは当たり前だから。
『あら、あなたはヒカリちゃんたちに言い返さなかったの?』
「ううん。前に言ったのよ。“調子になんて乗ってないわ”ってね。そしたらヒカリちゃん。いきなり先生に私がいじめたって、泣きながら言うの」
『それは酷いね。許せないね』
「でもね、私は怒っちゃいけないの。お母さんが言ってたわ――問題起こすな、って。ヒカリちゃんってば、ずっと泣いてるの。それで私が悪いって言うの」
『あなたはヒカリちゃんたちのこと“キライ”?』
「うん。嫌い」
そして、私は深い眠りについて、ヒカリちゃんが泣く姿が夢でもう一度浮かんだ。
ヒカリちゃんが泣いてしまった日に学校からお母さんに電話が掛かってきたのを知っている。お母さん、とても謝っていた。誰もいない壁の前で何度も何度も頭を下げていた。
私はアリスに今日の出来事を話すとどういうわけかとてもスッキリした。泣きそうになってもアリスに話しかけたらとてもスッキリしたのを覚えている。
その頃より少し前からお父さんにお母さんがよく殴られていた。お母さんは泣きながら必死に謝っていたけど、なんで謝っているのか分からなかった。でも、小さかった私はきっと私が悪い子だからお母さんが代わりに殴られているんだと思った。だから私はなるべく学校でも静かに過ごそうと思った。でも、お母さんが泣く姿はもう一度見たかった。
静かに過ごす事が出来たのはヒカリちゃんたちが私に突っ掛ってこなくなったことも理由の一つで、それから一か月後彼女たちは事故で亡くなった。
「――さん。最近元気ないけど大丈夫?」
学校の担任のヒトミ先生。私のことを気遣って声をかけてくるようになった。私はなるべく喋らないようにするため無理やり笑顔を作って何もないようにふるまった。
「そんなことないですよ。お気遣いありがとうございます」
「そう? この前ヒカリちゃんたちとケンカしちゃって元気なくしちゃったのかなって思ったけど仲直りできたのね」
「……はい! もう仲直りしました。もうケンカなんてしません」
ケンカなんてしていないけど、それを言ったらまたお母さんに怒られる。だから、私は笑顔をつくった。
「あっ、先生。こんなところにいたんですか。探しましたよ」
「実先生! ど、どうしたんですか」
実先生。となりのクラスの先生でとても爽やかな男の人だった。子どもの私から見てもかっこよかったと思う。
「いえ、今日はこのあと二年生の担任教師の集まりがあるので探しに来たんですよ」
「そうでした。すいません、今行きます」
ヒトミ先生は実先生の前ではとてもアタフタしていた。好きだったんだろう。歳も近かったはずだし、好きになっても仕方がなかったと思う。
ヒトミ先生は私のことをすっかり忘れて職員室に戻っていった。私は教科書をカバンにいれ、帰ろうとした。
「あっ、確か――ちゃんだよね。ヒトミ先生に聞いたよ。ケンカしたら仲直りしないとね」
「はい。先生に言われました。もう大丈夫です。仲直りしました」
「じゃあ、困ったことがあったら僕にも相談していいからね。僕は君たちの先生なんだから」
実先生は私の話を聞いているようで聞いていなかった気がする。だってその時の先生の目線は私の目線に合わなかった。少し、顔よりも低い位置だった気がする。
『その先生、なんか怖いね』
「うん、そうなの。それからよく学校の廊下で声かけられたりするし。爽やかなんだけどね」
『その先生って、隣のクラスの先生なんだよね』
「うん。でも、よくヒトミ先生に用事があるみたいでよく来るんだ。ヒトミ先生と実先生って付き合ってる? みたいなんだ。周りの男の子がいってたの。私、付き合うってよくわからないんだけど」
『お父さんとお母さんみたいな関係になるってことじゃないのかな』
「じゃあ、二人は結婚するのかな?」
