07王太子サイド。後悔するも……
アシェルサイド
婚約を保留後からかなり経過した年。再び開かれた夜会は、隣国の王族が参加する、いつも以上に華やか。
夜会の主催はアシェルだったが、彼はテーラを避けるように彼女の視界に入らない場所にいた。テーラは、隣国の大商会の代表であるフェチルと並んで夜会の中心に立っていた。
身につけているのは高級なドレスではなく、ぶどうの葉をモチーフにしたシンプルで上品なデザインのドレス。
「テーラ様、隣国の王太子殿下とその妹君がこちらに来られます」
フェチルの声にテーラは顔を上げる。
二人の王族はアシェルとは比べ物にならないほど、堂々とした風格と知性を感じさせる人物だ。
「はじめまして、カベルネ侯爵令嬢、テーラ様。あなたの噂は隣国でも聞き及んでおります」
隣国の王太子は穏やかな口調でテーラに語りかけた。
「恐縮です。王太子殿下」
「噂に違わず、魅力的な女性だ。特にあなたが立ち上げられたというヴァレンシアブランドには我々も興味があります」
隣国の王太子の微笑みながらの視線は、アシェルがテーラに向けるような冷たいものではなく、純粋な好奇心に満ちていた。
「この国でまだワインが知られていないとは驚きだ。我々の国ではワインは生活に欠かせないものだからな」
隣国の王太子の言葉にテーラは自信を持って語り始める。
「はい。だからこそ国の土壌に合った、最高のワインを作りたいと考えております」
「素晴らしい!ぜひ、あなたのワインを我々の国にも輸出していただきたい。その際は、我々が最大限の支援を約束しよう」
隣国の王太子がそう告げた瞬間、アシェルの顔がみるみるうちに青ざめていくのが見えた。
テーラが隣国の王族と親密に話している様子を見て、ようやく事の重大さに気づいたのだろう。
(えっ、このままでは隣国の王族に奪われるんじゃないか?それに、彼女が作るワインは莫大な利益を生む。みすみす手放すわけにはいかない。早く好きだと告げて留まって守らねば)
アシェルは焦りの色を隠せない。慌ててテーラに駆け寄ろうとしたが行く手を隣国の王太子が静かに遮った。
「アシェル殿下。彼女は今、わが国にとってそれはそれは大切な……客人なのです。重大な話し合いの場の邪魔をなさらないでいただきたいのですがねえ?」
隣国の王太子の冷たい視線にアシェルの足が止まる。二人の様子をテーラは静かにジッと見つめていた。邪魔されないかと監視しているのだ。近くに行き、釘を刺す。
「少しよろしいでしょうかアシェル様。あなたは私に言いましたよね。ぶどうはただの食べ物だとおっしゃいました。必要ない、農産品が一つ増えるだけ……この耳で聞きましたから。ずぅっと覚えていますからね?」
テーラの声は夜会の喧騒の中でも、はっきりと響いた。
「それにしても……ふふ!見てください。このぶどうは隣国の王族をも魅了するほどの価値を持っています。目に映らなかったこの価値を私はこれから、この世界中に知らしめてみせますのでのんびり遥か遠くから興味もないものを見ていてくださいね」
「あ……それ、は」
アシェルの顔は悔恨と絶望で歪んで、彼の耳にフェチルの声が聞こえた。
「王族が価値あるものを無価値だと決めつけ、それを蔑ろにする。そんな国に未来はない。そう思いませんか、殿下?」
フェチルの言葉はアシェルだけでなく、周りで成り行きを見守っていた貴族たちにも深く突き刺さった。
アシェルがテーラとの婚約を保留にしたことはすでに多くの貴族が知っている。
理由がぶどうという無価値なものへの侮辱だったとは誰も知らなかったことだが王族が、宝を逃したことが白日の元に晒された。
テーラはアシェルに背を向け、フェチルと微笑み合う美しい瞳にはアシェルに向けた悲しみも怒りもなくあるのは、未来への希望と自分を信じてくれる仲間への感謝だけしかない。そこに婚約者はいないのだ。
「さあ、フェチル様。行きましょう。私たちのヴァレンシアブランドが世界一になる日も近いですね」
テーラの言葉に力強く頷いた。
遠巻きに二人の様子を見ていたアシェルは完全に打ちひしがれる。
最も価値のあるものを自らの手で捨て去ってしまったのだと。確かに王妃にはなってはくれるだろう。
それは、なるだけでこの国の国益には関与しないという意味合いなのは嫌でも理解させられる。
テーラはアシェルとの口論の後すぐに「私では王妃としての務めは果たせません。婚約を保留させてください」と王に申し出た。
王は真摯な姿勢とぶどう栽培という新たな道に情熱を燃やしていることに気づき、申し出を受け入れたので保留扱いと今もなっている。
王とて、もっと寄り添っていればという視線を寄越す回数が増えたが失ったものは、二度と彼の元には戻ってこないだろう。
フェチルに肩を叩かれて振り返ると、記憶よりも大人びた男はこちらを見て豊かな笑みを見せてきた。
婚約を保留にしてから夜会でワインを絶賛されて直ぐに王室に入ったのだが、居住まいは隣国の近くに移り、王城へは近寄りもない。
元より結婚したくないとあれだけ言ったのに、結婚させたのだからもういいだろう。




