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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

その異才、英雄か怪物か※契約者はドスケベです

作者: キロ
掲載日:2026/03/30

 当てもなく、夜の街を歩いていた。


 今日1日、何をしていたのかはよく覚えていない。誰かと会っていた気もするし、ただ一人で時間を潰していただけかもしれない。記憶に残らない程度には、どうでもいい日だった。


 細い路地に入ったのは、近道のつもりだった。


 ビルの裏手の湿ったコンクリート。積み上がったゴミ袋や古い室外機の低い唸り。


 そこに、ソレはいた。


 最初に見た時、犬か何かかと思った。


 四つん這いに近い姿勢で、暗がりの中にうずくまっていたからそう思ったが、よくよく見れば違うと分かった。


 まず、でかい。


 犬にしては大きすぎるし、人間にしては形が違いすぎる。


 骨格の辻褄が合っていない。肩の位置も、腕の長さも、首の傾きも、全部どこかおかしい。皮膚は濡れたみたいに黒く光っていて、毛があるのかないのかすら判別しにくい。頭部らしき場所からは、左右非対称に裂けた口だけがやけに白く浮いて見えた。


 ソレがこちらを向いた。


 目が、あった気がした。


 次の瞬間には、地面を蹴る音すらなく距離を詰められていた。


 速い。


 脳がそう認識するより先に、体が横へ跳んだ。爪のようなものが頬の前を掠め、背後のコンクリート壁に深い傷を刻む。破片が飛んだ。

 遅れて、理解が追いつく。


 これに当たったら、普通に死ぬ。


 そう思った瞬間、胸の奥がざわざわした。


 必死で避けた。本当にぎりぎりで。当たれば死ぬかもしれない攻撃だった。


 ソレはもう一度飛びかかってきた。今度は腕だけではなく、全身を捻って噛みつくように来る。俺は半歩退き、肩を滑らせるようにしてかわした。


 かわせたと思った。


 熱い、と思うより早く、ぬるりとした感触が走る。


 左肘の上から前腕にかけて、深々と裂けて血が噴いた。


 壁に赤い筋が飛び散り、全身に痛みが駆け巡る。


 なのに、笑い声が口から漏れ出てくる。


「は、はは……っ」


 ソレが、低い唸り声を上げた。喉が潰れたみたいな音だった。


「いいな……おい、いいぞ」


 本気でそう思った。


 俺が、避けきれない。


 俺が、知らない。


 俺が、分からない。


 どうすれば勝てるのか、現時点ではまるで見当もつかない。


 最高だった。


 ソレは、足元を狙って低く滑り込んできた。飛ぶのではなく、這うように。視線が下がる、危ない。

 そう思った時には、もう膝裏に衝撃が入っていた。バランスが崩れ、転ぶ。

 倒れながら、頭だけは守る様に体を丸める。次の瞬間にはコンクリートに肩を打ちつけ、視界が一瞬白く弾けた。


 ソレの影が覆いかぶさる。


 右手に掴んだのは、たまたま転がっていた錆びた傘の骨だった。反射で振るが、手応えは薄い。硬い外皮に弾かれたみたいに、金属の方がひしゃげた。


「あー、そりゃそうか」


 殴っても効かなそうだ。というか、効いている感じがしない。


 俺とスパーリングした相手は、こういう気分だったのかもしれない。

  何をやっても届かないし読めない。崩れない上に手応えがない。


 さぞ、つまらなかっただろう。


 笑いがまた込み上げる。


 ソレの顎が開く。白い、やけに白い牙。そこだけが生々しい。口の中は赤黒く、粘ついた糸を引いている。噛まれたら終わりだろう。分かっているのに、目が離せなかった。


 俺は転がるようにして距離を取り、立ち上がる。

 左腕に力が入らない。現状使い物にはならないだろう。なら右だけでやるしかない。


 何か使える物はないかと、周囲を見る。


 狭い路地。ゴミ袋。自転車。ビルの非常階段。壁に取り付けられた赤い消火器の箱。

 頭を高速回転させ武器を、戦術を組み立てる。


 ソレが来る。


 速い。だが、さっきより少し見える。


 肩じゃないし腰でもない。動き出しの前に背中のラインがわずかに沈む、溜めがある。そこから考えられる方向は。


 真下。


 俺は壁際に寄り、わざと隙を見せれば食いついてくる。低く読み通り。

 右足で消火器の箱を蹴り割ると周囲にガラスが散らばった。

 ガラスに構わず、消化器を掴むと安全ピンを引き抜き、迷わず噴射した。


 白煙が怪物の顔面を包む。


 初めて、そいつが怯んだ。


 弱点は……目、あるいは口か?



