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春宮冬華の告白

作者: 真白悠月
掲載日:2025/12/30

初めまして!

真白悠月ましろ ゆづきと申します!


福井を舞台に描きたいなと思い執筆した次第です!

少し切ない話になっております。


一人でも多くの方の心に刺さるといいなと思います。どぞっ!

 数年前くらいから、ある一つの噂が耳に入るようになった。


 福井県のある桜の名所地。

 その某所において、3月下旬から4月上旬の限られた春の夜、桜並木の一角に一人の少女が所在なげに石垣に座っているという。


 幽霊なのではないか——。

 そんな憶測がすぐさま飛び交った。


 ある者は、その少女の体が透けていたと言っていた。

 ある者は、その少女と言葉を交わしたと言っていた。

 ある者は、その少女の手を握り握手したと言っていた。


 つまりは真偽不明。彼女が何者なのかは未だ謎のままだ。


 しかし、彼、深雪桜介には彼女の正体に一つの心当たりがあった。


 より正確に言うならば、桜介が予想した以外の答えは考えられないと言ったところだろうか。

 この仕事を終えたらすぐにでもその真偽を確かめに行こう、桜介はそう心に誓った。


 そして彼女が桜介の予想通りの人物であったなら、何としても彼女が最後に言った言葉の真意を聞かねばならないと思っていた。


「——ありがとう」


 今にも消え入るような小さな声でそう言った、彼女が残したあの言葉の意味を——。


 ♢


 「七年振りに来たけれど、あの日とちっとも変わらないな」


 眼前に広がるあの日と同じ桜並木を見て、真っ先に出た感想はそれだった。

 これが田舎の良さと言って終えばそれまでだが、あまりの変化のなさに逆に不安になる。


 桜介は今、七年振りにあの日の桜並木に立っている。

 

 ——足羽川桜並木

 

 全国でも有数の桜の名所地と言われるこの場所に、桜介はあの日の後悔を胸にここを訪れていた。


 現在の時刻は深夜零時。

 

 田舎の夜は早い。県民のほとんどは早々に灯りを消してすでに床に入っていることだろう。

 そんな時間帯にここを訪れる者はおらず、桜介はまるで自分だけが世界に取り残されたような錯覚を覚えた。


 桜介の両側には、春の朧月による月光と、ライトアップにより照らし出された春の代名詞が、その季節の到来を知らせるかのように壮大に咲き誇っていた。

 その煌びやかさが、桜介が一人であることをより一層際立たせている。


 桜介は七年振りに見るその荘厳な景色に目を奪われつつ、(くだん)の少女が現れると噂の場所までゆっくりと歩みを進めた。


 この桜並木は、車同士が優にすれ違えるほど幅のある大きな道沿いに連なっている。


 そして深夜ではあるが、月光とライトアップによりこの時間帯にしては十分な光量が確保されていた。

 そのため、たとえ道の真ん中に桜を鑑賞する歩行者がいたとしても、まず間違いなく気づくことができる。

 桜介は改めて、この道の視界の良さを認識した。


「本当に⋯⋯僕は⋯⋯どうして⋯⋯」


 この七年間、あの日のことばかり考えている。

どうしてこうなったのか、どうすればよかったのか。後悔と自責の念だけが、桜介の心を埋め尽くしていた。


 考え続け続けても答えが出ないと分かっていても、桜介の思考は止まらない。

 まるで、思考することが今できる唯一の贖罪とでも言うかのように、桜介は自らの頭を働かせ続けている。


 頭痛がした。同じことを永遠と考えているからだろう。でも、それは当たり前のことで、この痛みから逃げることを桜介自身が許すことはできない——。


 痛みを堪えながらそのまま歩みを進めていると、数十メートル先の一本の桜の木の後ろからふと、棒のようなものが規則的に上下に動きながら見え隠れしていることに桜介は気付いた。


 それが人の脚であると認識するまで時間はかからなかった。


 ドクンと、心臓が音を立てて跳ね上がる。


 件の少女が、そこにいる。

 ここからではその華奢な脚しか見えないが、ほぼ間違いなく彼女だろうという確信があった。


春は近づいているが、まだ3月で、それも福井県だ。暖かさなど微塵も

感じない。

なのに、桜介の額には薄らと汗が浮かんでおり、喉はカラカラに乾いていた。

 逸る気持ちを抑えながら、歩速を上げつつもゆっくりと近づいていく。


 そういえば、あそこには何があっただろうかとふと気になり、桜介は記憶の海を潜っていった。


 確か、桜並木の木々の間には一箇所、ぽっかりと開けた空間があったこと、そこには大人二人が横に並んで座れるくらいの大きな石が陣取っていたことを桜介は思い出した。


 七年振りに訪れたにも関わらず、よくそんなことを覚えていたなと我ながら感心しながら歩みを進めていると、自分の記憶が正しかったことがすぐさま証明された。


 果たして、桜介がたどり着いたその場所には、記憶のとおり大きな石がまるで自らの存在を誇示するかのように鎮座していた。


 そしてその無骨な石の上に、華奢な身体の女子高生然とした少女が一人、白く透き通った二本の脚を、前後にパタパタさせがら所在なさげに座っていた。

 

