7話 アマレットの悩み
「アマレットお嬢様? どうなさったのですか?」
なかなか寝付けず、厨房でぼんやりとラズベリーのコンフィチュールを作っていると、モカに声をかけられた。
「なんでもないわ。なんとなく寝付けなくて」
「もしよろしければ香りのいいハーブティーでもお淹れしましょうか」
心配かけないように誤魔化して答えるが、モカの気遣わしげな顔は晴れない。よほどアマレットの元気がないように見えているのだろうか。
「ありがとう、お願いするわ」
ちょうどコンフィチュールが出来上がったところだ、それとお茶を合わせるのも悪くない。
モカがお茶を入れている間に、ホカホカとしたコンフィチュールを熱湯消毒した瓶に入れ、その一部をお皿に取り分けた。せっかくなので2人分用意する。
「さあ、どうぞ。あら、私の分も用意してくださったんですね」
「ええ、せっかくだから2人でお茶にしましょう?」
モカはカップをもう一客出し、お行儀は悪いけれど厨房で深夜のお茶会と洒落込む。とろりと赤く輝くコンフィチュールは宝石のようだ。侯爵様に内緒なのは悪いけれど、時にはこういうのもいいだろう。
「美味しいですねぇ、このコンフィチュール」
「ありがとう。モカの淹れてくれたこのお茶も美味しいわ」
モカがことりとカップを置いた。
「お嬢様、何かお悩みではありませんか?」
柔らかいその口調は遠い記憶にある母のそれとよく似ていて、不意に泣きそうになる。
アマレットは人に甘えるのが苦手だ。随分と長いこと、甘えられる相手は居なかった。心を許せるのは立場の弱い使用人達ばかりで、アマレットが彼らに頼れば、伯爵家当主である叔父に目をつけられてしまう。
叔父と何の接点もなく、アマレットを思い遣ってくれるモカを前に、心の壁は決壊した。
「悩み、というか……。あまりにもここでの生活が幸せすぎて、怖いの。私はあくまで結婚する予定もない名ばかりの花嫁候補だわ。この生活はいつか終わってしまうものなのに、こんなに幸せを感じていて大丈夫なのかしらって」
「お嬢様……。私は、出来ることならお嬢様にずっとここで暮らしていただきたいと思っています。その気持ちはグラン様も一緒だと思いますわ。でも……確かにグラン様に人を寄せ付けない事情はあります」
モカは何かを思い悩むように眉根を寄せた。やはり何か事情があるらしい。
侯爵家にも関わらず使用人はわずか5人で、その中でも住み込みの使用人はたったの2人。人当たりよく親切な性格にも関わらず、当初はアマレットを寄せ付けず母屋に入ることすら拒んだグラン。
どこか歪なバランスで成立しているこの家に、アマレットという異物が入り込むことは、決して歓迎されることではないのではないか。そんな風にアマレットは感じていた。
「今はまだ、お話しすることはできません。でも、私達もグラン様も、お嬢様にずっとここに居てほしいという気持ちは本当です。そしてグラン様はそのために出来る事をしようとしています。だからどうか安心して私たちを信じていていただけませんか?」
いいのだろうか、こんなにも暖かな場所で、この暖かさが続くと信じても……。
いや、信じるしかない。アマレットに居場所をくれたこの侯爵家の人々のために出来ることが、この暖かな生活が続くようにアマレットもまた努力することならば、アマレットは自分の不安や恐怖など投げ捨てることに決めた。