第1章2節 禁忌
知識は、時に刃になる。
禁じられているという理由だけで、
それを遠ざけるほど、人は賢くない。
少年が手を伸ばしたのは、
世界の奥に隠された――
“触れてはならないはずの知識”だった。
六年という歳月は、赤子だった俺を少年へと変えるには十分だった。
ルーヴェン王国の第三王子、エリオ。
それが、この世界での俺の名前だ。
王城での生活は、驚くほど穏やかだった。
厳格な父――国王アレクシオは多くを語らず、だが常に国を見据えていた。
母である王妃セレナは、優雅でありながら鋭く、俺の些細な変化も見逃さない人だった。
侍女たちは文字を教え、執事は礼儀を叩き込み、学者たちはこの国の歴史を語った。
王国の成り立ち。
近隣諸国との関係。
魔法が体系化され、管理され、そして――禁じられているもの。
俺は、それらを一つ一つ、吸収していった。
特別な努力をした覚えはない。
ただ、理解できた。
文章を読めば意味が分かり、理屈を聞けば構造が見えた。
周囲は「神童」と囁いたが、俺自身はそうは思っていない。
ただ、この世界は、思っていたよりもずっと――論理的だった。
六歳になったある日、俺は王城の奥にある書物庫の存在を知った。
王族であっても、自由に立ち入る者は少ない場所。
分厚い扉の向こうに並ぶのは、歴史書、魔術書、そして……
表には出回らない知識。
好奇心に、理由はいらなかった。
⸻
書物庫の空気は、静まり返っていた。
紙とインクの匂い。
時間そのものが沈殿しているような感覚。
俺は無作為に書棚を眺め、片っ端から書名を追っていく。
魔法理論。
精霊学。
古代語文献。
その中で、一冊の本が目に留まった。
背表紙は擦り切れ、題名は半ば消えかかっている。
だが、そこに記された文字だけは、やけに鮮明だった。
――魔族概論。
手に取った瞬間、胸の奥が、微かにざわついた。
ページをめくる。
そこに記されていたのは、魔族と呼ばれる存在についての記述。
世界の外縁に棲む者。
人の理から外れた存在。
そして――召喚という形でのみ、現界する者たち。
読み進めるうちに、ある項目に行き当たった。
魔族召喚術式
※本項は禁忌に該当するため、厳重な管理下に置かれる。
その文字を見た瞬間、思考が止まった。
禁忌。
この世界で、その言葉は重い。
破れば死刑、あるいは終身刑。
書かれている罰則は、どれも苛烈だった。
……なるほど。
俺は、本を閉じかけて――止めた。
禁じられているということは、
実在するということだ。
知られているということは、
再現されたということだ。
そして、術式は――
あまりにも、整然としていた。
「……面白そう」
誰に言うでもなく、そう呟く。
深い意味はない。
善悪でも、野心でもない。
ただ、どんなものか知りたかった。
⸻
俺は書物庫の奥、誰も近づかない一角を選び、床に描かれた術式をなぞる。
魔力を流すと、空気がわずかに歪んだ。
――次の瞬間。
空間が、裂けた。
圧倒的な存在感。
空気が震え、書棚が軋み、本が宙を舞う。
髪が逆立ち、視界が揺れる。
黒い影の中から、それは現れた。
角を持ち、赤い瞳を光らせた、紛れもない悪魔。
「――我を呼び出したのは誰だ」
低く、響く声。
威圧が書物庫全体を覆う。
……本物だ。
理解と同時に、体が硬直する。
恐怖が、遅れてやってきた。
だが、次の瞬間――
悪魔の表情が、明らかに変わった。
「……待て」
声が、揺れた。
赤い瞳が俺を捉え、
そして――怯えた。
「……この魔力量……測れぬ……?」
悪魔は一歩、後ずさる。
先ほどまでの尊大さは、跡形もない。
「……違う……我を呼んだのは、お前ではない……」
視線が揺れ、周囲を探るように彷徨う。
「……本当の主が、どこかにいる……」
そして、悪魔は――
俺の前に、膝をついた。
「主よ……どうか……どうか、我を……」
その姿を見下ろしながら、俺は一つ、深く息を吐いた。
……まずいな、これは。
だが同時に、思った。
戻すのは、違う。
消すのも、違う。
「……影に隠れていろ」
俺は、静かに命じた。
「誰にも見つかるな。
俺が許すまで、表に出るな」
悪魔は、一瞬驚いたように目を見開き――
次の瞬間、深く、深く頭を垂れた。
「御意……我が主」
影が、揺れる。
そして、悪魔はそこに溶け込むように消えた。
書物庫には、再び静寂が戻る。
散らばった本と、
少し乱れた俺の髪だけが、現実を証明していた。
……とんでもないものを、引き当ててしまったな。
そう思いながら、
俺は何事もなかったかのように、床の術式を消した。
第2節をお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、
「知ってしまった結果、踏み越えてしまう」
という選択を描きました。
神や女神の介在しない世界で、
少年が自分の意思だけで禁忌に触れたことが、
これからどんな歪みを生むのか。
次節では、転生後の世界について、深掘りできればと考えています。
引き続き、お付き合いいただければ幸いです。