「——っ」


 咄嗟に声が出なかった。桜介は呼吸を忘れた魚のように口をパクパクすることしかできなかった。

 まさか本当に、彼女がいるとは思ってもいなかったのだ。


 なぜなら、彼女はあの時——


 桜介が呆気に取られて立ちすくんでいると、彼女は立ちすくむ桜介の存在に気が付いた。

 そして、彼女もまさか目的の人物がここに来るとは夢にも思わなかったのだろう。大きな両目が二度、三度と瞬きを繰り返した。


「——深雪桜介さん、ですか?」


 ひんやりとした夜気の中、少し自信なさげにそう尋ねてくる彼女の透き通った声が、真っ直ぐに桜介の耳まで届いた。


 ああ、本当に彼女だ。

 あの日聞いた声と寸分違わない声音に、桜介の胸は今にも張り裂けそうであった。

 そんな溢れる気持ちを堪えつつ、桜介は彼女に言葉を返した。


「——ええ、深雪です。こんばんは。お久しぶりですね、春宮冬華さん」


 震える声で、やっとの思いで七年振りの挨拶をすることができたのだった。


「よかった、まさか、本当にお会いすることができるなんて!!」


 桜並木にまた一つ、桜が咲いたような美しい笑顔で、冬華は喜びを口にするのだった。


 桜介が冬華と最後に会ったのは七年前のちょうど今日だ。

 当時高校二年生だった冬華は、現在は二十四歳になっていた。


 しかし、目の間に座る冬華は、当時と全く変わらない容姿をしていた。

 艶やかな長い黒髪も、ぱっちりとした二重が印象的な整った顔立ちも、何もかもが記憶の中の彼女と変わらなかった。


 桜介は、そんな風に変わりのない彼女から目を逸らすように顔を下に背けてしまった。


 七年前と全く同じ姿の冬華を見るのが辛かったのだ。


 いや、違う。本当は目の前の現実から目を背けたかった。冬華はきっと自分を憎んでいると、思い知るのが怖かった。


 だが、兎にも角にも、まずはやるべきことを果たさなければならない。


 桜介は意を決して大きく息を吸い込むと、


「春宮さん!!」


 頭が地面に減り込むかと思うような勢いで深々と頭を下げた。


「どうしたんですか!? 頭をあげてください深雪さん!」


「本当に!! 本当に!! この度は、申し訳ありませんでした!!!」


 張り上げた桜介の声が冷たい風に乗って夜闇にこだまする。


 彼女が納得しないだろうことは分かっている。しかし、桜介は謝罪せずにはいられなかった。

 例えそれがなんの意味もない行為で、単なる自己満足だと揶揄されるようなことでも、自分の気持ちははっきりと伝えなくてはならないと、この七年間で覚悟を決めていた。


「深雪さん、顔をあげてください」


 桜介は恐る恐る顔を上げる。


 桜介の前には怒りの顔も悲しむ顔もなかった。


 そこにはただ、全てを包み込むような、冬華の柔らかい笑みだけが浮かんでいた。


「深雪さんの言いたいことも分かります。あんな目に遭ったのですから。ですが、私はあなたを恨んでなどいませんよ? あの時、こう言ったことをお忘れですか?」


 そこで一旦言葉を区切り、真っ直ぐと桜介を見つめる。


「——ありがとう、と」


 冬華はまっすぐと桜介を見つめながら、七年前と全く同じ言葉を口にした。


 その言葉を聞いて、桜介は確信した。


 やはり、あの時冬華が最後に残した言葉は感謝の言葉だったのだと。

 あの状況でそんなことを言われる意味がまるで分からなくて、聞き間違いだとばかり思っていた。


 でも、間違いじゃなかった。

 もし本当にあの時冬華が口にした言葉が感謝だったのなら、その真意を確かめよう。


 七年間、桜介はそのことばかりを考えていた。


「僕は今日、あなたに謝罪をするためにここに来ました。ですが、よければその言葉の真意についてもお聞きかせ願えますか?」


「ええ、もちろんです。私も深雪さんにそのことをお伝えするためにここに来たんですから」


 冬華は自分が座っている石の左隣を二回ポンポンと叩き、横に座るように促してきた。


 桜介は冬華の横に座ることに少し抵抗を覚えたが、座らないと話が進まないと思い直し、勧められるがままに腰を下ろした。


 すると突然、冬華が暗い雰囲気を吹き飛ばすかのような明るい口調で《《徐》》おもむろに話し始めた。


「とはいえ、暗い話ばかりもなんですから、とりあえず世間話でもしませんか?」


 スラリと伸びる白くて細い指を両手に合わせながら、お茶でも誘うかのような気軽さでそう提案してきたのだった。


 (⋯⋯この子、本気か!?)


