4 完全なる朝
朝が来た。
セオ・ノア=ヴェルンは、いつものように目覚ましの音で目を覚ました。
眩しい陽光、カーテンの隙間から射す白。
窓の外では、子供の笑い声が聞こえる。
――完璧な朝。
しかし、何かが違う。
胸の奥で、鈍い違和感が鳴っていた。
何かを忘れてはいないか。
いや、何かを思い出してはいけない気がする。
手元のノートを開く。
昨日のページが、白紙になっていた。
確かに文字を書いたはずだ。
カイの名前も、あの教会の描写も。
なのに、インクの跡すら残っていない。
セオは息を詰める。
“再演算”の瞬間に見た白光が脳裏をかすめた。
あの感覚は夢じゃない。
――世界が“上書き”された。
通学路。
見慣れた街並み。
だが、看板の文字が一文字だけ違っていた。
パン屋の名前が「ラ・ミューズ」から「ラ・ミューゼ」に。
そのわずかな違いが、やけに不気味に感じられた。
街路樹の配置も違う。
いつも左にあった古い街灯が、今日は右側にある。
信号のタイミングも、半拍遅れている。
周囲の人々は何も気づいていない。
笑いながら、同じ会話を繰り返している。
昨日と同じ言葉。
声の抑揚まで、寸分違わず。
教室に入ると、リリィ・エルナが窓辺に立っていた。
朝の光を背にして、髪が金糸のように輝く。
その姿は昨日とまったく同じ――
いや、“昨日のように見える今日”。
「おはよう、セオ。」
その笑顔に、一瞬、言葉を失った。
声が少し違う。
音程が半音高い。
まるで、別の記録から再生されているようだった。
「……おはよう。
なんか……今日はやけに静かだな。」
「世界がよく眠れた証拠よ。修復はうまくいったみたい。」
「修復……?」
リリィは一瞬だけ目を伏せ、柔らかく笑った。
「ううん、なんでもない。ただの“比喩”。」
その言葉のあと、チャイムが鳴った。
だが、音の高さが昨日よりわずかに低い。
クラス全体が一瞬“フリーズ”したように静まり返る。
セオだけが、その沈黙に気づいていた。
放課後。
ノートの裏表紙に、黒いインクのしみが浮かんでいた。
見覚えのない文字が、滲んで形を成す。
「観測ログ 03:再演算成功」
「次回修復予定:未定」
手が震える。
ノートを閉じた瞬間、視界の端に“もう一人の自分”が見えた。
机の向こう側で、こちらを見ている――
影が、少しだけ遅れて笑った。