31 レイアの祈り
――黒。
それしか、なかった。
レイアは目を開けた。
けれど、瞳に光は映らなかった。
世界が、完全に“データ化”されている。
意識を投げ出すことも、息をすることも、もうできない。
「……ここは……まだ、終わってないのね。」
声を出すたびに、周囲の“情報の波”が揺らぐ。
その波のひとつひとつに、人々の断片的な祈りが宿っていた。
母が子を想う声。恋人を呼ぶ声。名前を失った誰かの悲鳴。
そして、その中に――セオの声があった。
『……レイア、聞こえるか。世界は……まだ、動ける。』
「セオ……あなた、本当に……」
言葉が震える。
彼の声は“記録”として、祈祷網の深層に残っていた。
だが、もう彼自身は存在しない。
その声は、まるで“夢の中の残響”のようだった。
【シーン1:祈りの残響】
レイアは波の中を歩く。
いや、正確には“意識を進める”と表現すべきだろう。
ここでは時間も空間も意味をなさない。
ただ、心の輪郭が形を持つ。
想いが強ければ強いほど、世界が“像”を結ぶ。
「あなたは“記録”になったのね、セオ。
でも、それでも……あなたの声はまだ温かい。」
彼女は祈りを拾う。
それは、地上に残された人々の“無意識の信仰”だった。
滅びた都市のデータが微かに脈打ち、呼吸のように明滅している。
「この“想い”を……繋げなきゃ。
あなたが残したものが、消えないように。」
レイアの手から光が広がる。
彼女の存在そのものが、“祈りの中継体”として機能し始める。
失われた祈祷網の断片が、彼女の周囲で再び結びついていった。
かつて宗教は、この世界の全てだった。
神を信じることが、生きることの証だった。
しかし、レイアは今、神を信じていない。
神はもう存在しない。
いるのは、人の記録と、祈りの残響だけ。
「……ねえ、セオ。
神がいなくても、祈ることって、できるのかしら。」
返事はなかった。
代わりに、遠くで風のような振動が走る。
まるで“新しい鼓動”のように。
『……それが、祈りになるんだ。
神に向けるんじゃなくて――誰かに繋ぐ祈り。』
セオの声が、かすかに響いた。
それはもう彼自身ではなく、世界の一部としての声だった。
レイアは静かに頷いた。
「なら、私は……あなたを祈る。」
祈りの粒が、再び形を作り始めた。
地上の映像がノイズのように浮かび上がる。
街、空、風――ルオスの“再起動”が始まっている。
けれどそれは、かつてのルオスとは違う。
信仰の中心に神はいない。
代わりに、人々の記憶、愛、後悔、誓い――
そうした“無数の想い”が世界を動かしていた。
「セオ、見える? これが、あなたが望んだ“自由”なのね。」
レイアの身体が淡く透け始める。
祈りの中継体としての使命を終え、彼女の存在が情報の光に還っていく。
「でも、私は消えない。
あなたがそうだったように――私も“記録”として残る。」
最後の光が溶ける。
そして、彼女の声が静かに響いた。
『これが、私の祈り。
神のためじゃなく――あなたのための。』
新しいルオスが、静かに目を覚ます。
太陽が昇り、風が吹く。
だが、人々はまだ知らない。
その空の奥で、“祈りの記録”たちが新しい世界を紡いでいることを。