 桜介はそんな冬華の提案に面食らってしまい、すぐに返事をすることができなかった。

 

 だがすぐに、桜介の頭には一つの考えが浮かび上がった。


 (——そうか、今までずっと独りだったから、話し相手がほしいんだ)


 少なくともこの七年間、冬華に人との接触はないはずだ。

 もしかしたら目撃者が言うような道案内といった一時の関わりは合ったのかもしれないが、人間関係を構築するには至っていないはずだ。


 そしてこの考えが正しければ、すべての元凶が自分にあることは明白であった。そんな後ろめたさを抱く桜介には、冬華の誘いを受け入れる以外の選択肢はなかった。


「いいですね。ただ、僕に面白い話ができる自信はありませんが」


「気にしないでください。私も口下手な方ですから。ところで、さっきからずっと気になっていたんですが」


「どうかしましたか?」


「その格好、少し寒くありませんか?」


 冬華はそう口にすると、右手の人差し指を桜介に向けた。

 彼女が指摘した通り、桜介の服装は冬の福井において決して防御力が高いとは言えなかった。


 桜介の服装はビジネススーツにロングコートという、いかにも冬のサラリーマンといった格好ではある。

 しかし、大阪ならいざ知らず、ここ福井においては軽装もいいところだ。


 かくいう冬華の服装はというと、下は水色のチェックのスカートに黒いタイツ、上はダッフルコートと、桜介の服装をとやかく言えるほどの厚着をしているわけではない。

 しかし、冬華からはまったく寒がる様子は見受けられなかった。


「寒いです。仕事を終えてから急いで終電に乗ったもので」 


「そうだったんですね。お仕事お忙しいんですね」


「どうしてそう思うんですか?」


「⋯⋯私が指摘してもいいんですか?」


「もちろん。むしろなぜそこまで分かるのかご教授願いたいところです」


 桜介が微笑みながらそう言うと、「では僭越ながら」と呟き、冬華は姿勢を正してその問いに答え始めた。


「失礼ながら、髭が少し残っています。それに、スーツも少しよれていますね? 服装や身なりからお忙しいことが見て取れます。ちゃんと帰って寝れてないのではないですか?」


「まるで探偵みたいで驚きました。でも、ええ、大丈夫です。すみません、もう少し身だしなみに気を遣ってくるべきでした」


 はははと、乾いた笑い声が、凛とした空気の中に消えていく。

 

 冬華の答えは半分正解、半分間違いと言ったところだろうか。

 忙しくはこれっぽちもないのだが、あまり寝れてないのは事実だった。


 (少しドキッとしたが、なんとか誤魔化せただろう)


 そんな桜介の不安をよそに、冬華は話を続ける。


「会うのは七年ぶりになりますが、この七年はどうでしたか? やっぱりお仕事が大変でしたか?」


「⋯⋯そんな感じです。ちょっと忙しくて、来るのが遅れてしまい申し訳ありません」


「気にしないでください。そういえば、どんなお仕事をされてるんですか?」


「どんな⋯⋯と言っても、普通に営業の仕事ですね」


「営業ですか。契約が取れなくて怒られたりする印象が強く、大変そうなイメージしかありません。すごいです!」


「いえ、そんな大層な仕事をしているわけではないので。恐縮です」


 彼女のストレートな褒め言葉に戸惑ってしまい、なんともかしこまった返答になってしまった。

 話の流れで言えば、次は僕の方から「春宮さんはどうでしたか?」と、尋ねる番だ。


 だが、それは不可能だった。

 冬華の七年間については、想像もできないし、してはいけない。


 それに聞いたとして、なんと答えるというんだ。

 そんな状態にしてしまったのは紛れもなく自分だというのに——


 桜介がそう悩んでいるのを知ってか知らずか、冬華は努めて明るく話しかけてくる。


 趣味のこと、休日の過ごし方、帰省してから行きたい場所など、話題は多岐に渡った。


 桜介の返答は通り一辺倒のもので、お世辞にも面白いとは言えなかった。

 しかし、桜介の回答を聞くたびに冬華は目を輝かせ、さらに質問を被せてきた。


 本当に桜介と話すことが楽しくて、もっと話したいという意思が桜介にも伝わってくるほどだった。

 しかし、冬華の質問に答える桜介の表情は段々と曇っていく一方だった。

 

 冬華が「いいなあ!」「私もやってみたい!」と答えるたびに、桜介は抉られるような思いだった。

 

 もちろん冬華に悪気などは一切なく、事実一ミリも悪くない。

 悪いのは桜介ただ一人で、それ以上でもそれ以下でもなかった。


 そして、冬華の笑い声を聞くたびに、桜介の胸の中には罪悪感という澱ばかりが溜まっていった。

 額には脂汗が滲み、薄着にも関わらずかいた汗のせいで体温がやけに高く感じる。

 そしてその熱は冷たい福井の夜風によって急速に冷やされていく。

 

 桜介は緊張で生きた心地がまるでしなかった。

 

「深雪さん、これから何かしたいことはありますか?」


 それがとどめだった。

 桜介は言葉に詰まると、それ以上何も発することができなった。


「深雪さん? どうかされましたか? 具合でも悪いんですか?」


 桜介の異変を感じ取った冬華が、俯いた桜介の表情を伺うように顔を寄せた。


 冬華が自分を心底心配していることが、その表情からありありと伝わってきた。そんな彼女の優しさに触れ、良心の呵責に耐えられなかった。


「春宮さん!」


 張り裂けそうな思いを伝えるかのように大きな声で彼女の名前を呼び、桜介は会話を断ち切った。


 冬華はビクッと体を振るわせるとそのまま押し黙った。

 そして、冬華は桜介がなぜそんな風に叫んだのかをきちんと理解していた。

 

 そのことに思い至った冬華は、自分が親しげに話したことが少し無神経だったことに気付き、己の行動を反省した。

 

