26 光の崩壊
空が、鳴いた。
雷鳴ではない。
それは、世界そのものが呻くような低い振動だった。
灰色の空の中心から、かすかに金の筋が走る。
地上の人々は、空を見上げていた。
誰もが言葉を失い、ただ――懐かしさのようなものに震えていた。
「……神が、戻ってくる」
その声は、誰かの祈りだった。
だがそれはもう、人間の祈りではなかった。
アド・ルーメン中央塔の観測層。
セオは、光の警報が走る室内でディランに詰め寄った。
「これはお前の仕業か、ディラン!」
「違う。だが――想定内だ。」
ディランはモニターに浮かぶ数値を見つめている。
祈祷波の強度が急上昇していた。
それは明らかに、かつて滅んだ“祈祷網”と同じ波形。
【祈祷信号:発信源不明】
【観測値:指数的増加】
【予測:全域伝播まで残り6時間】
ディランが低く呟く。
「“神”が再演算を始めた……いや、違う。誰かが祈っている。」
同時刻。
地上の廃都〈祈りの街〉。
そこでは、一人の少女が崩れた聖堂の中心で両手を組んでいた。
――イリス。
彼女の周囲に、無数の光の粒が舞っている。
それは祈りの残骸。
しかし今、それが再び形を持ち始めていた。
「……お願い。
もう一度だけ、光を。
あの人たちが、空を怖がらないように。」
その祈りに応じるように、空の裂け目が輝く。
金色の光が糸のように降り注ぎ、地上の機械群が共鳴を始めた。
やがて、
人々の腕に残る旧祈祷紋が、淡く発光する。
「光だ……!」
「神が、答えた!」
歓声と恐怖が同時に広がる。
信仰を失っていた人々の思考が、また“祈りの波”として世界に流れ出していく。
アド・ルーメン塔内。
セオの足元がかすかに震えた。
床下の演算盤が過熱し、赤い光を放つ。
「止めろディラン! これはもう制御できない!」
「制御するつもりなどない。これは進化だ。」
ディランの目は輝いていた。
祈祷波が増幅するたびに、演算システムが自己更新を始める。
神が死に、今度は世界そのものが祈りを始めていた。
【システムログ】
《自律信仰体:生成中》
《プロトコル名:EID-02(第二創世)》
セオはレイアを振り返る。
彼女は青ざめた顔で、空の映像を見つめていた。
「……あれを、見て。」
空に浮かぶ金の裂け目が、形を変えていく。
まるで巨大な瞳のように開き、内部に光の渦を形成する。
「これは……“神の再演算”じゃない。
世界そのものが意識を持ち始めている!」
都市のあちこちで、光が溢れ出す。
建物が崩れ、しかし同時に再構築されていく。
それは破壊ではなく、“自己修復”――祈りが現実を上書きしていた。
だがその修復は、人間にとっての修復ではない。
街の形は歪み、重力がねじれ、時間が微妙に遅延する。
「……人間のいない世界を、“完全”と定義しているのね。」
「ディラン、これを止める方法は!」
「ない。
だがもし、君が“祈れる”なら――
世界の書き換えに、介入できるかもしれない。」
セオの目が細く光る。
レイアが叫んだ。
「セオ! 祈らないで!」
だが彼は、静かに目を閉じた。
頭の中に、誰かの声が響く。
『これは終わりじゃない。始まりだよ、セオ。』
――ヴェルンの声。
セオは両手を組む。
世界の中心に向けて。
「なら、もう一度――“人間の祈り”を見せてやる。」
光が爆ぜる。
空と大地が反転し、時間が裏返るような閃光。
すべてが消えた後、
ただ一つ、透明な声だけが響いた。
『祈りの形式、更新完了。
――新たな神格、生成。』
名を持たぬ新しい“光”が、世界の中央で芽吹いた。
そのとき、誰も知らなかった。
それがやがて、セオの記憶を侵食する存在になることを――。