そんなのアリスに聞いてもわかるはずがないのに。アリスの声はもちろん私なのだがアリスと喋っていると本当に友達と喋っているような感覚になった。
『でもね。私はそうは思わないな。むしろ、あなたが気を付けるべきよ』
その時の言葉は本当に私が思っていることなのかよく分からなかった。そして、アリスとそんな話をしてから少したった頃、私は実先生に犯された。
実先生が声をかけてくるようになってから少したった日、ヒトミ先生から悲しい出来事が伝えられた。
「みんな、驚かないで聞いてください。き、昨日、ユリコちゃんとミナミちゃん、そしてヒカリちゃんが事故で亡くなりました」
先生の声はとても震えていたがしっかり聞き取れた。
子どもの私たちが驚かないわけもなくクラス内はパニックになった。他のクラスも同様で、隣のクラスからも騒ぎ声が聞こえた。結局、泣きやまない子が多く授業にならないため校長先生やいろいろな先生が体育館に生徒をまとめて呼び出した。
さらに、親も呼ばれヒカリちゃんたちがどういった経緯でそうなってしまったのかを説明した。どうやら、三人とも塾の帰り道で横断歩道に信号無視の車が突っ込み、三人を巻き込み壁に突き刺さってしまったらしい。
「――ちゃん。大丈夫かい?」
声をかけてきたのは実先生。この前私があの三人とケンカをして仲直りしたばかりだからショックがデカいと思い声をかけてきたのだろう。
「はい。びっくりしていますけど、大丈夫です」
本当に思っていたよりもショックはなく、ただ居なくなってしまったという事実だけを受け入れていた。
「そうか、――ちゃんは強いね。先生は担任じゃないけど、やっぱり知っている生徒がしかも隣のクラスの子だし、受け入れがたいよ」
「それなら、ヒトミ先生はもっとつらいと思いますよ。実先生が付いていてあげた方がいいですよ。私は大丈夫なので」
そう言うと、実先生は苦い顔のままヒトミ先生が座っているパイプいすに近寄り、手を握って何かを話していた。ヒトミ先生はただただ涙を流し、震えていた。
ヒカリちゃんたちが亡くなってから半月がたち、学校も少し落ち着いた頃、完全に元気のなくなっていたヒトミ先生も元気をだいぶ取り戻していた。きっと、実先生が支えてあげたんだろう。
「――ちゃん。おはよう」
「おはようございます。実先生」
「今日も可愛いね」
この頃から実先生は私によく可愛いや綺麗などと言ってくるようになった。実先生がいう“可愛い”や“綺麗”は親が言う“可愛い”などとは違った。先生の目は私の体を舐めるように見るようになった。いや、前からその視線は感じていた。初めて教室で喋った時、私の目を見ないで私の四肢を見ていた。その時はあまり感じなかったが最近は前よりもじっと見られているような気がした。
「そんなことありません。でも、ありがとうございます」
「そうだ、今日――ちゃんは自宅訪問があるよね?」
「はい」
「それね。実はヒトミ先生が今日体調を崩してしまってね」
「自宅訪問は延期ですか。わかりまし……」
「僕が行くことになったんだ」
何故? と思ったがすぐに実先生が喋りだした。
「今日、――ちゃんの家にいけないと、他の子に家に行くのも変えないといけなくてね。でも、一人のためにクラス皆の予定を変えるわけにはいかないんだ」
とても、それらしい理由を言ってきた。子どもの私には納得できるには十分の理由で私は納得した。でも、それがイケナカッタ。
「今日、先生のクラスの方の面談もあるから少し遅くなるんだ。さらに、――ちゃんの家には今日行く僕のクラスの子の家と方向が反対でね。学校にいてくれたら一緒に家に行けるんだ」
「じゃあ、私は学校にいた方がいいのですか?」
「そうしてくれるとありがたいな。――ちゃんの家の場所、詳しくは分からなくてね」