 桜介の表情を見るに、これからあの日のことを話し出すことは明白だった。

 冬華は静かに桜介の次の言葉を待つことにした。


 二人の間に何度目かの冷たい風が流れた頃、覚悟を決めた桜介が真っ直ぐに冬華を見据えた。


「春宮さん⋯⋯どうして、そんな風にあなたは僕と話ができるのですか?」


「どうして⋯⋯というのは?」


「僕には到底理解できない。だって⋯⋯」


 そこで一旦言葉を切ると、冬華の真っ直ぐな瞳から逃れるように桜介は顔を歪めて下を向いた。

 

 一度は覚悟を決めたが、これから紡ぐ言葉を口にすることは相当な勇気がいる。

 だが、ここで口にしなければ一生後悔することも十分理解していた。

 

 (そうだ、彼女と誠心誠意向き合うって決めたじゃないか)


 桜介は一度深呼吸し心を落ち着かせた。

 そして真剣な眼差しで冬華を見据え、七年前のあの日のことを口にした。


「——だって、七年前、あなたを殺したのは僕なんですから」


 ♢

 

 七年前の当時、桜介は福井のとあるメーカーに勤務しており、営業の職に就いていた。

 開始時刻こそ朝の九時と遅めではあるものの、終業が夜中の零時を過ぎるのは当たり前、契約を取れなければ上司にこっぴどく怒られ、口汚く罵られる毎日だった。

 

 正真正銘、今で言うブラック企業というやつだ。


 日々の業務の忙しさもさることながら、上司から叱責される日々に、身体的にも精神的にも、桜介の疲労はピークに達していた。

 

 そして七年前の今日、事件は起きた。


 交通事故だった。


 足羽川の桜並木を走る一台の車が、当時高校生だった女の子を跳ねて死亡させた。

 即死ではなかったものの、打ちどころが悪く、搬送先の病院で施術中に死亡が確認された。


 犯人の名前は、市内在住の会社員、深雪桜介(当時二十四歳)。


 そしてその日死んだ被害者の名前は、市内の高校に通う女子高生、春宮冬華(当時十七歳)——


 ♢


「確かに、客観的に見れば異常な光景かもしれませんね。自分を殺めた人と、こうして隣り合って座りながら話をするなんて」


 彼女はそんな当たり前の事実に今更気付いたのが可笑しかったのか、くすり笑った。


 桜介はそんな彼女の態度に戸惑いを隠せなかった。

 それと同時に、彼女のあっけらかんとした態度が桜介の神経を逆撫でした。


「どうして⋯⋯そんな風に笑えるんですか?」


「すみません、不謹慎でしたね」


「いえ、別に春宮さんが謝ることでは⋯⋯すみません」


 彼女に謝罪をさせてしまったことを桜介は反省した。

 そもそも、諸悪の根源は桜介であり、冬華にはなんら落ち度はない。

 ここで彼女の気分を害すること自体がお門違いなのだ。


 桜介は一つ息を吐いて心を落ち着かせ、素直に今の心中を吐露した。

 

「ただ、どうにも理解できないんです。春宮さんは、なんで僕とこんな風に友好的に話せるんですか?普通、恨み言の一つや二つあるでしょう」


「恨むなんてありませんよ。再三お伝えしていますが、私は深雪さんに感謝しているんです。そして、私が死んでしまったことはそう、自身への報いなのです」


 冬華は足羽川のはるか向こうに浮かぶ朧月を見上げながら、遠い過去を思い出すかのように、自らが死んでしまったことをそう評した。


 (報い? 報いだって? 彼女があの日、何をしたっていうんだ!?)


