#2:市場・グランドバザール(4)
気を失った少女にふらふらと歩み寄る人影があった。ジズだ。
腕を切ったのか、押さえた指の間から血が流れている。ジズはイオの傍らに座り込むと、暗い眼差しでじっとイオを見つめていた。とそこに、
「ジズ様!よかった。ご無事でしたか!」
「・・・ああ」
騒ぎを聞きつけ屋敷から飛び出してきたのだろう、使用人たちが顔をひきつらせて駆け込んできた。
「ジ、ジズさま、おけがを」
「いい、かまうな。お前たちは姉上を連れてきてくれ。長居は無用だ。今すぐ屋敷にもどるぞ」
「は、はい」
なおもジズを気遣う使用人をひき連れ、彼は重い足取りで帰還する。
その目には暗い狂気の光があった。
街の騒ぎが嘘のように、屋敷は奇妙な静寂につつまれていた。
自室の寝台に横たわり、イオは眠る。
突如、部屋の空気がゆらりと揺れると、寝台横にあの黒い男がたたずんでいた。
男が天蓋をめくり中をのぞくと、寝台には青白い顔をした少女が横たわっていた。
うなされているのか、眉間にしわをよせ、苦悶の表情を浮かべている。
「う・・・あ」
少女の口から、かすかなうめきがもれる。
男は堅い表情でじっとイオを見つめていたが、やがて諦めたかのようにひとつ首をふると、その細い手を取り指輪をはめる。そして、音もなく闇に消え去った。
―――――闇の中でイオはもがいていた。
恐ろしいほどの濃密な闇がイオを押しつぶそうとしている。
(いやだ。こわい。こわい。こわい)
手をのばしても何も見えず。伸ばした手さえも闇に塗り込められる。
自分が闇にとけていく恐怖にイオは叫んだ。
『誰か助けて!』
その瞬間、イオはハッと目を覚ました。
「ゆめ・・・」
あまりの生々しさに、少女は呆然と呟く。
喉がひどく渇いていた。体を起こすと、水差しを手に取り直接口をつけ、ゴクゴクと水を飲み干していく。
水はこの上なく甘く、喉を潤した。ポタポタと口元から雫がこぼれおちる。
何とはなしに目でおうと、イオの手元でキラリと何かが光った。
「!」
衝撃にイオは目を見張る。
「指輪、そんな・・・なぜ」
手から水差しが滑り落ち、床にぶつかり砕け散った。
―――――そんなばかな。
確かにあの時、男に投げつけたはずだった。そして男が拾い、ともに消え去ったはず。
その指輪が、なぜイオの指におさまっているのか。
驚愕に凍り付くイオに、戸口から暗い声がかけられた。
「気がついたんだね、姉さん」
「ジズ?聞いて、ジズ。目が覚めたらこの指輪がはまってたの!どうしよう、とれないわ!!」
「・・・なんで、選んだのはボクなのに」
コツコツと重い足取りで近寄ってくる弟に、いいしれぬ悪寒が走った。
「ジズ?」
「ぼくの物だ!その指輪はぼくの物だ!!」
ジズは叫ぶとイオに駆け寄り、寝台にひきたおす。
「や、やめて!ジズ」
「うるさい!!」
血走った目で睨み付ける弟の手には短刀が握られている。そして、ジズはイオの体に乗り上げ、左腕を押さえつけた。
「ジズ、何を・・・」
「・・・指を切る」
―――――本気だ。
ジズの目に宿る狂気の光に、イオは身を震わせる。