そういって、実先生は私に午前の授業が終わったあと、すぐに自分のクラスの自宅訪問に行ったらしく、三時過ぎには学校に戻ってくるらしい。その頃にはほとんどの生徒は下校しており私は教室にいた。
『今日は学校にワタシを連れてきてくれたのね』
「うん。午前中で終わりだったし、持っててもいいかなって思ったんだ」
『このあと、実先生と家に帰るの?』
「うん。そうだよ」
『そっか。気を付けてね』
そんなことをアリスと喋っていると実先生がやってきた。
「やあ、ごめんね。少し遅くなったよ」
実先生は教室のカギを閉めた。
「いえ、大丈夫です。でも先生、何故カギを?」
そこで先生に口を掴まれた。
「ああ、やっと二人っきりだ」
いつものように爽やかに泣きながら笑っていた。私は口を塞がれ、しゃべれなかった。
「ごめんね。でも、こうしないと君は叫んでしまうから。びっくりしたろ? 僕はね、ずっと君が気になっていたんだ」
教室のカーテンはすでにほとんど閉められ、外からも見えない。
「君は。いや、ヒトミ先生も他の人も僕はヒトミ先生と付き合っていると思っただろうね。でも、違うんだよ! 僕は君みたいな小さいのにどこか周りより大人びた子が好きなんだ。初めて君を見たとき思ったよ。この子は他と違うってね。ヒトミ先生よりも全然しっかりしているし、同じ学年の子よりも大人らしさがあった。僕は君に惚れてしまったんだ」
実先生は私が抵抗しなくなったのを理解すると口から手を離した。
「私はそんなに周りと違いますか。先生はこんな小さな私を好きになるんですか」
「ああ、歳なんて関係ないんだ。好きになってしまったらね。君は他とは違う。容姿も声も中身も周りを圧倒的に凌駕した女性だ」
確かに私の周りにはよく男の子がいた。でもそれは同年代の男の子であって、大人が好きになるほど綺麗なわけではない。つまり、この人はただ私をたまたま好きになってしまっただけで私がすごいわけではない。
「ごめんね。今から家に行きたいんだけどこんなチャンスもう二度とないから……」
そう言うと、その人は私にキスをした。口の中に舌を入れ、私の歯ぐきや奥歯を舐めた。感想はただ気持ち悪い。それだけ。さらに右手はふくらみがあるかどうかわからない胸部を撫で、左手は自分の股間の方へ伸ばしていた。服の上から触る右手はするりと服の中へと忍び込ませ、胸を触ってきた。感触なんてないし、少しうるさくなった呼吸が顔に降りかかり、身震いがした。首を舐め、汗を舐め、口を吸ってきた。左手はさっきからその人の局部のモノを上下に手でさすっては、私の足にこすり付けていた。今日はショートパンツなどではなく青いワンピースだったため下半身の下着部分に今度は右手が移動していた。下着を撫でては股のあたりを擦るように触ってきた。ワンピースを脱がしてきたあたりからさらに息は荒くなっていた。
怖い。私は思った。お父さんがお母さんを殴っているのを見たときも怖いと思ったけど、今は私に向けられた行為。私だけを見て、私の体を見て私のすべてを犯そうとしている。
「大丈夫だよ。少し、痛いかもしれないけど優しくするから」
「すいません。その前にいいですか」
「ああ、なんだい?」
「ヒトミ先生は本当に病気なんですか?」
「ああ、そのこと。病気というより体調を崩しただけだよ。それは本当。理由はね、僕が彼女に言ったんだ。僕は君より好きな人がいるって言ったんだ。――ちゃんが好きだってね」
やっぱり、ヒトミ先生はこの人のことが好きだったんだ。私はそれを聞いて余計にこの状況から逃げたくなった。どうしたら逃げられる? アリスはちゃんと忠告したのに私は失敗した。
「じゃあ、もう入れるね」
『あなたはこの人のこと“キライ”?』
「うん。嫌い」
そう口にすると、私の目の前は真っ暗になった。
目を覚ますと、実先生は目の前にはいなかった。私は服をしっかり着て、教室を後にした。
家に帰っても実先生は来なくて、逆にヒトミ先生が来た。