「そこか?」


 笑う。

 全力を尽くさなければ辿り着けない目標。

 生存。


 ああ、笑わずにはいられない。


 白煙の向こうで、裂けた口が大きく開く。苛立ったように、あるいは苦しむように。


 俺は錆びてもろくなった非常階段の手すりを蹴り折って、反対側もある程度の長さになる様に力任せに捩じ切った。ところどころ腐食してもろくなっているが、ねじ切り、尖った金属だ。

 十分武器になる。


 いまだ怯んでいるソレに向けて、飛び込む。


 怪物の腕が振られ避ける、が、避けきれず頬を裂かれる。

 さらに踏み込む。怖い。

 怖いと同時に酷く興奮する。鼓動はうるさいし、笑いが止まらない。


 白煙の中で、ソレの口の位置だけが見えた。


 そこに、金属を突っ込んだ。


 柔らかい。


 初めて、確かな手応えがあった。


 ソレが暴れる。

 金属が折れそうになり、腕ごと持っていかれそうになる。俺はそのまま体重をかけ、壁に押し込んだ。喉の奥深くに。もっと深く。


 やがて、怪物の動きが鈍くなる。


 腕が遅れる。


 爪が空を切る。


 いける。


 俺は落ちていたコンクリートブロックを拾い上げ、突き立てた金属の柄尻を何度も叩いた。1回。2回。3回。感触が変わる。何かを砕いた音がする。ソレが耳障りな声を上げた。


「ははははははははは」


 世界が、鮮やかだった。


 痛い。熱い。血が出ている。息が切れる。死ぬかもしれない。だがそこには俺がいた。紛れもなく正真正銘全力を出した俺がいた。


 今まで何をやっても、どこか薄膜一枚隔てたみたいだった。


 けれど今は違う。


 呼吸一つ、筋肉の動き一つ、血の匂い一つ、全部が濃く感じる。


 ソレが最後に大きく痙攣し、ずるりと崩れ落ちた。


 黒い巨体が地面に沈む。裂けた口から泡立った血のようなものが流れ、ぴくりとも動かなくなる。


  そうして路地は静かになった。遠くで車の走る音が、どこかの店の排気が、ぬるい風に乗って流れてくる。


 俺は荒く息を吐いた。


 左腕から血が垂れ続けている。痛みはひどいし、立っているのも少しきつい。けれど、どうでもよかった。


 胸の内側が、奇妙に満ちていた。


 生きている、その実感があった。


 それと同時に、今この瞬間に死んでもよかった。

 むしろ、この幸福の中死ねるならそれでいいとすら思っていた。


 ああ、俺は今まで、本当の意味で生きてなんかなかったんだ。


 ただ上手くやっていただけだ。


 ほどほどに合わせて、ほどほどに応えて、ほどほどに退屈して、ずっと惰性で息をしていただけだ。


 でも先ほどの命のやり取りは違う。


 全てを賭けて全力を出した。ああ、最高だった。


「ああ……」


 笑みが漏れる。


「ああ、俺は」


 言葉にしようとして、そこで足音に気づいた。


 路地の入口。


 そこに、小柄な少女が立っていた。


 何かの制服姿だった。年は高校生くらいか、もっと小さいか。顔は青ざめ、肩は小刻みに震え、こちらを見て目を見開いている。視線は俺と、地面に転がる怪物の死体を何度も往復していた。


 逃げる気配はない。ただ、あまりの光景に足が止まってしまったみたいだった。


 俺は血まみれの右手をだらりと下ろしたまま、少女を見返した。


 少女はびくびくと怯えながら、かすれた声で言った。


「これ、貴方がやったんですか?」


 声の主をじっと見つめて。


「ああ、そうだが?」


 そう答える。


 すると少女は、びくりと肩を震わせ、喉の奥から押し潰したような悲鳴が漏れる。


「ひぃっ」


 情けない声だった。


 まあ、無理もない。


 自分で言うのもなんだが、今の俺は相当ひどい見た目をしているはずだ。左腕は裂けて血がだらだら流れているし、頬も肩も服も返り血で汚れていて息も荒い。そんな男が、訳のわからない怪物の死体の前に立っていて、そのうえこちらに声をかけたのだ。怖くないわけがない。


 俺は軽く手を上げて、できるだけ穏やかな声を作った。


「ああ、悪い。怖がらせるつもりはなかったんだ。君に危害を加える気もないよ。こんな怪物を見たら誰だってびっくりするよな」


 少女はおっかなびっくりという様子で、小さく喉を鳴らした。


「は、はい。あの、貴方みたいな化け物、初めて見ました」


「……ん?」


「そ、その死体は見慣れてるというか、し、しょっちゅう倒してるので怖くもなんとも、ないんですが、た、ただの人間が弱い個体とはいえ、ここ、殺しちゃうなんて、怖いとしか言いようがないです」


 言葉の意味を理解するまで、少し時間がかかった。

 血だらけの男より死体の方が怖いよな。そういう話だよな。


「そうだよな、訳わからんバケモンの死体見たらビック……」


 違う、今こいつなんて言った?


