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春宮冬華の告白

作者: 真白悠月

初めまして!

真白悠月ましろ ゆづきと申します!


福井を舞台に描きたいなと思い執筆した次第です!

一人でも多くの方の心に刺さるといいなと思います。どぞっ!

 数年前くらいから、ある一つの噂が耳に入るようになった。


 福井県のある桜の名所地。

 その某所において、3月下旬から4月上旬の限られた日の夜、桜並木の一角に、一人の少女が所在なげに石垣に座っているという。


 幽霊なのではないかーー。

 そんな憶測がすぐさま飛び交った。


 確かに、ある者はその体が透けていたと言っていた。

 しかし、またある者は、その少女と世間話をしたと言う。

 つまりは真偽不明。彼女が何者なのかは未だ謎のままだ。


 しかし、僕には彼女の正体に一つの心当たりがある。

 いや、正確には僕が予想した以外の答えは考えられないと言った方が正しいかもしれない。

 この仕事を終えたらすぐにでもその真偽を確かめに行こう、そう心に誓った。


 そして僕の予想通り、その人物が彼女であったなら、僕は彼女が最後に言った言葉の真意を聞かねばならない。


「ーーありがとう」


 今にも消え入るような小さな声でそう言った、彼女が残した言葉の意味をーー。


 ♢


 僕は今、七年ぶりにあの日の桜並木に立っている。


 時刻は深夜零時。


 僕から向かって右手側には、春の朧月による月光と、ライトアップにより照らし出された春の代名詞が、その季節の到来を知らせるかのように壮大に咲き誇っていた。


 僕は七年ぶりに見るその荘厳な景色に目を奪われつつ、(くだん)の少女が現れると噂の場所までゆっくりと歩みを進めた。


 この桜並木は、車が優にすれ違えるほど幅のある大きな道沿いに連なっている。

 そのため、たとえ道路に桜を鑑賞する歩行者がいたとしても、まず間違いなく気づくことができる。


「本当に⋯⋯僕は⋯⋯どうして⋯⋯」


 この七年間、あの日のことばかり考えている。どうしてこうなったのか、どうすればよかったのか。後悔と自責の念だけが、僕の心を埋め尽くしている。


 考え続け続けても答えが出ないと分かっていても、僕の思考は止まらない。


 そのまま歩みを続けていると、数十メートル先の一本の桜の木の後ろから、棒のようなものが規則的に上下に動きながら見え隠れしていることに僕は気付いた。


 それが人の脚であると認識するまで、そう時間はかからなかった。


 ドクンと、自分の心臓が音を立てて跳ね上がる。


 件の少女が、そこにいる。

 ここからでは華奢な脚しか見えないが、もしや、本当に彼女ではないだろうか。


 僕は逸る気持ちを抑えながら、歩速を上げつつもゆっくりと近づいていく。


 あそこには何があっただろうかと、僕は記憶の海を潜っていく。

 そういえば、桜並木の木々の間に一箇所、ぽっかりと開けた空間があったこと、そこには大人二人が横に並んで座れるくらいの大きな石が陣取っていたことを僕は思い出した。


 七年ぶりに訪れたにも関わらず、よく覚えていたなと我ながら感心していた矢先、自分の記憶が正しかったことがすぐさま証明された。


 果たして、僕がたどり着いたその場所には、大きな石に座った女子高生然とした少女が一人、白く透き通った二本の脚を、前後にパタパタさせがら所在なさげに座っていたのだった。

 

