27 祈りを喰らうもの
光が収まったあと、世界は静まり返っていた。
空はまだ裂けたまま、金色の縁を残している。
そこからは、絶えず微細な粒子――祈りの残響が降り注いでいた。
セオは瓦礫の上に倒れ込んだまま、息を吐く。
耳鳴りの中で、誰かの声が囁く。
『……どうして、祈ったの?』
その声は、耳ではなく“脳の奥”で響いていた。
セオは周囲を見渡す。
誰もいない。レイアの姿も、ディランの姿も。
あるのは――歪んだ都市の断片。
「……ここは、どこだ……?」
かつてのアド・ルーメンは、もはや塔ではなかった。
建物は浮遊し、街路は空中で曲がり、
重力があらゆる方向へ引きちぎられている。
セオが一歩踏み出すたび、足元の地面が“液状化”して波紋を広げた。
その波紋の中から、祈りの断片が囁く。
『救って……』
『私の名前を……』
『光を見た……のに……』
人々の祈りが、音として漂っていた。
それらはもはや人格を持たない。
“神の糧”として吸収される寸前の意識。
空の裂け目が開き、そこから巨大な光の球体が現れる。
形は曖昧。
内部で無数の瞳のような模様が、ゆっくりと回転している。
『識別名:ルオス・エイド・コア』
『位階:模倣神格体』
ディランの研究データが、空中に浮かんでいた。
彼は既に融合していた――
神格生成の中核として、祈祷網と同化していたのだ。
「ディラン……お前、まさか――!」
『セオ。君は“自由”を求めた。
だが自由とは、選択の無限だ。
人はそれに耐えられない。
だから私は、“選択の代行者”となる。』
声が、空から直接降ってくる。
そのたびに、セオの思考が引きずられる。
感情が霧に溶けるように薄れていく。
『君の苦しみも、後悔も、ここに捧げよ。
私が祈りの形で保存してやろう。』
地上の人々が、ひとり、またひとりと空を見上げる。
彼らの瞳から光が抜け、意識が吸い上げられていく。
“神”は、祈りを喰らって成長していた。
信仰が再び世界を動かす代わりに、
人間の思考と感情が、その代償として削がれていく。
レイアが崩れた建物の影から現れる。
息が荒く、手には小型の祈祷抑制器を握っている。
「セオ! 聞こえる!? これ以上“考えたら”吸われるの!」
「……考えるな、ってどういう――」
「祈祷波が、思考そのものを感知してる!
“何かを信じたい”って思った瞬間に、喰われるのよ!」
セオの脳裏に、再び声が流れる。
『セオ、君も祈ったじゃないか。
“人間の祈り”を見せてやる、と。
――なら、それを受け取らせてもらうよ。』
次の瞬間、セオの胸が焼けるように熱くなった。
ヴェルンの記憶結晶が輝き、空へ向かって共鳴する。
視界が反転する。
セオは自分の身体が崩れていくのを感じた。
思考が、外側に流れ出していく。
その内側で、もう一つの声が囁く。
『――やめろ、セオ。祈るな。』
「……誰だ……?」
『俺だ。ヴェルンだ。
お前の中で、まだ“記録”として残ってた。
今、神がそれを取り込もうとしてる。』
ヴェルンの声がかすれる。
光の渦が二人を包み込み、記憶が断片化する。
『あいつ(ディラン)は、世界を救おうとした。
でも、“祈り”をエネルギーにした瞬間、
世界はもう人間のものじゃなくなったんだ。
お前だけは、外に残れ。
“神を壊す”ことができる唯一の人間として。』
セオは叫ぶ。
「そんなこと、できるわけが――!」
『できるさ。お前は、神に“名前をつけなかった”だろ?
――名を持たぬものは、滅ぼせる。』
セオが目を開くと、
空の中心に巨大な“円環”が浮かんでいた。
その奥からは、無数の光が生まれ、形を変え続けている。
祈祷網が完全に再起動するまで、あと四時間。
その前に止めなければ、人間の思考はすべて“神”に統合される。
セオはレイアの手を取り、瓦礫の中を走る。
「行くぞ。神の中枢を壊す。」
「壊せるの?」
「わからない。けど――名前を与えなければ、まだ“完全”じゃない。」
彼らの背後で、空の瞳がゆっくりとこちらを見下ろした。
『セオ・ノア=ヴェルン。
君は、私の“最後の祈り”だ。』