第1章:目覚めの記録
──その世界では、記憶がすべてだった。
命よりも重く、魂よりも深く、人々は記憶という見えざる鎖に縛られていた。
そして今、その“鎖”に亀裂が入り始めている。
セフィラ。
それはかつて神が造ったとされる、宙に浮かぶ人工天球。
無数の階層が螺旋のように折り重なり、層ごとに気候も文化も異なるこの世界で、
第七階層の片隅にある静かな町、「ミレト・スクレア」。
その町の外れに、図書館のような、寺院のような、不思議な建物があった。
名を〈灰色の書庫〉──記憶の管理と記録を担う、異端者たちの学び舎。
その奥の最下層。誰も立ち入らない禁書保管室に、少年はいた。
「……また、誰かの夢を見た。」
クラウ=ヴェイルは、額に汗をにじませながら、静かに目を開けた。
起き抜けの息は乱れ、視界はしばらく“誰かの記憶”で曇っている。
焼け落ちる都市。泣き叫ぶ女。崩れる天井。
自分のものではない感情が、胸を焼く。
「……またか」
彼は、記録者の血を引く存在だった。
生まれながらにして“他人の記憶”が流れ込む異能を持ち、
幼い頃から書庫の奥に隔離されていた。
彼の生まれは、セフィラの統治者たちから「禁忌の器」とされ、
一般社会に出ることすら許されなかった。
──記録とは、本来、中立でなければならない。
だがクラウは記録を“受け入れてしまう”のだ。
記録は、観測されるべきであって、共鳴されるものではない。
それが神の定めたルールだった。
彼は起き上がり、無言で書架の間を歩く。
誰にも触れられず、誰も信じず、ただ黙々と「記録」を読んで、写して、沈黙の中で生きていた。
そんな日々に、変化が訪れたのは──その夜だった。
突然、空が砕けた。
──ゴォン……!
灰色の書庫の天井に、鈍い地響きが走る。
同時に外から強烈な光が差し込んだ。
クラウは反射的に顔を上げた。
「……何だ?」
急いで外へ出ると、星空が激しくゆがんでいた。
まるで空そのものが“記憶の水面”であるかのように、波紋が広がっている。
彼の眼前、書庫から少し離れた丘の上に、何かが──墜ちてきた。
光を帯びた、赤黒い結晶体。それは地表を穿ち、煙をあげながら埋まっていた。
クラウは躊躇なく走り出した。
「それは何か」ではなく、「それは誰か」のように、感じ取ってしまったのだ。
丘に到着し、結晶体に触れた瞬間──
──“世界が反転”した。
クラウの意識が、別の空間へと引き込まれていく。
漆黒の海。漂う記憶粒子。幾重にも重なる声。叫び。祈り。後悔。
そして、その中心に、
一人の青年がいた。
目元は自分と似ていた。髪の色も、声の質も。
だが、それは“自分ではない”。
青年は、誰かを助けようとしていた。世界を救おうとしていた。
だが、最期にはすべてを失い、ただ「記憶の海」に沈んでいった。
「君は……僕?」
『いや、おまえは“僕たち”の続きだ。』
記憶の深層から、声が響いた。
『おまえが選ぶことで、世界は再び“始まり”に立てる。』
──バシュン!
目の前で結晶体が砕け散り、まるでそれが“役目を終えたかのように”、煙のように消えた。
地面には、何も残っていなかった。
ただ、クラウの右手には、淡く光る紋様が刻まれていた。
「……記録が、書き換わった?」
その瞬間から、クラウ=ヴェイルの存在は、
“観測不可能な記録者”として、
世界の因果にとって最大の異物となった。
耳元で、何かが崩れる音がした。
振り返ると、白い外套の人物たちが、こちらへ向かってくる。
「見つけたぞ、クラウ=ヴェイル」
冷たい金属の声。
階層兵装を纏った人物が、3人。
その中心にいたのは、白銀の外套をまとった女だった。
「記録者が、“中枢規定を破った”。本来ならば処分対象だが……」
女の名は、カスティリオ=ヴァイン。
神の秩序軍団〈アグナム〉の精鋭部隊──アストラルナイトの一人。
「おまえの中に発生した共鳴反応、“マトリア”は既に観測している」
「マトリアが……俺を見ている?」
「いや、“記録から逸脱した者”として、既に消去対象だ」
カスティリオが手をかざすと、空間が一瞬“ひずんだ”。
記憶の網に干渉する超技術──アーカイブ・ドライブ。
彼女はクラウの思念を封じるため、空間ごと上書きしようとしていた。
「逃げろ、クラウ!」
遠くから声が飛ぶ。
走り込んできたのは、黒衣の男。
右目に輝く義眼を持ち、クラウをかばうように前に出る。
「……グラフト!」
元アグナム兵、グラフト=エルナ。
彼は自らが裏切ったかつての同僚をにらむ。
「よくもまあ、子ども相手に3人がかりとはな。あいかわらず非情な秩序だ」
「裏切り者が語る正義など、価値はない」
「だが、彼の存在がその価値を変えるかもしれん」
グラフトが手をかざすと、地面から“記憶の粒子”が立ち昇った。
彼が使うのは「過去の残滓を一時的に再生する」技――エコーフィールド。
周囲の風景が一瞬だけ揺らぎ、かつての「セフィラ戦乱期」の断片が出現する。
それはクラウにとっては未知の戦場だが、アグナムにとっては“忌まわしい敗北の記録”。
カスティリオの顔に、かすかな怒気が走る。
「記憶を利用して、我々の秩序を乱すか」
「秩序の名を借りて、思考を停止させるな。こいつはもう、記録を超えたんだ」
グラフトの隙を突き、クラウは再び走り出した。
右手の紋様が、まるで“導くように”進む道を照らす。
その先には、何かがある。
記録されていない、“本来の自分”が。
──そして、その先で彼は出会う。
眠る共鳴者の少女と、世界を揺るがす“生体機構兵装”。
すべては、あの夜の「共鳴」から始まったのだ。
(第1章・了)
こんにちは、作者です。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
本作『レゾナンス・アーク』は、
記憶・輪廻・神と人間の境界をテーマに、
一人の少年が「記録されざる存在」として、自分の運命と向き合っていく物語です。
第1章では、世界観や異能の導入、そして主人公クラウの目覚めと追放を描きました。
少し重めの内容でしたが、今後は仲間との出会いや、異なる思想のぶつかり合いを通じて、
“選ばなかった可能性”や“誰かの記憶が残した痛み”に焦点を当てていく予定です。
次回、第2章では、物語の鍵となる「共鳴者の少女ナイア」が登場します。
どうぞ引き続きよろしくお願いいたします。