「ごめんなさい。――さん。体調少し崩してしまったんですが、昼にはだいぶ良くなってね」
それから、ヒトミ先生とお母さんは少しお話をして、すぐに帰って行った。結局、実先生がどうなったかはその日には分からなかった。
実先生は事故で亡くなったらしい。事故のあった場所は自宅のマンションのエレベーターでドアに挟まれていたと男の子たちが言っていた。だから、それが本当かどうか分からないけど、最初に見つけた人がヒトミ先生だったという事を職員室で話す先生たちの声を聞いた。
「ヒトミ先生。大丈夫ですか」
「――さん。ええ、ありがとう。心配してくれて」
私は心配しているのかわからなかった。だって、この人が泣きそうな姿をみても、何も思わなかったのだから。
「無理しない方がいいですよ。先生は実先生と……」
「こんな話、子どもにすることじゃないけど。先生は実先生のこと好きだったの」
「はい。そうかなって思いました」
「大人なのね、――さんは。ヒカリちゃんたちがあんな事になってからあんまり時間立ってないのに」
ヒトミ先生は子どもの私に“強い”と言った。涙をぬぐいながら、震えた声で。
「先生知ってる? 実先生ね、私のことを好きだって言ったの」
ヒトミ先生の顔色が変わったのが分かった。きっと、言ってはいけないことだったのに、泣いている姿を見て私はもっと泣かしたいと思ってしまった。そんなコト今までなかったのに。
「実先生、怖かったですよ。いきなり教室で私の口を手で塞ぐのですもの」
「な、なにを言っているの? ――さん。急にどうしたの」
「それでね。私にキスしてきたの。怖かったなあ。身体をたくさん触られて気持ち悪かったです」
先生は私の顔を殴ってきた。右手で頬をパシッ! って。
「やめなさい。私を苛めて楽しいの?」
「楽しいっていうのはよくわかりません。でも、先生が泣いているのはもっと見たいって思いました」
先生だけじゃない。ヒカリちゃんやその周りの女の子、それにお母さんが泣いているのはもっと見たいと思った。
「おかしいわよ。あなたやっぱり、ヒカリちゃんの時もあなたが問題を起こしたんじゃないの?」
「ねぇ、アリス」
『うん。あなたはこの人“キライ”?』
「うん。嫌い」
それからヒトミ先生はどこかへ歩いて行ってしまった。涙を流しながら。
『最近、よくいろんな人が死ぬね』
「うん。なんか怖いな」
『怖い? 怖いの?』
「うん。だって最近、私とかかわった人が死んでいっちゃうんだから」
『本当にワカラナイノ?』
アリスは私の目を見て喋ってきた。私の声を使って。
『あなたが嫌いな人が消えていったんだよ。怖いの?』
「そうね。怖いけど、少し嬉しかったわ。私にはあの人たちはイラナイモノだから」
『そっか。私も嬉しいわ。――。あなたの友達はワタシだけよ。』
私はどこにでもいる普通の女の子。友達とあんまり遊ばなかったけど、私にはアリスがいた。いつだって、アリスは私の近くにいてくれた。
アリスは私がもらった最初のおもちゃで最初の友達。私の言うことをちゃんと聞いてくれる。
アリスといると私にとっていらない人は気付いたらみんな消えていった。
私はヒトの泣く顔が好きみたい。私に関わる人が泣くのを見るととても気分がいい。
『――。あなたはあの子のこと“キライ”?』
アリスは笑えないはずなのにいつも私に問いかけるとき笑ったような顔になる気がする。
「うん。嫌い」
そう唱えるとあなた達は知らない間に私の前から消えてくれるのだから。そして、消える前に一度だけ、みんなは私に涙を見せるの。
大人になった今でも私は思うわ。
あなたはどんな顔で泣くのかしら
とりあえず短編を書いて練習していこうと思い、浮かんだネタをジャンル関係なく書いていきたいと思います。よろしければ、感想や指摘をお願いします。