第2章:共鳴者の少女
逃げ続ける夜が終わったのは、第七階層の最下層、
人が足を踏み入れない、記録されざる領域だった。
クラウ=ヴェイルは、誰にも追われていないのに、息を切らしていた。
だが、体が覚えている。背後に常に“視られている”というあの感覚を。
アグナムの目、記録の網、そして中枢の意志──
「……ここは、どこだ?」
瓦礫と霧に包まれた地下構造体の残骸。
記録にも地図にも存在しない領域。
だが、なぜか懐かしさすら感じる気配があった。
クラウは、右手の紋様に触れながら歩を進めた。
光る紋様は、方向を示すように、微かに脈動している。
そして、半壊した鉄扉の奥──
彼は、それを見つけた。
巨大なコアユニットを中心に、植物のように静かに眠る、少女。
機械と繋がれ、透明な思念フィールドの中で、彼女は微動だにせず横たわっていた。
髪は銀、肌は雪のように白く、どこか機械の一部のようでありながら、
確かに“人間らしい温かさ”があった。
「誰……?」
その問いに答えたのは、彼女ではなかった。
機械の音でもなかった。
それは、クラウの胸の奥で“重なった記憶”が震えた音だった。
──彼女の名は、ナイア=ミスリル。
──共鳴適合者。
──そして、機神〈ヨルムン〉の鍵。
気づけば、クラウの右手の紋様が強く輝き、
それに反応するように、少女の額にも同じ紋様が浮かび上がった。
共鳴。
言葉ではない“波”が、二人をつないだ。
刹那、少女の瞳が、ゆっくりと開かれる。
「……きこえる……?」
その声は、風のように弱く、しかし確かだった。
クラウは何も言わず、ただ頷いた。
彼女の身体が、カチリ、と音を立てて接続を外し始める。
装置の自動解放が始まったのだ。
だがその時──空間が、震えた。
「共鳴反応、確認……強制制圧を開始する」
機械的な警告と共に、天井を突き破って出現したのは、
自律兵装〈レコードドール〉。
記録制御用の戦闘機械群であり、「逸脱因子」と「覚醒者」を同時に消去するための存在。
3体のドールが、クラウとナイアに照準を合わせる。
「隠れて!」
クラウが前に出るが、レコードドールは躊躇なく攻撃を放つ。
衝撃波が壁を砕き、クラウは吹き飛ばされる。
ナイアが目を見開き、呟いた。
「──共鳴、展開」
次の瞬間、彼女の身体を中心に、光の文様が走る。
残骸に埋もれていた巨大な機体が共振しながら起動を開始。
それが、生体機構兵装〈ヨルムン〉だった。
機神は、少女の感情と共鳴して形を変える。
今、恐れと覚醒が混じるその感情が、形を与えた。
「……守る。もう、失いたくない」
ナイアの意思とリンクし、ヨルムンが咆哮を上げる。
まるで神の獣が目覚めたように、レコードドールに向かって突進する。
攻撃は一撃だった。
雷鳴のような衝撃が周囲を包み、機械たちは消滅した。
静寂が戻った頃、ナイアは、ふらつきながらクラウのそばに座った。
「……あんた、誰?」
「クラウ。クラウ=ヴェイル。君は?」
「ナイア。ここで……ずっと、眠ってた」
彼女は、記憶のほとんどを持っていなかった。
だが、クラウと同じように「記録されていない存在」だった。
そのとき、クラウの中に浮かび上がる新たな“記録”。
ナイアと同じ紋様を持った少女が、過去の世界でも存在していたこと。
前世からの因果──または、選ばれなかった可能性。
彼らは、出会うべくして出会った。
その夜、彼らは眠った。
次に訪れる嵐の気配を感じながら、
束の間の、記録されざる静けさの中で。
(第2章・了)
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
第2章「共鳴者の少女」では、新たな登場人物ナイアと、機神ヨルムンの存在が明らかになりました。
クラウとナイア、ふたりの“記録されざる存在”が出会ったことで、物語は大きく動き出していきます。
ナイアは記憶を失ったままですが、これから彼女自身の過去や、セフィラの深層と関わる重要な鍵を担っていきます。
次章では、いよいよ神の秩序軍〈アグナム〉との本格的な衝突が始まる予定です。
本作は、毎週土曜日 朝6:00更新です。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。