「ちょっと待て」


 思わず聞き返していた。


「今、聞き間違いじゃなけりゃ、これをしょっちゅう倒してるって言ったか!?」


「え、は、はいぃぃ」


「そんな見た目で?」


 少女は華奢で背も高くない上に、服の上からでも分かるほど細い。顔立ちは幼くて、中学生と言われても納得しそうなほどだ。少なくとも、さっき俺を殺しかけた怪物を、日常的に始末している側には見えない。


 俺がずいっと距離を詰めると、少女は同じだけ後ろへ下がった。


「やっぱり、俺を怖がってたんか。コレじゃなくて。」


「そ、そんな。怖いなんで滅相も……」


「いや、そりゃ怖いかもしれんが? 全身血だらけでボロボロになってる男だからなぁ。でもまあ、それはいい」


 怪物の死体を指さしてさらに問い詰める。

 

「これをしょっちゅう倒してるってどういう意味だ。しかも弱い個体だって? この俺が命を賭してやっと倒したのに?」


 荒く、激しい口調なのは理解していた。初対面の少女に向けるじゃあ無いが、止められなかった。


 だってそうだろう?


 ついさっきまで、俺はこの世界は退屈だと思っていた。

 ところが路地裏に怪物がいて、しかもそれを見慣れていて弱いと言う少女がいる。


 こんなもの、食いつかないわけがない。


 だが少女は俺の勢いに押され、またじりじりと後退った。壁際まで行きそうになってから、はっとしたように周囲を見回し、困ったように眉を寄せた。


「……というか、貴方がこれ倒しちゃったら、私はどうすれば?」


「どうって」


「あの人に、な、なんて言えばいいんでしょうか……」


 少女は半分泣きそうな顔で怪物の死体を見た。


「正直に、通りすがりの男の人に倒されてましたって言えばいいのかな。いや、絶対だめ。そんなの嘘だって怒られるに決まってる。本当なのに。え、でもこの人連れていけば信じてもらえる? いや無理無理無理、それはそれで何をどう説明すれば……」


 ぶつぶつと独り言をこぼし始める。


 おい、さっきまで俺を怖がっていたくせに、気づいたらそっちで悩んでるのか。怪物より、報告の方が問題なのか。


 少女はちらちらと俺を見上げた。目が合うたびにびくっと体を震わせるのに、視線を切れないらしい。明らかに挙動がおかしい。


 ほんとに俺が怖いらしいな。


 すると少女が、何かを閃いたように顔を上げた。


「あ!」


「なんだ」


「あ、あの! わた、私の式神になりませんか!」


「しきがみ?」


 シキガミ、式神か。陰陽師やなんかが使役する、あの式神か。


「そ、そうです。あの、そうすれば、あれを倒したのは私の式神ってことになるから、だから、私怒られなくなるので……」


 何を言っているんだこいつは、と普通の人間は思うだろう。


 だが残念ながら、俺は普通ではなかった。


 今まで創作の中でしか聞いたことのなかった言葉が、血と死体の匂いのする路地裏で、現実として口にされている。


「詳しく」


「えっ」


「その式神ってのはなんだ。契約か? どういうものだ」


 少女は戸惑い、目を白黒させる。

 そうだろう、自分でもあまりにおかしな提案だと理解してそれでも、とりあえず言ってみるかって雰囲気出してたからな。


 そんな提案に、前のめりにノータイムで説明しろって言われたら、提案した本人ですらびっくりするだろう。

 戸惑いを隠せない様子で、おずおずと説明し始めた。


「その、式神は、一度契約を結ぶとどちらかが死ぬまで契約は解除できません」


「ほう」


 死が2人を分つまでってか。


「結婚みたいだな」


「ひぇ!? けけけ、結婚? じゃ無いですよ!」


「んなこたわかってる。説明続けて」


 あなたが言ったんでしょ。と恨めしそうな顔をして続ける。

 

「基本的には、魔力のパスが繋がってお互いの心がわかるようになる、その程度の繋がりなんですけど……」


「心が分かる」


「は、はい。言葉がなくても意思疎通がしやすくなるというか……。動物とかと契約するのが普通なので、会話ができるようになるくらいの恩恵なんですけど、人間相手だと少し困りますよね。その……思ってる事が筒抜けになっちゃうので」