「ーーっ」


 咄嗟に声が出なかった。まさか本当に、彼女がいるとは思ってもいなかった。


 僕が呆気に取られて立ちすくんでいると、彼女は立ちすくむ僕の存在に気が付いた。

 そして、彼女もまさか僕がここに来るとは夢にも思わなかったのだろう。大きな両目が瞬きを二度、三度と繰り返すのが見てとれた。


「ーー深雪桜介さん、ですか?」


 ひんやりとした夜気の中、少し自信なさげにそう尋ねてくる彼女の透き通った声が、真っ直ぐに僕の耳まで届いた。


 ああ、本当に彼女だ。

 あの日聞いた声と寸分違わない声音に、僕は溢れる気持ちを堪えつつ、


「ーーええ、深雪です。こんばんは、春宮冬華さん」


 震える声で、七年振りの挨拶をすることができたのだった。


「よかった、やっとお会いすることができました」


 桜が咲いたような美しい笑顔で、彼女は喜びを口にするのだった。


 彼女と最後に会ったのは七年前のちょうど今日だ。

 当時高校二年生だった彼女も、現在は二十四歳になっていた。


 しかし、目の間の彼女は、当時と全く変わらない容姿をしていた。

 艶やかな長い黒髪も、ぱっちりといた二重が印象的な整った顔立ちも、何もかも僕の記憶の中の彼女と変わらなかった。


 僕は、彼女から目を逸らすように顔を下に背けてしまった。


 僕は、そんな彼女の姿を見るのが辛かったのだ。


 いや、違う。本当は目の前の現実から目を背けたかった。彼女はきっと僕を憎んでいると、思い知るのが怖かった。


 だが、兎にも角にも、まずはやるべきことを果たさなければ。


「春宮さん」

「どうしました?」

「本当に、本当に、この度は、申し訳ありませんでした!!!」


 僕は深々と頭を下げた。

 彼女は納得しないだろうことは分かっているが、誠意を見せるにはこれしか思いつかなかった。


「深雪さん、顔をあげてください」


 恐る恐る顔を上げると、彼女は柔らかい笑みを浮かべていた。


「確かに、私は世間一般的にいうところの酷い目に遭いました。ですが、あなたを恨んでなどいませんよ。あの時、こう言ったことをお忘れですか?」


 そこで一旦言葉を区切り、真っ直ぐと僕を見つめながら、


「ーーありがとう、と」


 彼女は七年前と同じく、僕に感謝の言葉を述べたのだった。


 やはり、僕の聞き間違いではなかったのか。

 あの状況で感謝される意味が分からなくて、僕はこの七年間、彼女の真意を確かめずにはいられなかった。


「僕は今日、あなたに謝罪をするためにここに来ました。ですが、よければその言葉の真意についてもお聞きかせ願えますか?」

「ええ、もちろんです。私も深雪さんにそのことをお伝えするためにここに来たんですから」


 彼女は自分が座っている石の左隣を二回ポンポンと叩き、横に座るように促してきた。


 僕は彼女の横に座ることに少し抵抗を覚えたが、座らないと話も進まないと思い直し、彼女に勧めらるがまま腰を下ろした。


 すると突然、今までの暗い雰囲気を吹き飛ばすような明るい口調で


「まあでも、暗い話ばかりもなんですから、とりあえず世間話でもしませんか?」


 白く細い指を両手に合わせながら、お茶でも誘うかのような気軽さでそう提案してきたのだった。


 ⋯⋯この子、本気か!?


 僕は彼女の提案に面食らってしまい、すぐに返事をすることができなかった。

 