 彼女が一体何を言いたいのか、桜介には全く理解できなかった。


「春宮さん、『報い』とは、一体あの日あなたは何をしたっていうんですか?」


「正確に言えば、『しようとしていた』と言った方が正しいかもしれません。そしてあの日、私が何をしようとしていたのか、その証拠はまだ残っているはずです」


 冬華は真っ直ぐに目の前の河川敷を見つめる。

 そしてその真剣な眼差しの先には、冬華の言ったことの答えがあると、そう桜介に告げていた。


「何かがこの辺りにあるんですか? ここから見える範囲には、特に何もなさそうですけど」


 桜介はゆっくりと辺りを見回した。

あの日と同じく、今日は月が綺麗だ。目に見える範囲に目立つものは特に見当たらない。ということは、何処か別のところに残っているのだろうか。


「もう少し先に歩いた所になるのですが⋯⋯行きますか? 私はもう平気ですが⋯⋯その⋯⋯深雪さんにとってもお辛い場所でしょうから」


 彼女の労わるようなその言葉で、彼女が言わんとしていることを瞬時に理解した。


 ⋯⋯そうだ、あの日の《《現場》》はここではない。ここから数メートル先の場所が、彼女を死なせてしまった場所だ。


 桜介は彼女の問いかけにすぐに返事をすることができなかった。


 自分が辛いかどうかではない。口では平気だと言う彼女の言葉を、額面通りに受け取っていいのかどうかについて考えていたのだ。


 桜介には冬華が自分が死んだ場所に行くことが平気だとはとても思えなかったのだ。


 本当は強がっているだけで、彼女の誘いを断ることが正しい選択なのかもしれない。

 しかし、亡くなったはずの彼女と、今日こうして顔を突き合わせて再会できたことは奇跡なのだ。

 あの日の場所に訪れることで、彼女にはまた辛い思いをさせてしまうかもしれないと思うと胸の奥がズキリと痛む。

 だが、あの日の真相を知るためにも、桜介は彼女の申し出を受けることにした。


「お気遣いありがとうございます。僕は大丈夫です。春宮さんこそ、本当に大丈夫なんですか?」


「私は平気です。では、行きましょうか」


 彼女は自分の言葉が嘘偽りないことを示すかのように、自ら率先して石から降りると、目的地に向かって迷いなく歩き出した。


 その力強い歩みを見た桜介は、冬華が強がっているのではないとすぐに理解した。


 と同時に、そんな彼女の強さにただ自分は甘えているだけだということにすぐさま思い至り、そんな自分の情けなさを激しく責めた。


 ♢


 彼女に付き従うかのように、桜介は彼女の数歩後ろを歩いていく。


 幽体のはずなのに、彼女はそんなことを感じさせないほど、しっかりと大地を踏みしめている。


 本当は彼女は死んでおらず、生きているのではないだろうか。

 あの日の出来事は全て嘘で、この七年間は何かの夢だったのではないかと、そんな馬鹿みたいな錯覚を覚えそうになる。


 彼女とこうして再会を果たすことはできたが、自分が犯した罪と今一度向き合わなくてはならない。


 桜介は今一度彼女に再開できたことで、今自分にできることは何かを必死に考えていた。


 (⋯⋯僕は彼女に対して、一体何をしてあげられるだろうか)


 思案に耽りながら五分ほど歩いた頃、真っ直ぐに歩いていた彼女がその足を止めた。


「ここですね」


 先ほど彼女と話していた場所と風景はさほど変わらない。


 しかし、桜並木の根元に備えられた花束や数本のジュースの缶が、ここがその場所であることを如実に表していた。


 おそらく最近備えられたものなのだろう、花束の花びらは一枚も枯れていなかった。

 七年たった今でも、残された人たちは彼女を忘れまいと、こうして足を運んでいる。


 自分が奪った命がここにあることを再認識し、桜介はたまらず俯き唇を噛み締めた。


「深雪さん、顔をあげてください」


 そんな桜介の様子を見て、冬華は宥めるように優しく語りかけた。


「お気持ちは分かりますが、私は平気です。それより、深雪さんに探して欲しい物があるんです」


「探して欲しいもの……ですか? なんでしょう」


「私があのとき持っていたポーチです」


 冬華はそう言うと両手の人差し指で空中に四角を描いた。

 指の動きから、彼女が事故当時手に持っていたポーチの大きさを表しているのだとすぐに理解できた。


「ポーチ、ですか? 分かりました。何か特徴とかってありますか?」


「白色で、両手を地面につけてぐでーっとした感じのパンダが刺繍されていたと思います」


 こんな感じですと言うと、彼女は腕を大の字に広げてポーズをとってくれた。


 (ああ、そう言えばそんな感じで怠けた姿のパンダが一時期流行っていたかも)


 桜介は二十年以上前の朧げな記憶の中から、大の字に寝そべっているパンダのイメージを脳裏に浮かべた。


「多分、河川敷の方に落ちていったと思います。桜並木の方は、警察が入念に現場検証していましたから。多分、草むらの影に隠れて見つけきれなかったのでしょう」


 そう答える彼女に、桜介は苦笑した。


「まるで警察の捜査を見てきたかのような口ぶりですね」


「自分でも何と言っていいのか分かりませんが、空から俯瞰して見ていた、と言えばいいのでしょうか。まるで幽体離脱していた感じですね」


 したことありませんけど、と、彼女は自分の言った言葉が面白かったのか、ふふっと微笑んだ。


 彼女の楽しげな姿を見るたびに、桜介は楽しく送れるはずだった彼女の人生を奪ってしまったことを痛感する。

 彼女を見るのは辛い。しかし、自分が招いた現実から目を背けるわけにはいかない。

 何より、辛いのは彼女であって、自分の辛さは後悔から生まれる自責の念でしかないことを桜介は理解していた。


 そして桜介が今すべきことは、ポーチを見つけて欲しいという彼女の要望に応え、彼女の最後の願いを叶えることだった。


「分かりました。とりあえず、草むらの方を探してみますね」


「よろしくお願いします」


 桜介はそう答えると、朧月が照らす、三月のまだ冷たい夜風に揺らされている草むらの中に入っていった。


 この後、彼女から聞かされる話が何であるかも知らないまま——。


 ♢


 予想はしていたことだが、河川敷は川の近くということもあり、先ほどまでいた桜並木の道と比べて体感で五度は寒かった。

 膝下まで伸びる雑草の先が、鋭利なナイフのように桜介の身体に寒さを刻みつけてくる。


 桜介は寒さに耐えながら、目の前に広がる草むらの中を両手でかき分けながら進んでいく。


 どの辺りに落ちているのかは皆目見当もつかないが、そう遠くまで飛んではいないはずだと冬華は言っていた。

 とりあえず現場に近い位置から探してはみたが、目当てのポーチはそう簡単には見つからなかった。

 

