14 レイアの祈り
静まり返った教会の礼拝堂。
かつては無数の声が重なって響いていた空間に、今はただ、灰の匂いだけが残っていた。
レイア=オルドは、崩れた祭壇の前に膝をついていた。
祈りの塔が倒壊して三日。
彼女の声は、まだ“沈黙”に慣れていなかった。
「ル=オス……
あなたは、まだ私たちを見ているのですか。」
その言葉に返答はない。
だが、床下に埋め込まれた古い信号端末が、わずかに光った。
〈演算信号検出:コード L-07〉
〈識別名:創世者会議 残響記録〉
レイアは息を呑む。
(……創世者会議? そんな記録、封印されていたはず……)
指を伸ばすと、光が脈動した。
やがて、音声が流れ始める。
『……第七会議を開始する。議題は、“祈りの構造安定化”についてだ。』
『信仰を安定させるには、感情の再現よりも、思考制御が必要だ。』
『ならば、祈りとは演算だ。人間の思考そのものを“統一”する――』
声が途中で途切れた。
レイアの肩が震える。
(祈りが……統一?
つまり、私たちの信仰は……最初から設計されていた?)
崩れた塔の下、真実が静かに顔を覗かせる。
礼拝堂の扉が開いた。
白衣を着た男が数人、無表情で入ってくる。
彼らは評議会の調査部――信仰監察官たちだ。
「レイア=オルド司祭。再信仰運動の暴走について、説明を求めます。」
「……私の意思ではありません。塔が崩れたのは――」
「我々は、あなたが“異端術者と接触した”という報告を受けている。」
レイアの手が止まる。
心臓が冷たく締め付けられるような感覚。
「……彼は、破壊者ではありません。」
「その判断は、あなたが下すことではない。」
監察官の一人が端末を掲げる。
画面に映し出されたのは、セオの姿だった。
「ノア=ヴェルン……。創世者の名を継ぐ者。
評議会は彼を、“再演算危険体”と認定した。」
「待って! 彼はそんな――」
「彼は祈りを破壊した。信仰を乱した者は、いかなる理由であれ“虚無”として処理する。」
その言葉に、レイアの中で何かが弾けた。
「虚無……?
あなたたちは、人間の恐れを“データの欠損”とでも思っているの?」
監察官の瞳に一瞬、演算の光が走った。
「感情は誤差だ。我々は完璧を目指している。」
レイアは立ち上がる。
「完璧は――“死”と同じです。」
沈黙。
誰も動かない。
だが、次の瞬間、端末の光が爆ぜた。
〈不明な信号干渉検出〉
〈識別不能コード:P-00〉
床の紋様が光り、空気が震える。
礼拝堂の中心に、淡い人影が現れた。
「……ようやく、誰かが見つけてくれたか。」
声。
それは、セオが夢で聞いたあの声と同じだった。
ヴェルン・ノアの断片。
監察官たちはざわめき、端末を操作しようとするが、信号は全て遮断されている。
「レイア・オルド。君は、まだ“祈り”を信じているのか。」
レイアの唇が震える。
「……あなたは、神ですか?」
「違う。私は“創った者”だ。だが、神ではない。
祈りは、我々が“人間の恐怖”を計算しきれなかった結果だ。」
「……恐怖?」
「そうだ。死、喪失、孤独――我々はそれを演算できなかった。
だから祈りを残した。人間が壊れないようにする“逃げ場”として。」
レイアの目に涙が滲む。
「……じゃあ、祈りは偽物?」
「偽物でも、祈りが人を救っていたなら――それは“本物”だ。」
ヴェルンの残響が光に溶けていく。
「君がそれを理解できたなら、伝えてほしい。
セオ・ノア=ヴェルンに――“原初の祈り”が、開かれかけていると。」
「原初の……祈り……?」
ヴェルンの姿が完全に消えた。
代わりに、教会の天井に巨大な印が浮かび上がる。
ルオスの“創世紋章”。
封印が、ゆっくりと解かれ始めていた。
監察官たちは恐怖に駆られて逃げ出した。
レイアは崩れ落ちた祭壇の前で、もう一度だけ祈った。
「……ル=オス。
あなたが創られたこの祈りが、
本当に誰かの希望であったのなら――
どうか、彼を導いて。」
灰が降る。
その灰の中で、レイアの瞳が淡く光った。
彼女の中に、“神”ではなく“創世者の記憶”が宿り始めていた。