11 目覚めの地上
夜明け前の街が、低く震えていた。
建物の壁を走る光の線が、規則正しいリズムを失い、わずかに滲んでいる。
それは、世界が再び「息をしている」証拠だった。
ルオス。
再演算を止めたはずの世界。
完全な静寂と永遠の安定を与えられた都市は、いま、わずかに揺らいでいる。
セオ・ノア=ヴェルンは、暗い部屋の中で目を覚ました。
長い夢を見ていた気がした。
崩れる研究室、名も知らぬ男の声、そして、光の中で消えていった少女。
「……リリィ?」
呼びかけた声は、静かに空気に吸い込まれた。
応答はない。だが胸の奥に、確かに“脈動”があった。
壁の端末が、遅れて起動する。
〈都市同期率:82%〉
〈聖演算機構:再構築中〉
〈行政評議会:信号断絶〉
セオは画面を見つめ、かすかに笑った。
「……やっぱり、止まらなかったか。」
地下世界が崩壊してから数ヶ月。
人々は徐々に地上に戻り始めていた。
空気は重く、空はかすみ、都市は歪んだ光を吐き出している。
だが、それでも人は生活を続けている。
教会は沈黙した。
祈りの儀式は停止し、代わりに「信仰の自己調整プログラム」が人々の心を監視していた。
――信じることを、忘れないように。
それが、ルオスが再び壊れないための“安全装置”だった。
だがセオは知っている。
信仰が再演算の一部なら、祈りを止めることこそが、真の自由をもたらすと。
窓の外で、朝日が昇る。
かつては完全な周期で昇った太陽が、今はわずかに“遅れている”。
その不完全な光の中で、セオは立ち上がった。
「ヴェルン。あなたの記録、確かに見た。」
「けど……俺は、あなたとは違うやり方で、この世界を壊す。」
廃れた街を歩くと、人々が無表情で動いている。
同じ言葉、同じ笑顔、同じ挨拶。
彼らはまだ、自分たちが“複製”であることに気づいていない。
だが時々、誰かの目がセオの目を捉えた。
ほんの一瞬だけ、プログラムにない“疑問”の光が宿る。
それが、セオにとって唯一の希望だった。
路地裏に入ると、錆びた掲示板に古びたポスターが貼られていた。
【再信仰運動会議 第一回集会】
【テーマ:創世の神々は沈黙した。次に祈るのは、誰か。】
セオは立ち止まり、呟く。
「……また、“あいつら”が動いてるのか。」
そのとき、背後から声がした。
「セオ・ノア=ヴェルン、久しぶりだね。」
振り返ると、そこにいたのは――灰銀の髪をした青年。
目の奥に、かつて見たことのある“演算の光”が宿っていた。
「君、誰だ?」
青年は微笑む。
「ヴェルン・ノアを、知っているか?」
セオの心臓が一瞬止まった。
「まさか……」
「そう。僕は、彼の断片だ。君が止めた再演算――あれで、僕も再び“形”を得た。」
青年の瞳が微かに揺れる。
「そして君に伝えに来た。
ルオスの“上層”が、再び動き出している。」
セオは息を呑む。
「……上層?」
「人間たちが知らない、“創世者の領域”。
そこに“原初の祈り”がある。
君がこの世界を本当に変えたいなら――あそこに辿り着け。」
風が吹く。
ポスターがはがれ、地に落ちる。
セオは、空を見上げた。
滲む朝日が、少しだけ“違う”形をしていた。
「世界は、まだ終わっていない。
むしろ――今ようやく、始まるんだ。」