 困る、か。


 なるほど、確かに普通の人間なら嫌がるだろうな。他人と心が繋がり隠し事も何もなくなりプライバシーも、建前も、嘘も剥がされる。


 だが、そんなことはどうでもよかった。


 重要なのはそこじゃない。


 この少女は、怪物を見慣れておりこの非日常が日常となっている存在だ。

 その少女の式神になる。つまり俺もその非日常の一部になるという事だ。


 つまり、俺がずっと欲していたものが、向こうから口を開けて飛び込んできている。


「嫌、ですよね?」


 恐る恐る覗き込んでくる少女に、俺は即答した。


「嫌なものか」


「え?」


「むしろ大歓迎だ。望んでいたものが、そっちから飛び込んできてくれたんだぞ」


 少女は目をぱちぱちさせた。


 それから慌てたように手を振る。


「い、いやいやいや、でも何もかも筒抜けになるんですよ?」


「それがどうした」


「私の心の中だって覗けちゃうんですよ? 絶対に引きますよ? 良いんですか?」


「いいから方法は?」


「えっ」


「契約の方法だ。どうする」


 少女は完全に面食らった顔をした。引くとか、困るとか、そういう段階をすっ飛ばしているのだから当然だろう。だが、今さら止まる気はない。


 少女はしどろもどろになりながら答えた。


「そ、その、体液の交換です」


「体液」


「た、体液ならなんでも良いんですけど、キスが手っ取り早っ……」


 最後まで聞く必要はなかった。


 キス、の単語が聞こえた瞬間、俺は少女の肩を引き寄せていた。


 目を見開く少女の唇に、自分の唇を重ねる。驚きで固まった隙に、そのまま深く押し込んだ。柔らかい。細い肩がびくりと跳ねる。拒む暇もなく、舌を差し入れて熱を奪う。


 少女の喉から、変な声が漏れた。


 逃げようと身を引こうとしたのかもしれない。けれど力は弱く、途中でへなりと崩れた。呼吸の仕方も忘れたように、震えながら俺に縋るだけだ。


 その瞬間。


 頭の奥に、何かが流れ込んできた。


 熱に似ているが熱ではない。音に似ているが音でもない。誰かの心臓を、すぐ隣で握っているみたいな、生々しい感覚。


 そして、声がした。


 いや、声じゃない。言葉でもない。


 もっと直接的で、生のままの感情の洪水だった。


 (凄い凄い凄い凄い凄い凄い)


 (かっこいいかっこいいかっこいい)


 (何この人、何この人、何この人)


 (さっきから無理、見た瞬間から無理、死体とかどうでもいい、顔が良すぎる、血まみれなのに綺麗、かっこいい、息が、無理、好き、やばい、お腹の奥がきゅってなる、目が合った、腰が抜ける、助けて、待って待って待ってキスって何、こんなの聞いてない、うそ、舌、舌、だめだめだめ気持ちいい、気持ちよすぎる、こんなの無理、王子様すぎる、かっこよすぎて死んじゃう、好き、好き、好き、イっちゃう、キスだけでイっちゃう、え、なにこれ、むり、ぴゃあああああああ)


 離れた瞬間、少女の全身がびくんと跳ねた。


 まるで感電でもしたみたいに体を震わせ、顔を真っ赤にして、目をぐるぐる回す。そのまま俺の胸元に崩れ落ちた。


「ぴ、ぴゃー……」


 情けない叫びを最後に、少女は完全に気絶した。


 俺はしばらく無言で固まった。


 腕の中には、ぐったりした少女。路地裏には怪物の死体。俺は血まみれ。しかもたった今、この少女が何を考えていたかを、聞きたくもないレベルで鮮明に聞いてしまった。


「……いや待て」


 なんだ今のは。


 心が分かる程度の繋がりと言っていたが、丸聞こえにもほどがある、筒抜けじゃ無いか。というか、俺を怖がっていたんじゃなかったのか。


 思い返せば、挙動はたしかにおかしかった。


 視線が合うたびにびくっとしていた。声も裏返っていた。顔も赤かった。


 あれ全部、俺に興奮していたから?


「いやいやいや」


 思わず口に出る。


 普通逆だろ。血だらけの男と怪物の死体を見て、恋愛感情が先に来るやつがあるか。しかも一目見ただけで何なんだあの頭の中。王子様ってなんだ。イっちゃうってなんだ。


 取り繕った言葉でも、表情でもない、建前も嘘も通っていない。紛れもなくあれがこいつの素だ。


 そこまで考えたところで、ふっと頭の中が静かになった。


 さっきまで、耳元でわめかれているみたいに流れ込んでいた感情が、唐突に途切れる。


「ん?」


 少女を見下ろす。


 白目を剥いて、見事に意識が落ちている。完全に気絶している。呼吸はあるし、胸が上下しているから死んではいないことからも、確かだ。


 だが、さっきまであれほどうるさかった心の声が、一切しない。


「寝てると聞こえないのか?」


 試しに少女の顔を覗き込んでみる。


 無反応。


 もう少し待つ。


 やはり何も聞こえない。


 なるほど、思考の表層が流れ込むシステムか。

 それならば意識が飛んでいる間に聞こえてこないのも頷ける。

 そこだけは少し安心……なのか? どちらにしても、これからあんな洪水みたいな感情を四六時中聞かされて行く日常が始まるのだ。

 これは、俺がようやく見つけた入口だ。


 怪物がいて、それを狩る連中がいて、式神なんてものがあって、そのど真ん中に、たった今、俺は飛び込んだ。


 最高じゃないか。


 俺は気絶した少女を抱え直した。思ったより軽い。こんな小さな体で、あの怪物をしょっちゅう倒しているというのだから笑えてくる。しかも頭の中はあれだ。見た目との落差がひどい。


