06.金と血と黒市
工業区の外れにある三番工房へ足を踏み入れた途端、埃っぽい空気とこもった熱気が押し寄せた。
瓦礫同然だった建物も、いまは壁が塗り直され、床に最低限の板張りが施されている。粗削りながらも、工房としての体裁を整え始めていた。
奥では、徒弟の少女エイカが工具を抱え、運搬組合・灰班の二人組と作業に没頭している。
細身の男は額の汗を拭いながら魔力導管を調整し、大柄の男は肩に巨大なパーツを担ぎ、魔力炉の枠を据え付けていた。
鉄が擦れる甲高い音と、魔力炉の低い唸りが混じり合い、工房全体を震わせていた。
正面のテーブルには、既にダンともう一人の男が腰を据えていた。
頬杖をついたダンが、広げられた書類に目を走らせて唸っている。
隣にいたのは洋装スーツの男で、ライザには見覚えのない顔だった。くすんだ金髪と鋭い金色の瞳を持ち、油断ならぬ気配を漂わせていた。
「技術保管費用として、純利益の三割だとよ」
ライザを見るや否や、ダンが舌打ち混じりに書類を叩いた。
記録院に三番工房の書類申請をしたものの、どうやら雲行きが怪しいらしい。
「今朝ヴォルクが申請結果を受け取ってきた。工房所有の許可自体は出たんだが、利益の分配に口出ししてきやがった」
「はじめまして。ライザ様ですね? ダン様の代書人を務めますヴォルクと申します」
苛立つダンの隣で、ヴォルクは丁寧に挨拶をする。
代書人とは、魔導紙に契約内容を記し、申請や帳簿、許可といった煩雑な手続きを通す術を知る中間管理人。要は記録院の下請けである。
ライザは軽く会釈をした。
「これじゃ俺たちの取り分は三割と少ししか残らねえ。ライザ、お前の取り分を少し削らせてくれ。工房を回してるのは一応俺だし、雑費も馬鹿にならねぇんだ」
露骨に理屈を捏ねながら、ダンはライザを丸め込もうとする。
しかしライザの表情は動かなかった。
「約束は半分だろ。記録院がどう言おうと、俺の取り分だけ減らす理由はない」
静かだが揺るぎない声に、ダンは眉をひそめる。
「そうはいってもな、記録院の取り分を差し引いた残り七割を俺とお前で等分するとして、俺には殆ど利益は残らねぇ。時期によっちゃ赤字もあり得る」
「赤字になるのは、運搬組合や資材の仕入れで無駄に払ってるからだろ。俺の取り分とは関係ない」
「無駄じゃねえ! 工房を回すのは数字の帳尻合わせだけじゃねえんだ。現場で人を動かす苦労が見えてねえから、そんなことが言えるんだ!」
「見えてるさ。その手間を名目に俺から削ろうって魂胆までな」
剣呑な気配が場を覆う
少し押せば妥協するだろうと思っていたが、予想外の強情さにダンは内心驚かされる。
そのやり取りを眺めていたヴォルクが、ふと口を開いた。
「なるほど。ライザ様は譲らない性分らしい」
金色の瞳がライザを射抜くように見据える。
「けれど、あなたはダン様の言い分も理解している。そうでしょう?」
ライザは答えなかった。だが、ヴォルクは確信めいた笑みを浮かべる。
「技術提供者でありながら、日雇いあがり。それに吹けば飛ぶような中小ギルドの長。奇妙な取り合わせだが、金回りのいい筋があると見えます。ならば、私が仲介しましょう」
「おいおい、吹けば飛ぶってそりゃねえよ」
ダンの言葉を受け流しつつ、ヴォルクは手際よく書類を整え、条件を書き換えていった。
「三割の技術保管費は工房の経費として計上。おふたがたの純利益はなるべく維持するという所で記録院に再度交渉しましょう。ただし工房の雑費や運搬組合への手数料はダン様が多めに負担する。これならライザ様の取り分はほとんど減らない。どうです、悪い話ではないでしょう」
ダンは不満げに唸ったが、即座に反論が思い浮かばない。
結局、ヴォルクの提案が通った。
「何のつもりだ?」
小さく呟いたライザに、ヴォルクは肩をすくめて薄く笑う。
「貸し一つです。いずれ返していただければ結構。それと――」
声を落としながら、洋装スーツの襟を正した。
