海賊編3
甲板の上には、船員たちがすでに起き出して集まっていた。
「これより俺たちは貴族としての決闘を行う! 何があろうとお前たちは手を出すな!」
誇り高き海の男として、カシス・ラポストルは宣言した。船員たちは不安そうに顔を見合わせていたが、それを放置してグランとカシスは向かい合う。
「このような形で出会うことになったことを、残念に思うぞ、カシス」
「ほざくな。俺は、今こそ先祖の恨みを晴らし、新たな水竜公となって見せよう!」
互いに水を操り、水の刃が空中でぶつかりあって飛沫をあげる。カシスが水を蛇のようにくねらせてグランへと迫れば、グランはそれを広範な水の盾を生成して防ぐ。
水球を次々と打ち出してグランが弾幕を張れば、カシスの生成した水の矢が、それを一つ一つ打ち砕いた。
「それほどの力を持ちながら、なぜ無法者と成り下がった! 貴族の誇りを持っているのではないのか!」
磨き抜かれた技に、グランは歯噛みをする。これほどの技術を身につけるまでには、いったいどれほどの研鑽を必要としたことだろうか。そのような人物が海賊に身を窶していることが残念でならなかった。
「無法者などと! 俺は略奪などしたことはない! 俺たちを海賊などと呼んでいるのは、お前たちが勝手にそう思い込んでいるだけだ」
「そうだ! 俺たちは島で魚を取って食っていた。行き場のない俺たちに生きる術を与えてくれたのが団長だ!」
船員が問答を聞きつけて、そのように叫んだ。キャロンを誘拐したのは、グランをおびき寄せるため。そして貴族の末裔として決闘を行うためであった。
彼らは、ただの島の漁師だったのだ。だが、だからこそこのままで済ませるわけにはいかなかった。
「ならば、島のものたちを率いる立場ならば! 誘拐などという罪に手を染めさせるのが上に立つものの仕事か!」
グランはカシスの、貴族としての誇りを問う。
水の矢に同じく水の矢をぶつけて相殺しながら、グランは不思議な仲間意識のようなものをカシスに感じ始めていた。
水竜公として強大な力を持ち、血の呪いで孤独に生きてきたグラン。そのグランの同族がこの場にいる。できれば討ち取りたくなどない。その迷いが、グランの手を鈍らせた。
「くそ!」
グランの肩を、水の刃が切り裂いていく。
「グランさま!」
キャロンが悲鳴を上げるが、グランは肩を抑えつつも戦いの手を止めない。
「俺が、俺こそが本物の水竜公だ!」
そう叫びながらカシスがグランに止めを刺そうとしたその時、カシスの生成した水の刃が、空中で弾けて消えた。
「な、なぜ……」
そこに出来た隙へ、グランの刃が迫り、カシスの胸を切り裂く。
「だ、団長!」
カシスを慕う船員が悲鳴を上げる。
「くそ、お前、いったい俺に何をした。なぜ急に力が」
「俺は何もしていない。お前はもう、魔力切れになったのだ」
二人とも血に塗れたまま、しかしカシスの方が傷は深い。グランはゆっくりとカシスに近づいていく。
「くそ、俺の負けか……」
カシスは覚悟を決めたようにゆっくりと目を閉じた。しかし、いつまで経ってもトドメの一撃はやってこない。
カシスの胸の傷を塞ぐように、グランの操る水が覆っていた。
「なぜ、なぜトドメを刺さない!」
「お前は俺の同胞だ……。今までこの力で孤独に耐えてきた。お前を討ち取るのは、あまりに忍びない。それに、この者たちを導くのがお前の役目だろうが」
「団長! 団長を助けてください! 団長!」
カシスに取り縋って、船員が泣く。その姿を見て、カシスはポツリと呟いた。
「俺が、間違っていたのか? 水竜公として、父に認められることばかり考えてきた……。船員の人生を背負いながら、誤った道に導き……。俺もそこの女と同じ、愚か者だったのか……」
そこの女、として名指しされたキャロンは、複雑そうな顔でカシスを見る。キャロンもまた、自白剤の影響で自身の歪みを自覚していた。父に認められない苦しみをアマレットにぶつけて、目を逸らしてきた。果てはどうして自分がこれほど伯爵令嬢として認められたがっているか、その理由さえ忘れて、ただ伯爵令嬢であると吠えるしか出来なくなっていた。
「サントノーレに寄港しろ! カシスの治療を受けさせる」
静かになった甲板の上、グランが船員に対して指示を出す。船員たちもまた、それに従った。グランの操る海流が、ぐんぐんと船を進ませる。
港に辿り着けば、待ち構えていたサントノーレ軍が船員たちを捕縛する。しかし、グランの差配によりカシスは医師の治療を受けられることになった。
「グラン様! ご無事で、よくご無事でいらっしゃいました」
目に涙を浮かべたアマレットがグランに抱きつく。
「君のパンケーキのおかげだ。魔力切れとならないで済んだ」
カシスとグランの勝敗を分けたのは、魔力の多寡であった。それはアマレットの魔力菓子によるものだ。そうして、サントノーレの港で起きた騒動は、一応の決着を見たのである。
その後、問題となるのはカシスの処遇であった。船員たちは海賊と勘違いされていたが、実際にはただの島の漁師たちである。そして、カシスはまたラポストル家のお家騒動の被害者という側面もあった。
しかし、サントノーレ男爵家に身を寄せている、バクラヴァ家の令嬢を誘拐した罪は重い。だがそれは、キャロンの鶴の一声によって混乱の様相を呈していた。
「は、はあ? カシス・ラポストルと結婚したくて自分からついていった狂言誘拐?」
キャロンは取り調べに対して、そのように言い出したのである。
先祖の悲願を果たすため、父に認められたくて水竜公の地位に執着したカシス。その姿に自分を見たのか、一目惚れでもしたのか。キャロンはなぜか、カシス・ラポストルと結婚するなどと主張し始めていた。
被害者がこのように主張している以上、カシスを誘拐の疑惑で勾留するわけにもいかない。解放されたカシスは、キャロンによる度重なる訪問攻撃を受けつつ、困惑しながらも次第に絆されていっている様子であった。
「あの子は、ちょっと……猪突猛進だから……」
キャロンの祖母であるマドレーヌ夫人は、頭を抱えていたが、キャロンはそんなことはお構いなしにカシスへと突撃していた。
「これは、一件落着、ということでいいのでしょうか……」
「いいのだろうな……」
「いい、ということにしておきましょうか……」
アマレットとグラン、マドレーヌ夫人は、揃って「はあ」とため息をつく。
しかし、キャロンも人騒がせなだけではなかった。
事後処理のためにサントノーレに逗留しているアマレットへ、ある日突然近寄ってきたかと思うと、「悪かったわね!」と言い放ったのである。
「は? どうしたの、キャロン。熱でもあるの」
「うっさいわね! あんたをいじめたこと、悪かったわねって言ってるのよ。これ、受け取りなさいよね!」
そう言ってキャロンは、かつて奪い取ったアマレットの母の形見を押し付けて、走り去っていった。その飾り物は、綺麗に磨き上げられていた。少しはキャロンも成長したということだろうか。
そうして、バクラヴァ家における一つの確執が終わりを迎えた頃、クラストの養子話が再び持ち上がった。クラストもまた、今度はその話を受ける心づもりがあるらしい。曰く、「キャロン姉様はカシス兄様に任せておけば大丈夫」とのことだった。すでに兄認定されているカシスであった。




