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龍神の生贄  作者: 水蜜桃
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微睡む

 思い返せば、前の晩から村雨を暗殺する支度ができていたのだ。幼い頃からの家来たちが揃いも揃って食べた汁物に当たって寝込んだせいで、雨乞いの護衛に行く面子が急遽入れ替えられた。

 見知った顔だという程度の十ほども年の離れた家来たちは、龍ヶ淵までの道程に慣れているからという理由で選ばれたのだと村雨は信じていたが、それが全てではなかったらしい。

(おれもずいぶん呑気なものだ)

 まさか身内に殺されるほど疎まれているとは思っていなかった。義母に好かれていなくとも、若様、若様と持ち上げられ、家来にはそれなりに人望があると勝手に思い込んでいた。

 昨日までの自分の自惚れを腹立たしく思い返す。

 そこでふと我に返る。

 物を考えることができるということは、自分はどうやらまだ生きているらしい。

 重く閉じたまぶたを開けると、薄闇が広がっていた。自分のいる場所を確認しようと身を起こそうとするが、叶わない。

 体が鉛を飲んだように言うことをきかない。かろうじて指先が動く。自分の寝ている敷布を撫でると、すべすべと心地好い感触がした。綿や麻ではない上質の絹の感触だ。

 しばらく宙を見つめていると、目が慣れてきて、薄闇の向こう側、広い天井が見えた。何か絵が描かれているように感じたので目を凝らしてみたが、そこまではっきりとは見極められず、ふう、と一息ついて諦めた。

 自分は生きている。

 でもここはどうも小石川の屋敷ではない。豪族とはいえしょせん田舎の武家屋敷。絹織物を敷布に使えるほどのゆとりはない。しかも部屋には香が焚かれている。高級な白檀の甘く爽やかな薫り。

 どこかの上流貴族の屋敷だろうか。

 なぜそんなところに自分がいるのか分からないが、とりとめもなく思い、鼻腔をくすぐるふくよかな芳香にうっとりとなる。今はもう難しいことを考えるのはよそう。自分はひどく疲れているのだ。

 そうしてまたうとうとと眠りかけた頃、幽かに軋む音がして部屋に光が差し込んだ。扉が開かれ誰かが部屋に入ってきたのだ。

 眩しい光の刺激で眠気から引き剥がされて、明るい方向を目を細めて見遣った。

 どうやら男性のようだった。

 入ってきた男と村雨の間には帳が下げられている。それで初めて周囲をちゃんと見回して、自分がとても豪奢な造りの寝台に寝ていることに気付いた。真綿をふんだんに使い絹織物を敷き詰めた寝台はそれこそ畳四畳分もある大きなものだった。

 その寝台を目隠しするために天井から下げられた一枚の大きな帳の向こう側に立った男は、静かにそれを捲り上げて姿を現した。

 都の貴公子のような典雅な出で立ち。一瞬化粧でもしているのかと見間違えそうな日焼けとは縁遠い白肌に、目許の涼やかな容姿端麗な青年だった。村雨が今まで見たどの男とも違う、垢抜けた美貌。村雨もその地方では一番の美丈夫と誰もが誉めそやしたが、自分が井の中の蛙だったと思い知る。

「ようようお目覚めか」

 感情を滲ませない低く静かな声音。

 返答をしようとするが喉が糊で貼り付いたように声が出ない。酸素不足の金魚のように口をパクパクさせる。

「厄介な薬を飲ませられたものよ。…これを飲むと良い」

 寝台に這い上がってきて村雨の首を片腕で抱き上げるともう片方の手に持っていた玻璃の水差しをその口に当てた。冷涼な水が渇いた口腔に流れ込む。水はほのかに桃の味がした。水差しから水がこぼれそうになる。咄嗟に手が動いたので、口許に当てられた水差しを自分でも支えようと青年の手に自分の手を重ねた。

 青年の手が温かかったので、妖怪の類いではないのだろうと無意識に安堵した。青年のあまりの美々しさに、人とは思われなかったからだ。

「か、かたじけない」

 ようやく出た声は自分の声とは思えないほどか細くかすれていた。

「礼は私にではなく、この館の主様に言え」

 てっきり彼がこの屋敷の主人なのだと思い込んでいた。それほど彼の雰囲気はここの空気に馴染んでいたからだ。

「…貴方はどなたなのです?…主様とは…?」

「目覚めてみたら知らないところにいて驚くのも無理はないが。質問よりもとりあえず今はもう一度眠ると良い。おぬしの頭を抱えたまま話し込むのも添い寝するのも御免被る。次に目が覚めた時には自分で起き上がれるようになるだろう、そうしたらおぬしの質問に答えよう」

 するりと腕を抜くと、青年は幼子を寝かしつけるようにそっと掛け布団をかけ直し、部屋の四方に柔らかな明かりを灯すと、するすると部屋を退出した。

 訳が分からずに村雨は天井を仰いだ。さきほど薄暗闇で見えなかった天井が目に飛び込んできた。天井一面に金箔が貼られ咲き乱れる花々とその中を舞う何羽もの色彩鮮やかな迦陵頻伽。首は美女、体は鳥という美声で法を説く極楽浄土に住まうという幻の鳥。その絢爛たる天井画に圧倒されて息を飲む。

 ここはもしやあの世で、やはり自分は死んでしまったのかもしれない、と。呆然とそのきらびやかな天井を見つめた。

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