 だがすぐに、ある一つの考えが浮かび上がった。


 ーーそうか、今までずっと独りだったから、話し相手がほしいのか。


 この考えが正しければ、すべての元凶が自分にあることは明白だ。そんな僕には、彼女の誘いを受け入れる以外の選択肢はなかった。


「いいですね。ただ、僕に面白い話ができる自信はありませんが」

「気にしないでください。私も口下手な方ですから。あの、さっきからずっと気になっていたんですが」

「どうかしましたか?」

「その格好、少し寒くありませんか?」


 僕の服装はビジネススーツにロングコートという、いかにも冬のサラリーマンという格好だ。

 彼女が指摘したとおり、まだ寒さが残る三月の福井において、僕の服装の防御力はいささか以上に低い。

 かくいう彼女も、下は水色のチェックのスカートに黒いタイツ、上はダッフルコートと、そこまで厚着ではない。しかし、彼女からはまったく寒がる様子は見受けられなかった。


「寒いです。仕事を終えてから急いで終電に乗ったもので」

「そうだったんですね。お仕事お忙しいんですね」

「どうしてですか?」

「髭が少し残っていますし、スーツも少しよれてます。服装や身なりからお忙しいことが見て取れます。ちゃんと帰って寝てますか?」

「ええ、大丈夫です。すみません、もう少し身だしなみに気を遣ってくるべきでした」


 はははと、乾いた笑い声が、凛とした空気の中に消えていく。

 少しドキッとしたが、なんとか誤魔化せただろうか。


 僕の不安をよそに、彼女は話を続ける。

「会うのは七年ぶりになりますが、この七年はどうでしたか?やっぱりお仕事が大変でしたか?」

「⋯⋯そんな感じです。ちょっと忙しくて、来るのが遅れてしまい申し訳ありません」

「気にしないでください。そういえば、どんなお仕事をされてるんですか?」

「どんな⋯⋯と言っても、普通に営業の仕事ですね」

「営業ですか。契約が取れなくて怒られたりする印象が強く、大変そうなイメージしかありません。すごいです!」

「いえ、そんな大層な仕事をしているわけではないので。恐縮です」


 彼女のストレートな褒め言葉に戸惑ってしまい、なんともかしこまった返答になってしまった。

 話の流れで言えば、次は僕の方から「春宮さんはどうでしたか?」と、尋ねる番だ。


 だが、それは絶対に無理だ。

 春宮さんの七年間については、想像もしたくない。

 それに聞いたとして、彼女はなんと答えるというんだ。⋯⋯いや、それについても考えたくはないな。


 僕がそう悩んでいるのを知ってか知らずか、彼女は努めて明るく話しかけてくる。


 趣味はありますか?休日はどこか出かけたりしますか?帰省したなら、やっぱり秋吉は行きますよね?


 人と話すことが久しぶりで、心底楽しいと言わんばかりに、矢継ぎ早に尋ねてくる。しかし、彼女の質問に答えるたびに、僕の胸の中には罪悪感という澱ばかりが溜まっていく。


「深雪さん、これから何かしたいことはありますか?」


 それがとどめだった。

 僕は言葉に詰まり、何も発することができなった。


 そして僕は、


「春宮さん!」


 と、大きな声で彼女の名前を呼び、会話を断ち切ってしまった。

 いや、違うな。僕はわざと会話を断ち切ったのだ。


これ以上、彼女と仲睦まじく会話をすることができなかったのだ。


 彼女は少し目を丸くすると、黙ったまま、僕の次の言葉を待っていた。


「春宮さん⋯⋯、どうして、そんな風にあなたは僕と話ができるのですか?」

「どうして⋯⋯というのは?」

「僕には到底理解できない。だって⋯⋯」


 意を決して、僕は言った。


「僕は七年前、あなたを殺した殺人犯なのですから」


 ♢

 

 七年前、当時、僕は福井のとある会社に勤務しており、営業の職に就いていた。

 開始時刻こそ朝の九時と遅めではあるものの、終業が夜中の零時を過ぎるのは当たり前、契約を取れなければ上司にこっぴどく怒られ、口汚く罵られた。

 

 正真正銘、今で言うブラック企業というやつだ。


 日々の業務の忙しさもさることながら、上司から叱責される毎日に、身体的にも精神的にも、僕の疲労はピークに達していた。

 

 そして僕は、一つの大きすぎる過ちを犯した。


 交通事故だった。


 七年前の今日、足羽川の桜並木を走る一台の車が、当時高校生だった女の子を跳ねて死亡させた。

 即死ではなかったものの、打ちどころが悪く、搬送先の病院で施術中に死亡が確認された。


 犯人の名前は、深雪桜介。


 そしてその日死んだ被害者の名前は、春宮冬華。


 ♢


「確かに、客観的に見れば異常な光景かもしれませんね。自分を殺めた人と、こうして隣り合って座りながら話をするなんて」


 彼女はそんな当たり前の事実に今更気付いたのが可笑しかったのか、くすり笑った。


 僕はそんな彼女の態度に戸惑いを隠せなかった。


「どうして⋯⋯そんな風に笑えるんですか?」

「すみません、不謹慎でしたね」

「いえ、別に春宮さんが謝ることでは⋯⋯すみません」


 彼女に謝罪をさせてしまったことを僕は深く反省した。

 悪いのは僕であって、彼女ではないのだから。

 

「ただ、どうにも理解できないんです。春宮さんは、なんで僕とこんな風に友好的に話せるんですか?普通、恨み言の一つや二つあるでしょう」

「恨むなんてありませんよ。再三お伝えしていますが、私は深雪さんに感謝しているんです。そして、私が死んでしまったことはそう、自身への報いなのです」


 彼女は足羽川のはるか向こうに浮かぶ朧月を見上げながら、遠い過去を思い出すかのように、自らが死んでしまったことをそう評した。


 報い?報いだって?彼女があの日、何をしたっていうんだ!?