「これからいろいろ資材が必要でしょう。黒市をご存知ですか? ノイエルという男がいます。工具でも武具でも薬でも、表に出せぬ品も含めて。ついでに、いろいろ買っていただけると助かります」
その口調は冗談めいていたが、瞳は笑っていなかった。
「あ、これで貸し借り無しじゃありませんよ」
ライザは言葉を返さず、無言のままヴォルクを見据えた。
北西に広がる工業区とは逆の方角。ライザは都市の北東、雑多な建物が寄せ集まるスラム街へ向かった。瓦礫や板切れで補修された路地裏は雑然としていたが、そこにはまた別の熱気が漂っていた。
スラム街を突き進んだ先にあるのが黒市。昼間でも提灯や魔導灯が吊るされ、賑やかな声が絶えない。
表通りは壊れた家具や中古工具を並べるだけだが、路地の奥に入れば、工具、武具、薬品、魔具、珍しい鉱石に怪しげな魔導書まで、ありとあらゆる品が手に入る。吟遊詩人の歌声や子どもたちの笑い声さえ響き、そこは危険と活気が同居する遊技場でもあった。
フードを深く被ったまま、奥へと進む。目当てはヴォルクの紹介した売人、ノイエル。
人に指図されるのは嫌いだが、今回の依頼には黒市への好奇心も絡んでいたし、ダンとの仲を保つための義理もあった。優先順位としてそこまで高かったわけではないが、日ごろの訓練の気晴らしにと、赴くことにしたのだった。
ノイエルの居場所を誰に尋ねようかときょろきょろしていると、カモが来たと勘違いしたのか、数人の男が道を塞いだ。年齢はばらばらだ。
全員が見すぼらしく、スラム街の住人だと分かる。
「見慣れねぇ顔だな。ここじゃ通行料が要るんだぜ?」
「大した荷物は持ってねぇみたいだが……懐くらいは軽くしてやるよ」
ライザは図体が大きいわけでも、特段怖そうな顔つきでもない。表情を隠し、目つきだけが悪い日雇いにすぎない。
彼らの目には、スラムに迷い込んだ若造程度にしか映らなかった。
彼らの身なりは一様にみすぼらしかったが、腰や手にはそれぞれ武器が下がっていた。
ひとりは刃こぼれだらけの片手剣。柄は布切れでぐるぐる巻きにされ、握るたびに血豆ができそうな代物だ。
もうひとりは錆びた鉄管を武器代わりにしている。両端に針金を巻きつけ、殴ったときに肉へ食い込むよう細工されていた。
三人目は石突きの欠けた槍を抱えているが、穂先には異様に黒ずんだ汚れがこびりついており、毒を塗っているのかもしれない。
最後に年長の男が手にしていたのは木製の盾。表面は焦げ跡や切り傷だらけで、かつて傭兵崩れだったのを想わせる。
装備こそ安物か壊れかけの残骸だが、通行料を名目に路地の行き止まりで人を脅し続けるには十分だったのだろう。
「なんの用だ」
ライザの声は低く乾いていた。
「おいおい、そんな睨むなよ。ここじゃ顔見ねぇ奴は身ぐるみ剥がされるのが常識なんだ」
鉄管を持った若い男がニヤつく。
「通行料を払えって言ってんだよ。金でも道具でもいい。ほら出せ」
片手剣を持った男が刃を光にかざし、ぎらりと威嚇するように見せつけた。
「断ったら?」
わずかに首を傾げただけで、足は一歩も動かさない。
「断ったら……?」
槍の男が下卑た笑い声をあげる。
「ここがどこだかわかってんのか? スラムじゃ警備兵はいねえ。払わねぇ奴は血で補って終わりだ」
木盾を構えた年長の男が前に出て、獲物を見極めるようにライザを値踏みした。
「若いな。俺は人間観察が得意なんだ。お前、日雇いだろ。手に整備士特有のマメがある。
佇まいも素人に毛が生えた程度、戦闘経験もほとんどない。ひとりで抵抗したところで……」
「笑わせんな」
吐息混じりの一言が、場の空気を一変させた。
男たちの笑い声が途切れ、路地の奥に吊るされた提灯の炎が、ぱちりと音を立てた。
路地の空気がぴんと張り詰めた瞬間、鉄管を持った若い男が苛立ったように動いた。
「調子に乗んな!」