「おいおい……」


 思わず笑いが漏れた。


「これ、どうしたらいいんだよ」


 問いかけても返事はない。


 静かな路地裏に、俺の声だけが落ちた。


 けれど、困惑よりずっと強かったのは、高揚だった。


 退屈な世界は終わった。


 少なくとも、もう元には戻れない。


 腕の中の少女は眠ったまま、かすかに眉を寄せた。夢でも見ているのかもしれないが、心の声は聞こえない。つまり今だけは静かだ。


 その静けさの中で、俺は怪物の死体を一度見やり、それから路地の先へ視線を向けた。


 改めて現状を考える。


 怪物の死体が一つ。


 血まみれの俺が一人。


 気絶した少女が一人。


 カオスだ。

 警察が来たり通報されたら、どうしたらいいんだこれ。


「ほんと、どーすんだこれ」


 気絶した少女を抱えたまま、俺はその場で立ち尽くしていた。


 静かな路地裏に、荒い呼吸だけがやけに響く。さっきまであれだけ存在感を放っていた黒い怪物は、裂けた口から泡だった血みたいなものを垂らし、地面に沈むように横たわっている。


 いや、違う。


「……溶けてる?」


 目の錯覚じゃない。


 黒い巨体の輪郭が、じわじわとアスファルトに沈み込んでいた。熱で溶ける氷みたいに、水気を帯びた闇へ崩れていく。さっきまで確かにそこにあった肉の塊が、地面に吸い込まれるように薄れていく様子は気味が悪いを通り越して幻想的ですらあった。


 そうか。死体は残らないのか。


 なら少しはマシかもしれない。


 ……いや、何がマシなんだ。


 俺は腕の中の少女を見る。小さくて軽い。顔だけ見ればどう見ても中学生くらいだ。そんなのを、血まみれの男が抱えている。


 側から見たら完全に犯罪者だった。


「いや、こいつがいなきゃ俺は非日常に繋がれないんだけどさ」


 理由はある、めちゃくちゃある。今の俺の人生にとってこいつは、さっきまでの怪物よりよほど重要だ。


 重要だ、重要なんだが、男が気絶した少女を抱えて路地裏にいる。誰かに見られても言い訳の余地がない。


「ほんとに見られてないよな……」


 路地の入口を睨む。人の気配はない。車の音は遠い。誰かがこちらを覗き込んでくる様子もない。


 怪物だったものは、もう半分以上地面に溶けていた。これなら死体を見られる心配はないだろう。だが俺の方は別だ。左腕からは相変わらず血が垂れ続けているし、服も顔も派手に汚れている。俺一人でも通報ものなのに、そこへ気絶した少女を抱えている。


 しかもこいつ、さっきの頭の中身からして目が覚めた瞬間に何を考え始めるか予想がつかない。


「ってか、ヤベェ……」


 ふらついた。


 左腕の痛みが、今さらみたいに存在感を増してくる。熱い、だるい、血が抜けすぎて頭がふらふらガンガンしてる。さっきまで最高だの死んでもいいだのと思っていたくせに、いざ怪物が消えてみると体は正直だった。


「流石に血、出し過ぎか」


 死んでもいい、確かにそう思っていた。


 でも今は違う。


「死にたくねぇ……」


 せっかく見つけたんだ。


 怪物がいて、それを知っている人間がいる、 ありえないファンタジー世界の入口を。ここで出血多量で死ぬとか笑えない、笑えないどころか最悪だ。


 俺は唇を噛んで意識を無理やり繋ぎ止めた。


 考えろ。


 警察はまずいし救急車もまずい。病院に行けば説明がつかないし、自力でどうにかするしかない。家に戻って血を止める。こいつが起きたら事情を聞いて、それから……。


 視界がボヤけてくる、時間がない、兎に角休まないとまじで死ぬ。


 少女を抱えて、血まみれで、目立たずに、ボロボロの状態で家に帰る。


「詰んでないか、これ」


 口に出したところで答えは出ない。


 だが幸い、怪物だったものはもうほとんど消えかけていた。残ったのは黒い染みみたいな湿った跡だけだ。本当に跡形もなく消えるんだな。


 俺は少女を抱え直した。ぐったりしているが、呼吸はある。心の声は聞こえない、寝ている間は聞こえないらしいのがせめてもの救いだった。


 意識して人通りの少ない道を選ぶ。


 大通りは避け、街灯の強い場所も避けた。コンビニの前も、自販機の明るい光も、全部遠回りする。何度か足がもつれ。そのたびに少女の頭をぶつけないように抱え直し、壁に手をついて息を整える。


 通行人の気配がするたびに物陰に寄った。


 足音が去るまで息を潜めた。


 こんなの、今まで完璧に生きてきた俺がやってるなんて、知り合いは誰も信じないだろう。


 成績も、対人も、見た目も、全部そつなくこなしてきた。教師の好感も、女の好意も、欲しければそれなりに得てきた。そんな俺が今、中学生くらいにしか見えない少女を抱えて、自宅に連れ帰ろうとしている。


