クーデレなセフレと小悪魔な後輩が義妹になったので距離を置きたい。

4章#16 愛してるよ、兄さん

　ＳＩＤＥ：澪

「ねぇ澪さん！　一緒にお風呂はいりませんか？」

　夕食が終わると、彼の従妹が私を誘ってくれた。彼に教わった見分け方通りに判別しようと思って見遣り、彼女がピンを付けていないことに気付く。

　今からお風呂に入るって言ってるんだし、当然と言えば当然か。

　この役立たずめ……と彼を呪いつつ、私は答えた。

「私？　大丈夫かな。四人だと狭くない？」

「大丈夫ですよ！　お風呂おっきいし、昔はゆー兄とみー姉と五人で入ってましたから」

　昔と言っても、それが小学生の頃だと私は知っている。

　今と比べるのは不適切に思うけど……非常に不服ながら、私は小学生の頃からあまり身長が伸びていない。この家はそもそも大きいし、心配はいらないだろう。

「分かった。着替え持ってくるね」

「うん！　待ってます！」

　元気だなぁ、と思う。

　お昼くらいからちょこちょこ雫がＲＩＮＥでメッセージを送ってきて和んでいたのだけど、それと似たような感覚を覚える。美緒はきっと、この子たちのお姉さんみたいに振る舞ってたんだろう。なら私もそう振る舞うだけだ。

　お風呂場まで行って、なるほど、と思った。

　私の心配を蹴飛ばしてしまうくらいここのお風呂は大きい。ゴールデンウィークに行った温泉ほどではないけれど、四人そこらなら幾らでも入れそうだ。

　三人と一緒に脱衣場で服脱ぐ。

　ふと鏡に映った自分が目に入って、すぐに逸らした。鏡はあまり好きじゃない。私は美緒を知らないから、どうしても綾辻澪と向かい合っているような気分になってしまう。

「わぁぁ……澪さん、スタイルいいですねっ」

「えっ……そ、そうかな」

「ほんとだ！　凄いです。うわぁ、肌も綺麗。くびれもできてる……！」

「ふふっ、ありがと。とりあえず入ろっか」

　年下の子たちに褒められて、少しだけ気分がよくなった。スタイルの話をしたのに胸には一切触れなかったことについては言及しないでおこう。

　私だって別に、一切ないわけじゃないし。彼だって……。

　ぶつぶつと考えながらお風呂場に入り、髪や体を洗う。

　本当なら使い慣れたシャンプーの方がいいんだろうけど、私はそこまでこだわっていない。一応普段から使っているヘアパックは持ってきたので、リンスとトリートメントの後に手入れをしておけば充分だろう。

「澪さん、髪長いですね」

　と、隣にいた子が聞いてくる。

　その子に言う通り、私の髪はだいぶ伸びてきている。春には肩くらいまでしかなかったけれど、今はちょっとしたロングヘアーくらいにはなった。

「うん、伸ばしてるんだ」

「てことは、ゆー兄って長い方が好きだったりするんですかね」

「ん……？　えと、それはどうだろ。分からないかな」

　彼の好きな髪形なんて聞いたことがない。けど彼の周りにいる子ってロングヘアーの子が多いし、長い方が好きのようにも見える。雫にしても、彼と付き合うようになってからは髪を下ろしてるし。