振り下ろされる鉄管。だがライザは半歩退き、壁際に積まれていた瓦礫の山を蹴り飛ばす。崩れた瓦礫が男の足を絡め、体勢を崩した隙にライザはその腕を掴み、逆方向へねじり上げた。鉄管が宙を舞い、地面に転がる。
「ぐっ……!?」
次の瞬間、その鉄管を踏み込んで蹴り上げ、ライザは背後から迫っていた片手剣の男の顎に直撃させた。金属の鈍い音が響き、男は言葉を失って崩れ落ちる。
数刻遅れて槍を抱えた男が慌てて突きを繰り出す。だがライザはすでに壁際に下がっていた。槍の穂先が壁に突き立つ。ライザはその柄を掴み、全身を軸にしてねじる。
「あああっ!」
石突きが男の顎を打ち抜き、槍を奪われた彼はそのまま地面に倒れ込んだ。
残ったのは木盾を構える年長の男。ひとり、他の者たちより明らかに落ち着いている。
「やるじゃねぇか。だが、その程度か」
盾を前に突き出し、体当たりの勢いで押し潰そうと迫る。
ライザは逃げない。
正面から迫る年長の男を迎え撃つべく、奪った槍を構えた。
しかし次の瞬間――。
「甘い!」
盾の縁で槍を弾かれ、がら空きになった胴へ男の膝蹴りが叩き込まれる。あまりの速さに反応が遅れ、肺の奥から空気が一気に吐き出される。視界が白んだ。
さらに盾が振り下ろされ、頭蓋を砕かんばかりの重量感が迫る。反射的に腕で受け止めるが、骨が軋む衝撃に膝が沈んだ。
「どうした! さっきまでの勢いはどこ行った!」
年長の男は戦い慣れていた。無駄のない動き、急所を狙う冷徹さ。このままでは押し潰される。
(……っ、まずい)
頭の奥で、かすかな鈴の音のような響きが鳴った。
擬装が外れる。抑制されていた何かが解き放たれ、思考が一段跳躍する。
機殻思考。
世界が遅く流れていく。盾の振り下ろし、その力の流れや重心の揺らぎまでも、寸分違わず読み取れた。
ライザの眼差しが冷たく研ぎ澄まされる。
振り下ろされた盾を逆に掴み、重心をずらす。男の体が一瞬揺らぐ。その隙に、ライザは槍を逆手に構え直し、刃先を喉元へ突き立てた。
「がッ」
男の目が驚愕に見開かれる。そのまま喉を貫かれ、血が噴き上がった。
男は盾を取り落とし、地面に崩れ落ちた。喉を押さえて痙攣し、やがて動かなくなる。
大きく息を吐き、視線をわずかに落とした。
(危なかった)
それから顔を上げると、残りの若者たちは恐怖に駆られ、一歩、二歩と後ずさった。
先ほどまでの嘲笑は影も形もなく、ただ生き延びたいと震えていた。
血に濡れた槍を放り捨て、静かに歩みを進める。探すべき相手、ノイエルを見つけるために。
返り血を拭いもせず、冷ややかな眼差しで残党を見下ろした。
「ノイエルという男を探している。知っているか?」
残党たちは即座に指を指す。
指さされた先を一瞥し、ライザはまるで何事もなかったかのように歩き出した。
やがて黒市の一角、人混みの奥で待ち構えていたのは細身の男だった。ぼろ布のような衣をまとい、髭も髪も伸ばし放題で、浮浪者にしか見えない。
「なるほど、聞いている人物像と全然ちがうのう」
ノイエル。みすぼらしくも、どこか商人じみた笑みを浮かべる男だった。
「あんたがノイエルか」
「もっとも。随分荒らしてきたようじゃな」
「お前が仕組んだのか?」
ライザが凄むと、空気が張り詰め、ノイエルの額にじわりと冷や汗が浮かんだ。
「黒市ネットワークを知っているか? ここでは情報も商品と同じ速さで流れる。お主が路地で腕を振るった話も、もうわしの耳に届いているのよ」
飄々とした様子のまま、「それに、その返り血を見れば大体のことは推測できる」と付け加える。
黒市ネットワークは、商人や裏稼業人が作り上げた連絡網である。商品の流れはもちろん、些細な揉め事や噂まで瞬く間に広まる。だからこそ黒市は、危険と同時に信頼できる流通を保っている。
「そうか。悪い。気がたっていた」
「気にせんでよい」
数度の深呼吸を見届けると、ノイエルは懐から契約用の魔法紙を取り出し、にやりと笑った。
「それで、工房用の資材を買ってくれるんじゃろ?」