 絵面がもう終わってる。


「いや違うんだよ……」


 誰に向けた言い訳か分からないまま呟く。


「理由はあるんだ。あるけど……絵面が最悪なんだよ」


 しかも、俺の腕の中のこれはその最悪な絵面の原因であると同時に、今後の人生の鍵だ。捨てるなんて選択肢はない。


 そうしてどうにか自宅の前まで辿り着いたところで、もう限界だった。


 鍵を取り出す指先が震え、視界が霞み、階段を上るたびに心臓がうるさく鳴った。部屋に入り、靴を脱ぐ余裕もないまま少女をベッドに下ろす。床に血が垂れ、拭かなきゃと思うだけで雑巾を取りに行くより先に膝が抜けた。


 裂けたシャツをそのまま使って左腕を縛る。うまく巻けているのか分からない。手元がぶれて、結び目を締めた瞬間、焼けるような痛みで吐き気がした。


 視界が暗い。


 瞼が重い。


「ちょっと、だけ……」


 休めば持ち直すと、思う、たぶん。少しだけ目を閉じるだけだ。横になって目を瞑って体を休めるだけで、寝るわけじゃない。そんな言い訳じみたことを考えていた癖に、次の瞬間には床の冷たさを感じる前に、世界が途切れていた。


 小さい頃の記憶が、頭の中で再生されていく。

 

 物心ついた時から、やろうと思ったことはなんでも出来た。

 

 最初は、少し器用なだけなんだと思っていた。周りの大人もそう言っていた。飲み込みが早いね、頭がいいね

、将来が楽しみだねと大人達は、どこにでもある褒め言葉を並べ立てて、勝手に期待して勝手に喜んでいた。


 初めて自覚したのは、小学校の頃だったと思う。


 先生が黒板に問題を書いていた。隣の席のやつがまだ一行目を写している間に、答えまで出し終えていた。いつしか、途中式をわざと間違えたり、手を挙げるタイミングを遅らせたりするようになっていた。


  何故か?

 

 あっという間に全部正解すると、不審に思われるからだ。完璧すぎると、大人は褒める前に構え始める。何か裏があるんじゃないか、ズルをしているんじゃ無いかと疑い始める。


 子供心に、それくらいは分かった。


 今ならわかるが、人は自分の物差しでしか測れないんだ。

 

 教員が、自分はカンニングをしなければ100点を毎回取り続けることが出来ない様なテストを作っているから、それを成し遂げるものが現れるとカンニングを疑う。


 だから、ほどほどを覚えた。


 満点は取る必要がある時だけ取る。普段は九十何点で止める。授業中は先生の方を向いて、ノートも綺麗に取る。テストでは少しだけ凡ミスを混ぜる。教員が一番喜ぶのは、天才じゃない。扱いやすく、真面目で、従順で、愛想のいい優等生。そういうものを演じてやれば、向こうは簡単に満足する。


 だが、それは酷く退屈だった。


 スポーツや部活なんかも一通り試してみた。


 野球、サッカー、バスケ、テニス。吹奏楽も、演劇も、書道も、美術も、ついでに囲碁将棋まで顔を出した。だいたい10分もあれば、その集団の一番うまい奴に近づけた。


 でも、極めた先は? オリンピック? 選手歴1年で、未経験でオリンピック記録を超えてしまったら?

 その目に映るのは異物感でしか無く。

 俺自身、達成感も感慨も有りはしない。


 何かを始めるたびに、周囲の目が変わっていく。


 最初は歓迎、次に驚愕、次に嫉妬、最後は、遠巻きの視線、排他的な姿勢。


 お前、なんなんだよ。化け物。今まで私の努力はなんだったの? どうしてあんたが。


 何度も言われた、面と向かっても陰でも。

 知るか、俺が何者なのか俺が聞きたいくらいだ。


 格闘技ジムにも通ったことがある。あれは少しだけマシだった。ほんの少しだけスリルがあったからだ。


 初日体験でのスパーリングも何回かこなせば、もう当たる気がしなかった。予備動作、視線、重心の移動。その瞬間に、次に何が来るのか予想できる。その予想はほぼ的中だ。そして当たらなければ、あとは好きに殴れる。


 一方的に殴るのは、最初のうちだけ少し楽しかった。


 でもそれも、すぐ飽きた。


 本物を見たことがないから、プロには通用しない。そう言われたこともある。ああそうかもしれない。そうであってほしい。でもわかるんだ、俺に限界は無いって。


 こんなこと、いつまで繰り返せばいいんだろう。


 親も、大人も、クラスメイトも、みんな単純だった。


 期待される顔をすれば喜ぶ。少し弱みを見せれば安心する。相手が欲しい言葉を、欲しい声色で渡せば、勝手に心を開く。

 見た目を整えて、都合のいい男を演じて、少しだけ熱を帯びた視線を向ければ、簡単に距離は縮まる。


 何人かの女性と寝た。


 確かに快楽はあった。体温も、柔らかさも、声も、匂いも、全部ちゃんと刺激的だった。その場は気持ちが良かった。


 でも、終わったあとに残るのは、圧倒的な虚無感。

 本当に俺を好きなのか。そう思ったことは、一度や二度じゃない。


 いや、違うな。そんなもの、最初から分かっていた。


 好きなのは、俺では無く、俺の見た目をしたナニカだ。都合よく切り取られた、相手の期待に合わせて、角を削って、形を整えたナニカ。

 本当の俺なんか、誰も見ていない。いや見せていないのか。


 そもそも、俺自身が他人を見ていたのか?