 時間が経つにつれ、福井の冬の寒さが身に沁みる。

 両手の指が(かじか)んで痛い。

 少し休みたいなと思った自分の甘さを、彼女が待ってくれている姿を見ることで振り払う。


 それに⋯⋯彼女はこの冷たさすら、もう感じることができない。

 彼女が感じることができた温もりや感触、そこから生まれる気持ちすらも全て自分は奪ってしまった。

 そんな自分が彼女の前で弱音を吐くことなど到底できるはずもなかった。

 

 どれくらいの時間が経ったのだろう。

 指先の感覚がなくなって随分と経った頃、現場と河川のちょうど真ん中辺りの位置で、石ではない何かが桜介の視界の端に入った。


 もしやと思い桜介が手に取ると、案の定目当てのポーチであった。


 ポーチとは言ったが、ポーチらしきものと言った方が、あるいは正しかったもしれない。

 おそらく白色だったであろうその表面は長年晒され続けた雨や泥で真っ黒に変色しており、形もボロボロだった。

 だが、そのボロボロになった表面に、刺繍らしきものを見つけた。

 色は汚れでほとんど分からないが、その形からおそらく冬華が言っていたパンダだということがかろうじて見てとれた。

 その気だるげな体勢が、先程の冬華のそれと一致した。


「春宮さーん!ありましたー!」


 桜介はポーチを見つけた事実をいち早く知らせるため、桜の木の下で見守ってくれていた彼女に向かってそう叫んだ。


 河川敷から見える少し小さくなった彼女は、待ち望んでいた知らせに喜びを表すように、右手を左右に大きく振って応えていた。


 ♢


 桜介が冬華の下まで戻ると、彼女が労いの言葉をかけてかれた。


「お疲れ様です。寒かったですよね。手も赤くなってる」


 桜介はそんな彼女の言葉を聞いて、堪らず涙が出そうになった。


 辛く苦しいはずの彼女は、自分のことは差し置いて僕という他人を思いやる。その心からの優しさは、冷えた桜介の心にとても暖かく響いた。


「いえ、大丈夫です。それよりこれ、開けてもいいんですか?」


「もちろんです。その為に探してもらったんですから。もしや寒い草むらの中を歩かせるだけ歩かせる、なんて仕打ちはいたしませんよ」


 冬華はそう答えると、桜介に向けていた視線をポーチに移した。


 冬華はポーチを開けることができない。そして桜介にそのことを負い目に感じさせないように、言葉ではなく視線で自分の要求を訴えていた。


 桜介は一度息を吐いて呼吸を整えると、意を決してファスナーを手前に向けて引っ張った。


 七年間外に放置されていたこともあり、ファスナーは相当固くなっていた。

 少し引くごとに引っかかり、開扉されることを拒んでいる。

 しかし大人の力に勝てるはずもなく、数秒程の短い攻防を終えると、ファスナーは抵抗を諦め、ポーチの中に隠された物が姿を表した。


 そこに入っていた物は、一本のガラス製の小瓶だった。


 ポーチから小瓶を取り出しその中身を確認すると、中には透明な液体が入っていることが見てとれた。しかし、透き通るようなその色からは、液体の正体を伺い知れることができない。

 中身は何なのか聞こうと顔を上げると、そこにはきつく目を瞑り、小瓶から目を逸らす冬華の姿があった。


「春宮さん、一体これは——」


 桜介がそう尋ねるも、彼女はすぐに答えようとはしなかった。

 思い出したくないことであろうことは、彼女の苦しげな表情から窺い知ることができる。


 そんな彼女を見て、桜介は彼女の誘いを断るべきだったのではないかと後悔した。

 

 彼女に辛い思いをさせたくなかった。

 桜介は、自分ができる最大限の謝罪と償いをするために今日ここを訪れたのだ。  

 彼女がこのまま何も答えないようであれば、彼女を苦しませるこの小瓶を目の前の河川敷にでも捨ててしまうか、なんてことを考えていた。


「——これは、毒薬なんです」


 沈黙を破るように、彼女はポツリと呟いた。


 「今、なんと?」

 

 聞いたはいいが全く予想だにしていなかった回答に面くらい、桜介は再度聞き直すことしかできなかった。

 

 冬華はそれきり黙ってしまった。

 この先を話すべきかどうか迷っていることが困惑した彼女の表情からありありと伝わってきた。

 

 そして、冬華は全て話すことを決意した。

 冬華は震える身体を両手で抱きながら、あの日犯そうとした自分の罪を告白し始めた。


「七年前のあの日、私は母親を殺すつもりでした」


 ♢


「当時私は、母から暴力を受けていました」


 冬華は自分の生い立ちを静かに話し始めた。


 よくある話ですと一言断りを入れて、とつとつと彼女は語り出した。


 冬華と母親の間に血のつながりはなく、彼女は母親の再婚相手の連れ子であること。再婚相手である彼女の父親は、再婚後すぐに交通事故で亡くなったこと。そして、彼女の母親は、会って間もない、ほぼ他人である冬華にキツく当たったこと、つまり、暴力を振るっていたこと。


 初めは穀潰しだの、お前も働けだのという暴言の類で済んでいた。しかし、冬華が反抗しないことも相俟って、母親のいじめは徐々にエスカレートしていった。


 冬華が交通事故に遭ったのは、母親との暮らしが始まってから2か月くらいが経った頃だった。

 そしてその頃、彼女の服の下はすでに痣だらけになっていたのだ。

 

