カシス・ラポストル
皆様のご愛顧のおかげ様をもちまして、書籍化決定いたしました!
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楽しみに待っていただけたら幸いです。また詳細が決まりましたらご報告いたします。
『ラポストル侯爵家をこの手に』
それが、カシスの一族の悲願だった。
カシスの先祖、オランジェットが200年前にラポストル家を追放されてからというもの、ラポストル侯爵家をその手に取り戻すべく、一族は爪を研いでいた。
侯爵家と戦うには、あまりにも戦力が不足しすぎる。だからこそ、離れ島で人々を統べ、サントノーレやラポストルの行き場がないものたちを引き取って家を与えた。
幸いにも、海流を操る力によって、島は常に豊漁であり、食料には事欠かなかった。
島の生活は徐々に豊かにはなっていったが、侯爵家の本家と戦い乗っ取るには、あまりにも戦力が不足しすぎていた。そうして虎視眈々と不当に祖先を追放した本家を潰すために爪を研ぎつつ、200年が経過した。
カシスの父、カラントは、カシスが幼い頃よりずっと、ラポストル侯爵家を取り戻せと言い聞かせてきた。カシスの一族は、先祖代々そうやって育ってきたのだ。
その中でも、特にカラントが熱心になったのは、カシスの持つ水竜の力がとりわけ強いと判明してからである。カシスが海に出て漁を手伝えば、尋常でない量の魚が取れた。海流を操れば、船はスイスイと遠くまで進んだ。
徐々に血が薄まっていったカシスの一族において、カシスは先祖返りと目されていた。
だからこそ、カシスの代でラポストル侯爵家を取り戻すことができるのではないかと、カラントは期待したのだ。
『カシス、お前こそが、ラポストル侯爵家を取り戻すのだ』
病で亡くなる間際、父の最期の言葉はそれだった。カシスに対して「強い水竜の力を持つ、ラポストル侯爵家を取り戻せるかもしれない存在」それ以外の見方を、ついぞ父はしたことがなかった。
だからこそカシスは自分の代でラポストル侯爵家を取り戻すことにこだわっていた。父は、それ以外の役割をカシスには求めていなかったのだから。
しかし、心のどこかで疑念が湧く。島の民を、仲間たちを、戦争へと駆り立てていいものか。それゆえに、カシスは侯爵ただ一人を誘き寄せて討ち倒すことにこだわった。
侯爵家と全面戦争になれば、島の民が犠牲になるだろう。だが、幸いにも現在の水竜公は公正で慈悲深い人物と聞く。縁続きのものを誘拐でもすれば、誘き寄せることも可能に違いない。カシスが海流を操作している限り、近寄って来れるのは水竜公その人しかいないのだから。
そうして誘拐した、バクラヴァ伯爵家の女は、どこか見ていてイライラするような女だった。
「私が! 私がバクラヴァ伯爵令嬢なのよ! そうでなければ、お父様に私のこと、見てもらえないもの」
自白剤の影響で感情が溢れ出しているのか、そう言って啜り泣く様を見ていると、なぜかひどく胸がざわついた。
父に認められたくて足掻く姿は、どこかで自分自身を彷彿とさせる。
そうして、心に迷いのあるまま臨んだ決闘で、カシスは完膚なきまでに負けた。それは、ただの魔力による敗北ではなかった。上に立つものとして、民を導くものとしての器で負けたのだ。
船員たちのことを考えろと言って聞かせながらカシスの出血を水圧を操って抑えるグランは、ただ父に認められたくて島の民を犯罪へと駆り立てたカシスとは器が違った。それを痛感させられて、カシスは敗北を認めざるを得なかった。
そうして、上に立つものとして全ての責任を背負い、島の民たちの罪も全て引っ被って処刑される覚悟を決めた。
だというのに……。
「私はカシス様と結婚するの! だから誘拐じゃなくてカシス様についていっただけ! 結婚したくて狂言誘拐されただけよ!」
訳のわからない主張をしているその女は、カシスが誘拐したバクラヴァ家の娘だった。
カシスの罪を問おうとしていた官憲は、困惑を隠せずに互いに顔を見合わせている。一体どういうことなのか、とカシスの方を見やる官憲に対して、カシスはずっとこう思っていた。
——俺もその困惑仲間に入れてくれ!
どういうことなのかも何も、それはカシスが一番わからなかった。ただ、この女の頭がおかしいことだけはわかる。
「父様に認めてもらうためじゃなく、私は私の心の赴くままに生きるって決めたのよ!」
女の話をなんとか理解しようとあれこれ質問する官憲に、女はそう吠えた。なぜかその言葉は、ひどくカシスの胸を打った。
——自分の心の赴くままに、か。
父に認めてもらうため以外の行動原理を持たなかった。だが、計画は失敗しグランと和解した今、父の悲願を果たしてやることはもうできないだろう。カシスは次の人生を考え始めなければならなくなった。
被害者の主張に煙にまかれた官憲は、納得できないという顔をしながらもカシスを釈放した。
釈放されるにあたって、グランが面会に来た。
「息災か」
「おかげさまでね。なんなんだ、あの娘は」
「……それは、俺にもよくわからん。まあいいじゃないか、これで話が丸く収まったのだから」
「それでいいのか? あんたは」
「わざわざ離れ島をうまく統治しているお前を処罰するほど、領主としての俺も暇じゃなくてね。離れ島はそのままおまえに割譲しようと思っている」
「なっ!」
誘拐事件に失敗してから、処刑も覚悟していたというのに、一体どうしたことだろうか。
正式に離れ島の統治者となり、小さいながらも領地を持つことになろうとは。
「国王陛下にも話は通してある。仕事から逃げられると思うなよ、カシス」
グランはくつくつと含み笑いをしながら、カシスの肩を叩いた。水竜公は公正で慈悲深いと聞いていたが、どうやら狸めいた性質も持っていたらしい。
そうして、カシスの新しい生活が始まった。
「カシス様! 遊びに参りましたの、私とお話してくださいませ!」
あの頭のおかしいバクラヴァ家の女、キャロンは、度々離れ島まで突撃してきては、カシスの側に居たがった。
カシスの側近である島民たちも、なぜかその女を受け入れているらしく、女が来た時にはカシスの仕事を奪い取って二人きりにしようとしてくる始末である。
女の言う話は、カシスにはよくわからないものが多かった。最新のドレスがどうとか、宝飾品がこうとか。だが、キラキラした目でカシスを見上げる女を見ていると、わからなくてもまあいいか、という気になってくる。
そして、女は一つだけ役に立つこともしていった。
カシスの身につけている、島の伝統工芸品である珊瑚の首飾りを、大層褒め称えて自分も欲しいとねだったのだ。まあそのくらいはいいだろうと与えてやると、なぜかその珊瑚がサントノーレで随分な評判となっていた。
島でしか取れない、柑橘のような橙色がかった珊瑚。それは、本土では珍しいらしい。
それに商機を見て、珊瑚の輸出を始めると、島の財政は随分と潤った。元々豊漁で食べるには困らなかったが、それなりに衣服や日用雑貨などの購入も必要となる。島民の生活は、女のおかげで豊かになっていった。
——オヤジ、すまねぇな。俺はラポストル家を取り戻すことはできそうにない。その代わり、祖先が守り継いできたこの島を、守っていくことにするよ。
父の悲願は、一生叶えてはやれないだろう。だが、それでいいのだ。
女の無邪気な笑顔を見ながら、そんな風にカシスは思った。