 社会人になったら、仕事をして金を稼ぐ?

 欲しいものを手に入れるだけなら難しくもない。だがその先に、何がある。


 車。時計。高い酒。広い部屋。


 手に入れて、どうする。

 簡単に得られる物に俺は、価値を感じなかった。


 例外があるとすれば、漫画や小説。


 ページをめくっている間だけは、この世界の外側に行ける。命のやり取りがあり、裏切りがあり、奇跡があり、理不尽があり、人間が自分の意思ではどうにもならないものにぶつかって、傷ついて、叫んで、それでも進む。そういうものの中にいる間だけは、少し息が出来た。


 だが、読み終われば終わりだ。


 本を閉じた瞬間、世界の窮屈さが戻ってくる。


 現実は何も変わらない。


 マフィアやヤクザの世界に飛び込むことも考えた。創作みたいに、銃撃戦と裏切りと血の匂いに満ちた場所なら、少しはマシかもしれないと思った。


 けれど現実は違う。


 連中はしょっちゅう撃ち合いなんかしない。銃を撃つにしても、ろくな訓練もしていない下っ端が、至近距離で引き金を引くだけだ。強いとか、弱いとか、才能とか、そういうものは創作の話。

 実際は金と権力を奪い合うだけ。そんなの、表社会と何も変わらない。ただ合法か非合法かの違いだけだ。


 


 ある時期、死ねば異世界に行けるなんて与太話を真面目に考えた事がある。


 もちろん、そんなものを本気で信じるほど馬鹿じゃない。俺だって、創作と現実の区別くらいつく。転生なんてない。ただ死ぬだけだ。暗闇になって終わり。そう、それだけだ。  





 

 ふと気づいた時、目の前には少女の顔があった。


 近い、というか近すぎる。


 白い肌、くりっとした大きな瞳。長い黒髪がさらりと頬にかかって少しくすぐったい。ぷっくりした唇が、ほんの少し開いていた。誰が見ても可愛いと言うであろう整った顔が、鼻先の距離にある。


 その瞬間、頭の中に声が流れ込んだ。


(チャンスチャンスチャンスチャンスチャンスチャンスチャンスチャンス。今ならチューできちゃうじゃんってか顔良すぎ)


「あ」


 目が合った。


 少女は肩を跳ねさせ、ばっと体を引いた。だがもう遅い、全部聞こえていた。


「い、いえ、別にキスしようなんて思ってないですよ?」


 心配してましたと言いたげな顔で、少女はそう言った。


 だが残念ながら、その建前は一切意味をなさない。


「いや、全部聞こえてるから」


「っ!」


 少女の顔が一瞬で赤くなる。


(そうだった! どうしよう。嫌われた? 嫌われた? いや嫌われてたらもはや話なんかしてくれないはず。ワンチャンあるかコレ)


「その考えも全部筒抜けですよ?」


「ひゃうっ」


 妙な声を上げて、少女は口元を押さえた。


(丁寧に返事してくれるの、年下なのに偉い! 可愛い! 好き!)


「年下!? 俺が!?」


 怪物に遭遇した時とは別種の衝撃が脳天を直撃した。


 少女はびくっとして、何かまずいことを言った自覚はあるらしいのに、頭の中はさらにひどい。


(びっくりしてる顔も可愛い。今日の自家発電捗りそう。ってか今すぐしたい。パンツ濡れ濡れでやばいんだけど)


「その変態的で煩い思考、少し静かにできません?」


 口から出たのはほとんど懇願だった。


 目の前の少女は、見た目だけなら清楚でおとなしそうな美少女だ。すんと澄ました顔で座っていれば、誰もが庇護欲を刺激される類のやつだろう。だが中身は今聞こえた通りである。どう表現すればいいのか分からない。可愛い顔をした災害とでも言えばいいのか。


「ごめんなさい。それはできないの」


 少女は伏し目がちに、申し訳なさそうに答えた。


 なんだその言い方。大切な人がいるからお付き合いはできないの、みたいなトーンで、ドスケベ思考は止められませんと言われてこっちはどう反応すればいい。


「いや、できないんかい……」


「できない、です」


(だって貴方見てるだけで勝手に下腹部がキュンキュンしちゃうの)


 俺はひとまず深呼吸して、状況を立て直すことにした。この人の思考はとりあえず無視しよう。確認すべきことはいくらでもある。


「俺が年下なら、貴方いくつなんです?」


 少女は背筋をぴんと伸ばした。なぜかちょっと誇らしげですらある。


「二十歳です。大学二年です」


 誇らしげにピースサインをしてるが、どう見ても可愛らしい中学生だ。

 

「……マジで?」


「ほんとです」


(やった。可愛いって。もはやこれは告白では? 付き合っちゃう? 嬉しい。好き)