 冬華は次第に自分の人生を呪うようになった。

 そしてふと思ったのだ。どうして私がこんな目に遭わなくてはならないのかと——

 

 私は何も悪いことはしていない。ただ父親の再婚に従ってあの女と暮らしているに過ぎないのに、どうしてこんな仕打ちを受けなくてはならないのだろうか。

 

 彼女の心に暗い影が落ちるのに時間はかからなかった。

 当時、彼女はまだ齢十七の女子高生だ。

 そんな精神的にも未熟な彼女が、この現実から逃れる手段として母親を殺すという方法しか考えつかなったことを誰が責められようか。


 そして冬華はあの日、自分の思いを遂げるつもりだった。

 彼女はSNSを使って手に入れた毒薬を使って母親を殺す——はずだった。


 今にして思うと、バチが当たったと言うべきなのだろう。

 まさか自分が命を落とすことになるとは、夢にも思ってなかった——


 ♢


「つまり、春宮さんがありがとうと言ったのは——」


「ええ、あの日、深雪さんが私の犯行を止めてくれたからです」


 咄嗟に言葉が出なかった。

 

 彼女の話は理解できた。しかし、自分が起こした交通事故の裏でそのようなことが行われようとしていたなど誰が信じることができただろうか。

 

 しかし、冬華の苦痛に歪められた表情が、彼女が話したことの全てが真実であることを如実に物語っていた。


 だとしたら、桜介は結果的に彼女の犯行を止めたのかも知れない。

 それは紛れもない真実であり、事実である。


 けれどその代償として、彼女は命を落とした。

 果たしてそれは道理に合うのだろうか。

 

 冬華を犠牲にしたことで、彼女の母親を救うことはできたかもしれない。

 けれど、それが正しいことで、冬華の自業自得だとは到底思えなかった。


「確かに僕があなたを殺してしまったことで、春宮さんがお母さんを殺めることはなかったかもしれない。でも、自分で立てた計画を止めるために、春宮さんが死ぬ必要はどこにもない」


「確かにそうかもしれません。ですが、母親を殺めずに済んだことについては、やはり感謝の言葉しかありません」


 冬華は桜介の言葉を聞いてもなお、感謝の言葉を口にする。


「それに、私は深雪さんに謝罪もしなくてはいけないんです。本来であれば、《《あの日を境にして、刑務所に入るべきは私の方だったのですから》》」


 彼女のその言葉を聞いて、僕は理解した。


 ——彼女は、僕が来たのがどうして《《今日》》だったのか、既に気付いている。


「深雪さん、あなたは今日刑務所から出所した。そしてすぐに、私に会いに来てくれたのですよね?」


 ♢

 

 過失運転致死。それが桜介に科された罪名だった。


 裁判では、事故の原因は桜介の過失によるところが大きいと判断された。

 しかし、その原因が過重労働であることも併せて認定され、情状として考慮された。


 ——被告人を、過失運転致死の刑により、懲役七年間の実刑に処する。


 それが桜介に下された判決内容だった。


 そして今日、桜介は大阪にある刑務所で七年間の刑期を終えた。

 桜介は刑務所を出所して着の身着のまま、服役中に得た報奨金を資金にして新幹線に飛び乗ったのだ。

 

 刑期中に聞こえてきた、この場所で彼女と思しき人物に会えるという噂を信じて——


 ♢


「どうして、分かったんですか」


 桜介の質問に、冬華は数秒逡巡を巡らせた。

 顎に手をやり思案するその表情が、光に照らされた桜の木を背景によく映えていた。


「深雪さんは営業の仕事をされているとお話ししていましたが、それにしては服装が乱れています。髭も残っていますし、失礼ながら営業のお仕事をしているようには見えません」


 彼女は先程と同じく、まるで探偵かのように、桜介の見た目から不審点を指摘する。


「それに、深雪さんとお話しして、少しはあなたの人となりを知れたと思っています。結論として、深雪さんがここを訪れるのに当たって、お供物の花束の一つも用意しないのは不自然です。用意しなかったというより、《《用意できなかった》》と考えました」


 冬華はそこで一旦言葉を区切り、ふうと息を吐いて呼吸を整えた。


 冬華の指摘したことは全くもって正しかった。

 本当は献花の一つでも用意するつもりでいた。

 しかし、出所した刑務所の近くには花屋などなく、福井に着いた頃には花屋の営業時間を当に過ぎてしまっていた。

 

 桜介の沈黙を肯定と受け取った冬華は、もう一度短い息を吐くと、一気に自分の考えを話した。


「服装、行動、そして今日いきなり会いに来たこと。これらを総合的に考えると、私との交通事故が原因で刑事罰を受け今日まで服役。出所後、すぐに会いに来たと考えるのが合理的です。私は深雪さんを赦していますが、人の命を奪ったという事実を、世間は許してはくれなかったのですね」


「春宮さん——」


「分かっています。嘘をついたのは、私に無用の気遣いをさせないためですよね?」


 全て、お見通しだった。

 会社の影響があったとはいえ、桜介が冬華の命を奪ってしまった事実は変わらない。


 桜介は自分が受けた刑罰について心底納得している。なんの罪をない人一人の命を奪ったのだ。裁きを受けるのは当然だ、何も異論はない。むしろ刑罰が七年で済んだことに驚いているくらいだ。


