#2:市場・グランドバザール(5)
じたばたと力のかぎり藻掻くが、体ごと押さえ込まれては身動きもできない。
ギラリと鈍い光をはなち、短剣が振り下ろされる。
「いやぁああ!助けて!!」
刃がイオに触れるまさにその時、誰かがジズの腕を捕まえた。そして、そのまま腕をギリギリと締め上げる。
「っああぁああ!」
ミシミシと骨がきしむ音が響き、苦痛にジズは身をよじる。
「まったく、手間かけさせてくれるぜ」
ため息とともに落ちてきた声に、おそるおそる目を開けると、あの男だった。
すんでの所で現れた彼はイオを見下ろし、呆れたように呟くと、ジズの手から短剣をもぎとった。そして、クルクルと器用に短剣をもて遊んでいたが、鼻を鳴らすと、指先に力をこめる。パキンと乾いた音をたて、あっさりと刃は二つにおれた。
壊れた短刀を投げ捨て、男は気怠げに呟く。
「つまらねぇな。殺しちまうか」
男の言葉にイオはとっさに声をあげた。
「だめ!!」
「けっ」
男は不機嫌そうに顔をしかめるも、思いの外あっさりとジズを解放した。
それでもイオに危害を加えられぬよう、ジズを壁に向かって投げ捨て、自らはジズとイオの間に立ちふさがる。イオを背にかばう形だ。
壁にぶつかり、くぐもった声をあげてうめくジズを一瞥すると、男はゆっくりとイオに顔をむけた。
――――っ、殺される!
とっさに両腕で顔をかばい目をつむったイオだが、予期していたような痛みも衝撃もない。おそるおそる目をあけてみれば、長身の男は身をかがめ、イオをのぞき込んでいた。
「はぁ。これが今度の主か」
うんざりと吐き捨てる。
間近にある、男の目。
その黒曜石の双眸には、強大な力と底知れない闇が広がっていた。
燠火のように赤い炎が瞬く。明らかに人ではありえない光彩だ。
――――あの石と同じだ。
「っ!」
ドクドクと心臓が早鐘をうつ。
(こわい・・・)
床にへたりこみ、ズルズルと後退する少女を見下ろし、男が呆れた声をあげる。
「あ?お前、何してんだ」
「う・・・」
あまりの恐怖に腰がぬけてしまったのだ。
「情けねえ」
言葉にならない声をあげるイオに、ため息をつくと男はふたたび問いをなげる。
「で、どうする?」
「え?」
「望みは何かって聞いてんだ」
――――望みは何か?
またこの言葉だ。
なぜこの男はイオの望みをきくのか。どうしてイオを助けたのだろうか。
そもそも、どうやってこの部屋に現れたのか。
ぐるぐると渦をまく謎、目の前でおこる信じられない光景に、頭の中は真っ白だ。
「イ、イオ・・・」
苦悶の声に目をやれば、部屋の隅、壁に背をもたれさせ、イオを見つめる暗い目があった。
血走った目。狂気の光。
「イオ、指輪を渡せ」
傷口がひらいたのか腕をかばいながらも、ジズの視線はじっとイオの左手、その中指にはめられた指輪に注がれている。
「ジズ・・・」
―――――ここには、いられない。
突きつけられた現実に、イオは瞑目する。
『望みは何だ?』
(望み。望みならば・・・)
のろのろと男を見上げ、イオは呟いた。
「わたしを、ここから、連れ出して」
男の外套がひるがえり、目の前が闇に包まれる。イオのかすれた声を聞くやいなや、男は少女を腕に抱えあげ、窓枠を蹴ると、夜空に飛び出していった。
バサバサと男がまとう外套が、羽ばたきに似た音をたてる。
いったいどんな魔法を使っているのか、黒い男はイオを抱え、すさまじい速さで飛んでいく。風がうなりをあげて吹き抜け。立ち並ぶ屋敷がシルエットとなって闇に浮かぶ。
足下には、家々にともる灯りが次々と通り過ぎ。
「う・・・」
ふいに、涙がこみあげ、止める間もなくあふれ出した。
「なんだ?」
突如、泣き出した少女に男は怪訝そうな表情を浮かべたものの、かまわず夜空を駆け抜ける。瞬く間に町の端、城壁を飛び越えると、
―――――その先には月明かりに照らされ、白く輝く砂漠が広がっていた。