腰にぶら下げた魔導袋から、ライザが見たこともないような改造工具がいくつか取り出される。
「いや、工具類ならダンってやつに売ってくれ。俺は武器が欲しい」
「武器? お主、整備士じゃろ? 傭兵にでも転職するんか?」
「護身用だ」
にやりと笑ったノイエルは、腰の魔導袋を探り、次々と奇妙な武具を並べていく。
魔導袋とは、内側に転移魔導陣を刻んだ特殊な収納具である。外見はただの布袋だが、中は別空間につながっており、通常の十倍から百倍の物量を呑み込む。袋の重さはほとんど増えず、使用者の魔力を媒介にして自在に出し入れができるため、旅人や傭兵、そして裏稼業人には欠かせぬ道具だった。
ただし製造には高度な魔術技師と莫大なコストが要る。合法品はまず貴族か軍にしか渡らず、市井に出回るのは大半が盗品か闇の職人がこしらえた代物だ。
「まずはこれじゃ」
ぼろ布の下から取り出されたのは、黒檀を削りだした杖。先端には魔石がはめ込まれ、わずかに脈動している。
「火を吐き、雷を呼ぶ。だが街中で振るうと衛兵どもに即刻目をつけられる代物よ」
ライザは視線だけで「却下」と告げる。
「ならばこっちかの」
次に取り出されたのは古びた弓。だが矢筒には矢ではなく、金属製の小型ボルトが収まっている。
「機械仕掛けで矢を連射する。『自動弓』と呼ばれとる。扱いが難しいが、隠密の暗殺者どもが好んで使う」
眉ひとつ動かさぬライザに対し、ノイエルの目がいやに輝きを帯びる。
「ほう……ならこれは?」
おどけた仕草で次に差し出されたのは、無数の弾倉を抱え込んだ機関銃。銃身には冷却用の魔導管まで取り付けられている。
「押し寄せる獣群でも薙ぎ払える。傭兵どもが血眼で欲しがる品じゃぞ」
ライザは露骨に顔をしかめる。
「却下だ」
「ふむ、これでどうじゃ」
ずしり、と床がきしむほどの重量感。魔導袋から引きずり出されたのは、人が担ぐにはあまりに大きい鉄筒――魔導式ロケットランチャーだった。
「対戦車用の古代兵器の改造品よ。撃ったが最後、半径二十メートルは更地じゃ。……まあ黒市の奥で撃ったらわしらも灰になるがのう」
「俺にこんなものをどうしろってんだ」
短く吐き捨てると、ノイエルはふふんと鼻を鳴らした。
「贅沢な客じゃの。どれも違法すれすれ……いや、完全に違法じゃ。だが金さえ出せばお主の物よ。どれを選ぶ?」
ライザはため息をひとつつき、短く告げる。
「百万までなら出せる」
その言葉に、ノイエルは口元をゆがめる。
「意外とないの」
浮浪者めいた笑みをさらに深め、袋の底から小さな布包みを取り出す。
広げられたのは、手のひらに収まるほどの金属塊――小型の魔導銃。
「なら、これじゃ。MDG-22a。Magic Device Gunの改造モデルじゃ。密輸品じゃが、威力は十分。魔力触媒で弾丸を撃ち出すから弾切れの心配も少ない。護身用にはこれ以上ない一品よ」
じっと見つめたのち、ゆっくりと手に取る。
重さは片手で扱うのにちょうどよく、銃身は滑らかで使い込まれた痕跡も少ない。
「Magic Device Gunは使い手の魔力量によって威力が変わる。素人が撃てばただの強力なゴム弾だが、訓練を積んだ者なら壁ごと人間を吹き飛ばせる。改造品じゃから魔力伝導率が高い代わりに込めすぎると銃身が焼け付くから気を付けるんじゃぞ。爆ぜることは稀だが、指先が飛んだ話は聞く」
MDG-22aに触れた手が一瞬止まり、ライザは銃をしげしげと見つめた。
「まあ、使えなくはないか」
低く呟いたライザの声に、ノイエルの目が細くなる。
「気に入ったか」
ライザは短く頷く。
「これを買おう。工房への物資販売は、あんたがうまく取り計らえ」
MDG-22aを手に取り、その重みを確かめるライザを見て、ノイエルは満足げに頷いた。
「取引成立の祝いに酒でもどうじゃ?」
ノイエルの冗談めいた言葉に、ライザは苦笑いを浮かべるしかなかった。