 彼女が一体何を言いたいのか、僕には全く分からない。


「春宮さん、『報い』とは、一体あの日あなたは何をしたっていうんですか?」

「正確に言えば、『しようとしていた』、ですね。そして、あの日私が何をしようとしていたのか、その証拠はまだ残っているはずです」


 その証拠がこの先にあると、そう彼女の視線が告げていた。


「何かがこの辺りにあるんですか?ここから見える範囲には、特に何もなさそうですけど」


 僕はゆっくりと辺りを見回した。あの日と同じく、今日は月が綺麗だ。目に見える範囲に目立つものは特に見当たらない。ということは、何処か別のところに残っているのだろうか。


 僕の疑念を読み取った彼女が、伏目がちに僕に問いかけてきた。


「もう少し先に歩いた所になるのですが⋯⋯行きますか?私はもう平気ですが⋯⋯その⋯⋯深雪さんにとってもお辛い場所でしょうから」


 彼女の労わるようなその言葉で、彼女が言わんとしていることを瞬時に理解した。

 ⋯⋯そう。あの日の《《現場》》はここではない。ここから数メートル先の場所が、彼女を死なせてしまった場所になる。


 僕は行くかどうかを逡巡した。

 僕が辛いかどうかではない。口では平気だと言う彼女の言葉を、額面通りに受け取っていいのかどうかについて考えていた。


 自分が死んだ場所に行くことが平気だとは、僕にはとても思えない。

 本当は強がっているだけで、彼女の誘いを断ることが正しい選択なのかもしれない。

 しかし、亡くなったはずの彼女と、今日こうして顔を突き合わせて再会できたことは奇跡なのだ。彼女にまた辛い思いをさせてしまうかもしれないと思うと心底申し訳ないとは思うのだが、真相を知るためにも、彼女の申し出を受けることにした。


