8話 グランのプレゼント
穏やかな生活が続く中、その穏やかさを切り裂くようにアマレットの悲鳴が上がった。
「ド、ド、ドレスの採寸!?」
グランの屋敷の中に、キラキラしい布の数々やドレスの見本が運び込まれていく。お針子の女性達が次々とやってきて、屋敷の面々に挨拶をした。
「どういうことですか!? グラン様!?」
「なに、言葉通りドレスの採寸に来てもらっただけだ。アマレット、君には菓子作りの報酬も込めた額を渡しているのに、それを菓子の材料や必要最低限の生活用品にしか使っていないそうじゃないか。なのでせっかくだから現物支給しようと思ってな」
「それにしたってこんな……たかそうなぬのがいっぱい……」
アマレットは急な出来事に驚き虚に呟くことしかできない。伯爵令嬢とはいえ、10年近く清貧生活を送ってきたのだ。その感覚は庶民に近くなっていた。
「毎日楽しくお菓子作りをさせていただいて、このお屋敷に住ませて下さるだけでも返せないくらいの恩ですのに、ドレスのプレゼントなんて申し訳ないですわ」
「だが、アマレット、君が今着ているのは使用人のお古だろう? 侯爵家に逗留している伯爵令嬢がその格好では俺の外聞も悪くなってしまう」
「う……」
グランはこの数週間の暮らしでアマレットの性格を完全に把握していた。このような言い分を持ち出されてはアマレットはぐうの音も出ない。
そうしてアマレットは、ニコニコと微笑むお針子の女性達に拉致された。
ありとあらゆる部位を採寸され(連日のお菓子生活で少しお腹が気になっているのに!)、さまざまな見本のドレスに着替えさせられる。
「私、髪色も目も地味な茶色ですし、そんなに明るい色は似合いません」
空色の布を持ち出してきたお針子さんに思わず言ってしまう。ずっと地味で華のない女として扱われてきたアマレットには、その明るく華やかな色合いはあまりに不相応に思えた。
「まあ、お嬢様。こちらの色はすごくお似合いですよ」
顔の近くに布を当てられると、確かに顔色がパッと明るく見える。
「きっとグラン様もお気に召しますわ。ね? お嬢様。殿方は大切な女性には一番綺麗に見えるドレスを贈りたいものなんですよ」
「そ、そんな。グラン様は別に私のことをそんな風に思っているわけではありません!」
「まあぁ。そうなんですのね。では、そういうことにしておきましょうか」
ベテランのお針子にアマレットはタジタジになった。
そして、パッと顔色が明るく見えた空色の布地と、柔らかな桃色の布、そして若草色の布でドレスを作ることになった。
本当は5着も作る予定だったらしいが、それはアマレットが必死で固辞した。
その上グランは、提示された布地を見ると「これに合う宝飾品も用意してくれ」などというからアマレットはもう真っ青である。
「ここまでしていただいても、私にはご恩を返すことができません!」
「恩返しもなにも、これは俺からのお礼だ。君は報酬を渡そうとしても受け取らないし、報酬込みの材料費は本当に菓子の材料にしか使わないじゃないか」
「それはだって……でも……」
「わかった。それならこれからも美味い菓子を作ってくれ、これはその分の前払いだ」
お針子の女性が何だか微笑ましげににやにやしている。モカもにやにやしている。そんな風な表情で見られると、グランの言い回しを何だかカンチガイしてしまいそうで、アマレットは真っ赤になった。
「わ、わかりました。お菓子のためですね。美味しいお菓子のための前払いということであればお受け取りします」
グランはただ美味しいお菓子を食べたいだけ。それだけ。だから勘違いなんてしない。
アマレットはそう自分に言い聞かせた。