 けれど、事実は違った。

 冬華はあの日罪を犯そうとして、結果として、桜介は一人の命を救った。


 だからと言って、自分の行為が正当化されるとは微塵も思っていない。


 けれど、彼女の告白で、僕の心がほんの少し軽くなったことは感じていた。

 冬華がわざわざこんな話をしたのは、自らの罪を告白することで、少しでも僕の罪悪感を軽減させたいという思いがあったのはすぐに分かった。


 そして桜介の予想が正しかったと言うように、冬華がとどめの一言を放った。


「深雪さんは、優しい方です。世間が許さなくても、私自身が深雪さんを許します」

 

 緊張の糸が一気に解け、僕の両目から涙が溢れた。

 

 刑罰は受けた。刑期も終えた。社会一般的な制裁も受けた。

 けれど、桜介はまだ、自分自身を許すことができないでいた。


 そもそも簡単に許されていいはずがない。

 故意ではないにしろ、人の命を奪ったのだ。


 七年の刑務所生活くらいでは償いとしては到底足りない。

 いや、違う。もしかしなくも、自分を許す気などそもそもないのかもしれない。

 

 そしてそれが正しくないとは思わない。

 自分の犯した過ちを胸に刻み込むことは悪いことではない。

 二度と同じことを繰り返さないためにも大事なことだと思う。


 けれど、そればかりは辛いこともまた事実だ。

 人生最大と言っていいほどの過ちを犯したことはその通りだが、だからといって今後の人生を後ろめたさと共に送ることが贖罪として正しくないかもしれないと、今では思う。

 

 そんな風に思うのはむろん、こうして春宮冬華と再会を果たしたからだ。

 

 事情はどうあれ、彼女は僕を許すと言ってくれている。

 他でもない彼女の言葉で、少し肩の荷が降りたような気がした。


 (こんな僕だけど、ほんの少しくらいは、自分のことを許してもいいのかな)


 そんな桜介の疑問を、まるで春の風が吹き飛ばすかのように、冬華が言い聞かせるように言葉を紡ぐ。


「いいんです。人は誤ちを犯す生き物ですから。もちろん、自戒することも大事です。だけど、いつか必ず、深雪さんが前を向いて歩いていくことを、私は心の底から願っています」


 少し照れくさそうにほんのりとピンク色に頬を染め、優しく微笑みながら冬華は桜介に右手を差し伸べた。


 桜介がその手をギュッと握りしめると、冬華は握ったその手を左手で優しく包み込んだ。

 

 実際に彼女の手を握ったわけではない。

 けれど、そこには確かな温もりがあった。


「深雪さん、あまりご自身を責めないでくださいね。深雪さんは今日、七年間という、決して短くはない時間を費やして、私に対する贖罪をしっかりと果たしたのですから」


 十分ですよ。と、そう答える彼女の姿が、桜の中に溶けるように白く霞んでいく。

 彼女は桜介の前から旅立とうとしていた。

 桜介と彼女の間には、もう時間が残されていなかった。


「春宮さん!!」

「⋯⋯時間ですね。最後に深雪さんに感謝を伝えることができてよかった」


 冬華はつきものが落ちたような顔で桜介を見つめた。


 桜介は冬華への謝罪を果たし、冬華もまたあの日の罪を告白した。

 二人の間に(わだかま)りはもうない。

 

 なのに、別れというのはこうも突然訪れる。

 まだ満足に言葉を交わしきれていない二人には、あまりにも辛い現実。

 

 けれど、だからこそ、二人は最後に思いの丈を叫び合う。

 

「さようなら、桜介さん!あなたのこれからに、どうか桜が咲きますように!」


「春宮さん……っ!辛い思いをさせてしまって、本当にすいませんでした!そして、優しさを!温もりを!ありがとう!!」


 そして、これだけは伝えなくてはいけないと、桜介は今日一番の大声で彼女の名を叫ぶ。


「春宮さん! 僕は来年も、ここであなたを待っていますから!」


「桜介さん! 来年また、この場所で⋯⋯」


 会いましょうという、彼女の最後の言葉は桜介の耳に届くことはなかった。

 けれど、桜が舞い散る春の中に溶けていった彼女は、暖かな笑顔を桜介に残していった。つまり、それが答えだろう。

 

 桜介は踵を返して、彼女と歩いてきた道のりを戻り始めた。


 両脇に連なる桜の木は、その枝先に花を開かせ、開花の時を告げようとしている。

 

 ——今ここから、前を向いて歩き出そう。


 自分が犯した罪は消えない。だが、やり直すことはできる。

 

 たとえ間違えたとしても新しい一歩を踏み出すことができる。


 それが人生なのだと、他でもない彼女が教えてくれた。


 今度会ったときには胸を張って会えるように、これからの人生を歩んでいこう。


 桜介は冬華への誓いを胸に、一歩、また一歩と足を踏み出し桜並木を歩いていく。


 『桜介さんなら、きっと大丈夫』


 暖かな春の声が、舞い散る桜の中から聞こえたような気がした。


 

いかがでしょうか?

拙文で申し訳ない所存です。


題材となった場所は実在する場所をモチーフにさせていただきました。

ぜひ福井に桜を見にきてください!


今後も宜しくお願いします!

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