「そ、そうですかぁ……」

　私の煮え切らない反応を受けて、その子はがっかりした風に肩を落とす。

　その様子を見て、もしかして、と思った。

「えっと……百瀬のこと、好きだったりするの？」

「へっ?!　あ、いや、別にそーいうんじゃないです！」

　ぶんぶんと首を横に振るけど、その子の頬はぽっと赤らんでいる。ちっとも隠せていない。さほど驚きはなかった。

　初恋が年上の親戚なんてよく聞く話だ。何となく彼は年下キラーな気もするし。

　私は美緒ではなく澪として、からかうように口を開く。　

「ふふっ、なんか怪しいなぁ……そういえば、よく言うよね。初恋は身近な親戚とかにしがちだ、って」

「う、うぅぅぅ……澪さん、思ってたより意地悪ですね」

「ごめんごめん。つい、ね」

　にこっと笑って誤魔化すと、その子は観念して白状した。

「そうです。私、ゆー兄のこと、好きです。け、けど、別に付き合いたいなって思ってるわけじゃないんですよ？」

「そうなの？」

「はい。だってみー姉が――ううん、何でもないです」

　途中まで言ってから、その子は後悔したように口を噤んだ。

　みー姉っていうのは美緒のこと。彼と美緒の関係を知っている私は、その子が何を言おうとしたのか、薄っすらと悟った。

「私はあくまでその、参考というか。来年から中学校なので、そのときのためにも今から髪を伸ばそうかなーって思ってたんです」

「ふぅん、そっか」

　どうやらこの子、二葉ちゃんだったらしい。

　ようやく名前が特定できたところで、体までしっかり洗い終わる。他の子たちは既に湯船に浸かっているようなので、私たちもそれに倣った。

　熱々のお湯。

　彼とシたあとに浴びるシャワーを思い出して、体の奥の疼きそうになった。けれど、その甘い疼きは百瀬美緒になるためには不要なものだ。

　私は美緒になる。異母姉である私だけが美緒になり代われるのだ。

　そのために必要なのは美緒の情報。美緒の欠片を拾い集めるために、私は無理を言ってこの帰省についてきたのだ。

「ねぇ。聞いてもいいかな？」

　今度は三人に聞くと、三者三様の反応が返ってきた。とりあえず全員ＯＫではあるらしい。

「美緒ちゃんってさ、どんな子だった？」

　アバウトな質問だ、とは自覚している。

　三人は不思議そうな顔をした。どうしてそんなことを？と思っているのだろう。出会い頭の反応を見るに、三人も私と美緒が似ていると感じたみたいだしね。

　教えてくれる？と笑いかけると、やがて口々に答え始めてくれた。

「怖くて優しい人でした。昔からよく叱られてたんですよ、私たち」

「うんうん、そうだったなぁ……ゆー兄も一緒に叱られて。けど今思うと、そうやって叱ってくれたことって、全部私たちのためだったんですよね」

　それは彼にも聞いたことがある。

　美緒はとてもしっかり者で、だからこそ彼は美緒を危なっかしいとも思っていた。守りたくて、守る立場に依存していたのだ、と。

　それとは全く別の一面を口にしたのは、それまで黙っていた子だった。

「私は……こんなこと言ったら怒られちゃうかもですけど、とっても女の子だったな、って今でも思います」

「女の子？」

「はい。よく、私たちがゆー兄にくっつくと怒られましたから」

「弥生」

　言い終えたその子(弥生ちゃん)を、二葉ちゃんが嗜めた。

　弥生ちゃんはそっぽを向いて、ツンと口を尖らせる。

「だって……今のゆー兄、見てられないもん。早く、誰か別の女の子を好きにならないと、ゆー兄は本当にダメな人になっちゃう」

「そうかもしれないけど……でもよくないよ、そういうのは」

「二葉だって、さっき言いそうになってたくせに」

「……っ、それは。ギリギリのところで止まったし」

「まぁまぁ、ダメだよ二人とも。澪さんが困ってるでしょ」

　ケンカ腰になっていた二人は一花ちゃんに言われ、バツが悪そうな顔をした。

　ごめんなさいと一花ちゃんが謝ってくるので、私は大丈夫だよと言ってあげる。

　けれど、その『大丈夫』は一花ちゃんではなく、弥生ちゃんに向けたものだった。別の女の子を好きになる必要なんてどこにもない。だって、彼の初恋はここにいるんだから。

　ちゃぽん、とお湯を鳴らす。

「もっと教えてほしいな。私もね、彼の妹のことを知ってあげたいの。義理でも家族は家族だからさ」

　彼を案じる心につけこむと、その子たちは美緒との思い出を話してくれた。

　私はそれを消化するように聞いて、自分のものにしていく。

　もっともっと――。

　綾辻澪を百瀬美緒で塗り潰すように、淡い思い出に浸かっていた。

　◇

　ＳＩＤＥ：美緒

「もう寝るのか？」

「うん。兄さんは？」

「っ……俺も、寝るつもりだよ。父さんは祖母ちゃんとまだ話してるし」

　お風呂を上がって少しすると、りんりんと鈴虫が鳴く夜がやってきた。

　都会とは違う静かで暗い夜。

　隣り合わせに敷かれた布団に入り、私は兄さんの方を向いた。

「ねぇ兄さん。今日は大丈夫だった？」

「大丈夫だったよ。一人じゃなかったから、かな」

「そっか」

　兄さんも布団に入って、私たちは二人で眠る。

　男と女じゃなくて兄と妹だから許される距離感。兄さんが寝ている方に手を伸ばすと、暗闇の中で見えない微笑を返された気がした。

　兄さんのごつごつした手が私の手と重なる。

　兄と妹じゃなくて男と女だから許される繋ぎ方。握る力を少しだけ強めると、兄さんも応えるようにちゃんと握ってくれる。

「ねぇ兄さん」

「……うん？」

「私はちゃんとここにいるよ。皆には見えてないだけで、ここにいるの」

　兄さんは何も言わなかった。

　夜目がまだ利いていないから、兄さんの表情を窺うことはできない。

　私は言い聞かせるように、ここにいるよ、ともう一度口にする。

　言い聞かせる相手が兄さんなのか私なのか、定かじゃなかった。

　兄さんが変わろうとしていることは何となく感じている。兄さんを変えたのは、間違いなくあの子――入江さんだ。泊まり込みで入江さんの看病をした日から、兄さんは明らかに変わっている。

　変わったのは兄さんだけじゃない。

　雫もまた、あの日を境に変わった。

　二人が変われば、否応なしに私たち三人の関係も変化を強いられる。

　兄さんの手を引いているのは入江さんだろう。彼女が導く答えに反旗を翻したいなら、私は私が望む方向へ兄さんの手を引っ張らなければならない。

　ようやく手に入れた『私』を手放すなんて、絶対に嫌だから――。

「愛してるよ、兄さん」

　呪いみたいに呟いた。