「お気遣いありがとうございます。僕は大丈夫です。春宮さんこそ、本当に大丈夫なんですか?」

「私は平気です。では、行きましょうか」


 彼女は自分の言葉が嘘偽りないことを示すかのように、自ら率先して石から降りると、目的地に向かって迷いなく歩き出した。


 ♢


 彼女に付き従うかのように、僕は彼女の数歩後ろを歩いていく。

 幽体のはずなのに、彼女はそんなことを感じさせないほど、しっかりと大地を踏みしめている。


 本当は彼女は死んでおらず、生きているのではないだろうか。

 あの日の出来事は全て嘘で、この七年間は何かの夢だったのではないかと、そんな馬鹿みたいな錯覚を覚えそうになる。


 彼女とこうして再会を果たすことはできたが、僕は自分が犯した罪と今一度向き合わなくてはならない。


 ⋯⋯僕は彼女に対して、一体何ができるだろうか。


 そんなことを考えながら、五分ほど歩いた頃、真っ直ぐに歩いていた彼女がその足を止めた。


「ここですね」


 先ほどいた場所と、さほど風景は変わらない。


 しかし、ここが現場であることが、桜並木の根元に備えられた花束や数本のジュースの缶から一目瞭然だった。

 おそらく最近備えられたものなのだろう、花束の花びらは一枚も枯れていなかった。

 七年たった今でも、残された人たちは彼女を忘れまいと、こうして足を運んでいる。


 自分が奪った命がここにあることを僕は再認識し、たまらず俯いてしまった。


「深雪さん、顔をあげてください」


 下を向く僕の様子を見て、彼女は慌ててそう言った。


「お気持ちは分かりますが、私は平気です。それより、深雪さんに探して欲しい物があるんです」


 彼女は手をぱたぱたと横に振りながら、僕の気持ちをよそにそんなお願いをしてくるのだった。


「探して欲しいもの、ですか?なんでしょう」

「私があのとき持っていたポーチです」


 彼女はそう言うと、両手の人差し指で空中に四角を描き、当時手に持っていたポーチの大きさを表した。


「ポーチ、ですか?分かりました。特徴とかありますか?」

「白色で、両手を地面につけてぐでーっとした感じのパンダが刺繍されていたと思います」


 ああ、そう言えばそんな感じで怠けた姿のパンダが一時期流行っていたかも。

 僕はぼんやりとした記憶の中から、パンダのイメージを脳裏に浮かべた。


「多分、河川敷の方に落ちていったと思います。桜並木の方は、警察が入念に現場検証していましたから。多分、草むらの影に隠れて見つけきれなかったのでしょう」


 そう答える彼女に、僕は一つの疑問を持った。

「まるで警察の捜査を見てきたかのような口ぶりですね」

「自分でも何と言っていいのか分かりませんが、空から俯瞰して見ていた、と言えばいいのでしょうか。まるで幽体離脱していた感じですね」


 したことありませんけど、と、彼女は自分の言った言葉が面白かったのか、ふふっと微笑んだ。


 彼女の楽しげな姿を見るたびに、僕は彼女の人生を奪ってしまったことを理解する。

 彼女を見るのが辛い。しかし、僕が今すべきことは彼女の要望に応え、少しでも償いをすることだと意識を改めた。


「分かりました。とりあえず、草むらの方を探してみますね」

「よろしくお願いします」


 僕はそう答えると、朧月が照らす、三月のまだ冷たい夜風に揺らされている草むらの中に入っていった。

 この後、彼女から聞かされる話が何であるかも知らないままーー。


 ♢


 予想はしていたことだが、河川敷は川の近くということもあり、先ほどまでいた桜並木の道と比べて体感で五度は寒かった。


 僕は目の前に広がる草むらの中を、両手でかき分けながら進んでいく。

 どの辺りに落ちているのかは皆目見当もつかないが、そう遠くまで飛んではいないはずだと春宮さんは言った。

 とりあえず現場に近い位置から探してはみたが、目当てのポーチはそう簡単には見つからない。

 

 福井の冬の寒さが身に沁みる。

 両手の指が(かじか)んで痛い。

 少し休みたいが、彼女が待っている。


 それに⋯⋯彼女はこの冷たさすら、もう感じることができないのだ。

 僕が彼女の目の前で弱音を吐くことなどできない。

 

 どれくらいの時間が経ったのだろう。

 指先の感覚がなくなって随分と経った頃、現場と河川のちょうど真ん中辺りの位置で、僕はポーチらしきものを発見した。


 おそらく白色だったであろうポーチらしきものは、雨や泥で真っ黒に変色しており、形もボロボロだ。だが、汚れて見えにくくはなっているが、そこにはパンダらしきものの刺繍が施されていた。