 いや、もうどこからツッコミ入れたらいいんだ。


 どう見ても中学生くらいにしか見えないのに二十歳の大学二年。驚きと安心が半々だった。そうでなければさすがにこの状況が危なすぎる。


「俺、最上真って言います。勝手に家に連れ込んでしまってすみません」


 言ってから、改めてとんでもない台詞だと思った。


 だが事実なので仕方ない。


 少女はぱちぱちと目を瞬かせたあと、ふわっと嬉しそうに頬を緩めた。


(最上くん。真くん。真くんでいいよね。名前聞いちゃった。可愛いかっこいい名前。大好き。え、てかここ真くんの家? 一人暮らし? 偉い。高校生で一人暮らし偉いぞ。あ、男の子の家に連れ込まれちゃったら襲われるんじゃん。え? これ濡れてるのわたしの体液だけじゃないかも!?)


「はあ、真でいいですから説明を。あと家来てすぐ俺気絶したんで、手も何も出してないですからね」


「そ、そこは否定しなくてもいいです!!」


(出されても全然いいけどむしろください、お願いします、なんなら手だけじゃなくてなんでも出しちゃっていいよ! 清楚はビッチコレ世界の真理だから)


「確かに、見た目以外全然清楚じゃないんだよなあ」


「うぅ……」


 少女は耳まで赤くしてうつむいた。だが心の中は反省どころか、俺に名前呼びを許されたことを延々と反芻していてさらにうるさい。


 こめかみを押さえる。


「とりあえず、貴方の名前」


「木持良乃です」


「きもち、よしの……?」


「はい。木を持つの木持に、良い揖保乃糸の乃で良乃です」


(きもちいいのって覚えるとすぐに覚えられるよね)


「聞いてない情報まで勝手に入ってくるのほんと厄介だな……」


 良乃はしゅんと肩を落とした。


「ご、ごめんなさい……」


「謝ってどうにかなるもんでもなさそうですけどね」


「はい……」


(でも怒り方も優しい。好き)


 だめだ。いちいち思考の最後に好きがついてくる。こんなのを今後ずっと聞かされるのかと思うと頭が痛い。いや、実際に痛いのは血の出し過ぎによる貧血なんだろうが。


 そこで、良乃の表情が少しだけ変わった。さっきまでの浮ついた空気が引き、眉が寄る。


「真くん、腕」


 言われて初めて視線を落とす。


 左腕の布は赤黒く染まっていた。雑に巻いたせいで止血も怪しい。体は重いし、指先はまだ冷たい。


「やっぱり結構やばいですよこれ。顔色も悪いし」


(でも弱ってる真くん、庇護欲と性欲がメラメラ湧き上がってきちゃう)


「おい本音」


「不可抗力です!」


 良乃は半泣きみたいな顔で言い返し、それから慌てて身を乗り出した。


「私の魔導で応急処置します。少しじっとしててください」


「魔導……」


 その単語だけで意識がまた少し冴えた。


 だがそれ以上にありがたい、このまま死ぬなんて嫌だ。病院へ行くのも躊躇する様な傷跡だ、対処できるならすぐしてほしい。


「頼む」


「はい」


 良乃は神妙な顔になって、俺の左腕へ両手をかざした。


 次の瞬間、淡い光が溢れる。


 暖かい。強烈な痛みがじわじわと和らいでいく。裂けた部分が塞がり、出血も止まる。


「……すご」


「えへへ。でも見た目が治っただけで裂けた筋肉とかはそのままなので絶対動かしたり無理しちゃダメですよ」


 ピンと人差し指を立てて、一生懸命お姉さんぽさを出している。ぽさを出していると言うのをされる側が理解している時点で、片手落ちだ。

 

(褒められた。嬉しい。もっと褒めて。頭撫でて)


「聞こえてるって」


「あぅ……」


 なんなんだこいつは。


 とんでもなくうるさい変態だ。確かに顔は可愛いが中身はひどい、ドスケベ女だ。なのに、俺を助けるために真剣な顔で魔導とやらを使っている。


 そのちぐはぐさが妙におかしかった。


 口元が勝手に緩む。


「でも助かった。ありがとう、良乃さん」


「よ、良乃……さん」


(名前呼び。やば。好き。もう無理。今日だけで一生分シコれる)


「おい」


「え、えへ」


 良乃は真っ赤になりながら、首を傾けてチャーミングでしょ、私とでも言いたげな表情だ。中身を知らなければ騙される程度には完成度が高い。


(なんか疲れてる? そうだよねただの人間が戦って勝てる相手じゃないし、男の子が疲れている時は……) 


 怪物と遭遇して、死にかけて、見た目は清楚な大学生に家へ連れ込まれたも同然の状態で治療されている。しかもその大学生の頭の中は、静かにしてほしいと頼んでも止まらないレベルのドスケベだ。


 めちゃくちゃだった。


 なのにそこには、どうしようもなく楽しく思ってしまう俺がいた。


「おっぱい揉む?」


「おい」

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