8 観測外領域
沈黙の階段を登るたび、足の裏が震えていた。
光のない地下で育ったセオの眼には、わずかな灰色の輝きでさえ、眩しすぎるほどだった。
リリィの声が消えてから、もう三日。
それでも、頭の奥に微かな残響が残っている。
――「外を見て」。
あの言葉だけが、何度も反響していた。
「……もう少し、だ。」
冷たい石壁が途切れ、風が頬を撫でた。
それは、ルオスの地下には存在しない感覚――風だった。
彼は崩れかけた鉄扉を押し開ける。
視界を満たすのは、光。
青。
それは、神話の中の色だった。
空。
太陽。
そして、ひび割れた都市の廃墟。
「……地上、なのか。」
セオは息を呑んだ。
しかし、すぐに違和感を覚える。
すべてが、静止していた。
草も、雲も、遠くの煙までも――まるで“時間が凍ったように”。
「……動いてない?」
彼が一歩踏み出すと、足元の砂がわずかに揺れる。
その瞬間、止まっていた風景の一部がざらりとノイズを走らせた。
次の瞬間、空の一部が崩れ落ちた。
まるで映像の断片が剥がれ落ちるように、空が剥離していく。
その奥には、黒い空間――観測外領域。
[系統警告:観測許可外領域に侵入]
[安定率ログ異常:99.6→98.9]
[対話プログラム再生:L-ELNA]
「……セオ、聞こえる?」
幻聴のように、あの声が響く。
振り返っても誰もいない。
だが確かに――彼女の声だ。
「ここは、まだ“完成していない世界”。
彼らは、地上を保存できなかった。」
セオは拳を握る。
風も太陽も、“模倣”だった。
ルオスは完全ではない。
それを、リリィが伝えようとしていたのだ。
彼は歩き出す。
止まった都市の中を、ゆっくりと。
空が崩れていくたびに、本来の地球の断片が覗く。
古い標識、砂に埋もれた書物、焦げた標語。
【新生計画ルオス――人類の記録は神に委ねられた】
「……神に、委ねられた……?」
そしてセオは見つける。
半壊した教会の壁に刻まれた文字。
【創世者評議会、ルオスを模造する】
その瞬間、彼の中で何かが繋がった。
リリィの言葉、祈り、そして評議会の沈黙。
――この世界は、神々の複製実験だった。
空が完全に崩壊する直前、セオは一歩踏み出す。
黒い虚空の向こうに、光の柱が立っていた。
その中心には、まだ知らぬ構造体――“再演算中枢”が存在する。
[警告:外部観測個体に覚醒兆候]
[名称変更提案:セオ・ノア=ヴェルン → “観測者”]
セオは微笑んだ。
「だったら――見せてもらおう。
この世界の、真の姿を。」
そして、崩壊する空の向こうへ歩み出した。