 その気だるげなだるーっとした体勢は、僕の記憶のそれと一致する。

 探し物のポーチであることを僕は確信した。


「春宮さーん!ありましたー!」


 僕はポーチを見つけた事実をいち早く知らせるため、桜の木の下で見守ってくれていた彼女に向かってそう叫んだ。


 河川敷から見える少し小さくなった彼女は、待ち望んでいた知らせに喜びを表すように、右手を左右に大きく振って応えてくれた。


 ♢


 河川敷から春宮さんの下まで戻ると、彼女が労いの言葉をかけてかれた。


「お疲れ様です。寒かったですよね。手も赤くなってる」


 僕はそんな彼女の言葉を聞いて、堪らず涙が出そうになった。


 辛く苦しいはずの彼女は、自分のことは差し置いて僕という他人を思いやる。その心からの優しさは、冷えた僕の心にとても暖かく響いた。


「いえ、大丈夫です。それよりこれ、開けてもいいんですか?」

「もちろんです。その為に探してもらったんですから。もしや寒い草むらの中を歩かせるだけ歩かせる、なんて仕打ちはいたしませんよ」


 彼女はそう答えると、視線を僕からポーチに移した。

 今の彼女はポーチを開けることができない。だから、代わりに開けてくださいと、彼女の目が訴えかけてくる。

 僕は一度息を吐いて呼吸を整えると、意を決してファスナーを手前に向けて引っ張った。


 七年間外に放置されていたこともあり、ファスナーはだいぶ固くなっていた。

 少し引くごとに引っかかり、開扉されることを拒んでいる。

 しかし大人の力に勝てるはずもなく、数秒程の短い攻防を終えると、ファスナーは抵抗を諦め、ポーチの中に隠された物が姿を表した。


 そこに入っていた物は、一本のガラス製の小瓶だった。


 ポーチから小瓶を取り出しその中身を確認すると、中には透明な液体が入っていることが見てとれた。しかし、透き通るようなその色からは、液体の正体を伺い知れることができない。

 中身は何なのか聞こうと顔を上げると、そこにはきつく目を瞑り、小瓶から目を逸らす彼女がいた。


「春宮さん、一体これはーー」


 僕がそう尋ねるも、彼女はすぐに答えようとはしなかった。

 思い出したくないことであろうことは、彼女の苦しげな表情から窺い知ることができる。


 そんな彼女を見て、やはり僕は彼女の誘いを断るべきだったのではないかと後悔した。

 

 僕は、二度も彼女を苦しめるつもりでここに来たのではない。

 僕は、彼女がこのまま何も答えないようであれば、彼女を苦しませるこの小瓶を目の前の河川敷にでも捨ててしまうか、なんてことを考えていた。


「ーー毒薬なんです」


 そう答えた彼女は、震える身体を両手で抱きながら、あの日犯そうとした自分の罪を告白し始めた。


「七年前のあの日、私は母親を殺すつもりでした」


 ♢


「当時私は、母から暴力を受けていました」


 彼女は自分の生い立ちを静かに話し始めた。


 よくある話ですと、彼女は小さく呟いた。


 彼女と母親の間に血のつながりはなく、彼女は母親の再婚相手の連れ子であること、再婚相手である彼女の父親は、再婚後すぐに交通事故で亡くなったこと、そして、彼女の母親は、会って間もない、ほぼ他人である彼女にキツく当たったこと、つまり、暴力を振るっていたこと。


 初めは穀潰しだの、お前も働けだのという暴言の類で済んでいた。が、彼女が反抗しないことも相俟って、母親のいじめは徐々にエスカレートしていった。


 僕に跳ねられのは、母親と彼女だけの暮らしが始まってから2か月くらいが経った頃だった。

 その頃、彼女の服の下はすでに痣だらけになっていた。

 まだ齢十七の女子高生であった彼女には、この現実から逃れる手段は母親を殺すという方法しか考えつかなった。


 そう、僕に跳ねられたあの日、彼女はSNSを使って手に入れた毒薬を使って母親を実際に殺すつもりだったのだ。

 

 しかし、言うまでもなく、それが実行に移されることはなかった⋯⋯。


 ♢


「つまり、春宮さんがありがとうと言ったのはーー」


「ええ、あの日、深雪さんが私の犯行を止めてくれたからです」


 言葉が出なかった。

 確かに、僕は彼女の犯行を結果的に止めたのかも知れない。


 だけどその代償として、彼女は命を落とした。

 しかし、それは道理に合わない。


「確かに僕があなたを殺してしまったことで、春宮さんがお母さんを殺めることはなかったかもしれない。でも、自分で立てた計画を止めるために、春宮さんが死ぬ必要はどこにもない」

