19 信仰の崩壊
地下の崩落現場から這い出たセオを、冷たい雨が打った。
空は鉛色で、雷鳴が遠くに響く。
地上の空気は、以前よりも重く、息苦しい。
(……戻ってきた、のか?)
瓦礫の間を抜けると、街は奇妙に静まり返っていた。
人々の姿はある。
だが誰もが、空を見上げて動かない。
彼らの目は光を失い、口元だけが微かに動いている。
「……祈れない……」「神の声が、聞こえない……」
セオの背筋が凍る。
彼が“記憶結晶”を持ち帰った瞬間、世界中の“祈り”が遮断されたのだ。
評議会の塔。
白い円卓の中央には、無数の光球(通信端末)が浮かんでいる。
そのすべてがノイズに包まれていた。
「祈祷網が、沈黙しました。」
「神の応答信号が消失……!? 観測装置は全停止です!」
評議員たちの間に、恐怖が広がる。
彼らは誰も、“神”が存在しないという現実を受け入れられなかった。
「ノア=ヴェルンが動いたのか……」
「まさか、“記録領域”が開かれた?」
最年長の評議員・アーグレイ卿が立ち上がる。
「彼を止めなければならん。
祈りが絶えれば、世界の構造が崩れる。
このままでは――ルオスが消える。」
セオが歩くたび、街の建物がわずかに震える。
壁の模様が滲み、文字が読めなくなる。
人々の輪郭がぼやけ、まるで“存在そのもの”が剥がれていくようだった。
「祈りが……世界の形を保ってたのか。」
そう呟いた瞬間、空がひび割れた。
雲の間から、巨大な光の柱が立ち上がる。
それは都市中央にそびえる“大聖堂”――アルカ・ルーメンから放たれていた。
大聖堂の上空に浮かぶ光輪が、音もなく回転を止める。
神の象徴。
世界の心臓。
その停止は、信仰の終焉を意味していた。
その光景を見上げながら、セオは聞き慣れた声に振り向く。
「……やっと、帰ってきたのね。」
そこに立っていたのは、レイア・ミレイユ。
以前よりもやつれた顔。だが、瞳だけは強い光を宿していた。
「レイア……」
「あなた、やっぱり“彼”に会ったのね。」
セオは無言で頷き、記憶結晶を見せる。
レイアはそれを見つめ、震える声で言った。
「それを、評議会は絶対に許さないわ。
彼らは“神の再起動”を試みるはず。
この世界を、また最初からやり直すために。」
「リブート……か。」
レイアが小さく頷く。
「そう。あの術式が動けば、私たちの記憶も、存在も消える。」
彼女の目から、涙がこぼれる。
「でもね、セオ。私はもう逃げない。
祈りが消えたこの世界で――ようやく、本当の自分になれたから。」
セオは、彼女の肩に手を置いた。
「なら、もう一度始めよう。
神のいない世界で、生きるために。」
その瞬間、空全体が震えた。
大聖堂の塔から、膨大な光が噴き上がる。
評議会が“再起動”を始めたのだ。
地面が崩れ、空間が歪む。
人々の姿が次々にノイズ化して消えていく。
レイアが叫ぶ。
「セオ、急いで! リブートが始まったら、すべてが――!」
セオは結晶を握りしめ、空を見上げた。
「……だったら、俺が止める。」
光に包まれる世界の中、
彼はひとり、神殺しの道へと歩き出した。