「確かにそうかもしれません。ですが、母親を殺めずに済んだことについては、やはり感謝の言葉しかありません」


 春宮さんは僕の言葉を聞いてもなお、感謝の言葉を口にする。


「それに、私は深雪さんに謝罪もしなくてはいけないんです。本来であれば、《《あの日を境にして、刑務所に入るべきは私の方だったのですから》》」


 彼女のその言葉を聞いて、僕は理解した。


 ーー彼女は、僕が来たのがどうして《《今日》》だったのか、そのことでに気付いている。


「深雪さん、あなたは今日刑務所から出所した。そしてすぐに、私に会いに来てくれたのですよね?」


 ♢


 裁判では、事故が僕の過失によるもので間違いないことが認定された。

 そしてその原因が過重労働であることも併せて認定され、情状として考慮された。


 ーー被告人を、過失運転致死の刑により、懲役七年間の実刑に処する。


 それが僕に下された判決だった。


 そして今日、大阪にある刑務所で七年間の刑期を終えた。

 僕は刑務所を出所してすぐ、服役中に得た報奨金を資金にして、彼女に会いに来たのだった。


 ♢


「どうして、分かったんですか」

「深雪さんは営業の仕事をされているとお話ししていましたが、それにしては服装が乱れています。髭も残っていますし、失礼ながら営業のお仕事をしているようには見えません」


 彼女はまるで探偵かのように、僕の見た目から不審点を指摘する。


「それに、深雪さんとお話しして、少しは人となりを知れたと思っています。結論として、深雪さんがここを訪れるのに当たって、お供物の花束の一つも用意しないのは不自然です。用意しなかったというより、用意できなかったと考えました」


 そこで一旦言葉を区切ると、一気に自分の考えを話した。


「服装、行動、そして今日いきなり会いに来たこと。これらを総合的に考えると、今日まで服役していて、出所後すぐに会いに来たと考えるのが合理的です。私は深雪さんを赦していますが、人の命を奪ったという事実を、世間は許してはくれなかったのですね」

「春宮さんーー」

「分かっています。嘘をついたのは、私に無用の気遣いをさせないためですよね?」


 全て、お見通しだった。

 会社の影響があったとはいえ、僕が春宮さんの命を奪ってしまった事実は変わらない。

 僕は然るべき裁きを受けた。そのことに何も異論はない。むしろ刑罰が七年で済んだことに驚いているくらいだ。


「深雪さんは、優しい方です。世間が許さなくても、私自身が深雪さんを許します」

 

 緊張の糸が一気に解け、僕の両目から涙が溢れた。

 

 僕はまだ、僕自身を許すことができない。

 しかし、彼女の言葉に、どこか肩の荷が降りたような気がした。

 

 僕は、許されていいのだろうか。

 僕はこれから前を向いて、歩いてもいいのだろうか。


「いいんです。人は皆誤ちを繰り返し、それでも、前を向いて歩いていくのですから」


 彼女は僕に優しく手を差し伸べてくれている。

 僕はその手を優しく握りしめると、彼女は今日一番の笑顔を見せた。


「深雪さん、あまりご自身を責めないでくださいね。深雪さんは今日、七年間という、決して短くはない時間を費やして私に対する贖罪をしっかりと果たしたのですから」


 十分です。と、そう答える彼女の姿が、桜の中に溶けるように白く霞んでいく。


 僕と彼女の間には、もう時間が残されていなかった。


「ーー春宮さん!!」

「⋯⋯時間ですね。最後に深雪さんに感謝を伝えることができてよかった」


 彼女は晴れやかな笑顔で、僕の前から旅立とうとしている。

 僕はまだ、彼女に謝罪も感謝も満足にできていない。なのに、僕の犯した罪がそれを許そうとしてくれない。


「さようなら、桜介さん!あなたのこれからに、どうか桜が咲きますように!」

「春宮さん……っ!辛い思いをさせてしまって、本当にすいませんでした!そして、優しさを!温もりを!ありがとう!!」


 そして、これだけは伝えなくてはいけない。


 

「春宮さん!僕は来年も、ここであなたを待っていますから!」

「桜介さん!来年また、この場所で⋯⋯」


 会いましょうという、彼女の最後の言葉は聞けなかった。

 桜が舞い散る春の中に溶けていった彼女は、暖かな笑顔を僕に残していってくれた。それが答えだろう。

 

 僕の犯した罪は消えない。だが、やり直すことはできる。

 今度会ったときは胸を張って会えるように、僕は僕のこれからを歩んでいこう。


 『桜介さんなら、きっと大丈夫』


 暖かな春の声が、舞い散る桜の中から聞こえたような気がした。

いかがでしょうか?

拙文で申し訳ない所存です。


題材となった場所は実在する場所をモチーフにさせていただきました。

ぜひ福井に桜を見にきてください!


今後も宜しくお願いします!

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