海賊編1
「海賊が!?」
その凶報には、グランも大層驚いていた。
このラポストル領近縁の海域には、これまで海賊などまず出なかった。なぜなら、水を操る水竜公が控えているからだ。
「とにかく、サントノーレに駆けつけるしかない。海流を操れば、海賊共が港に上がるのも防げるだろう」
しかし、海賊の恐ろしさはそれだけでは済まなかった。
「それが、おかしな話が出ているのです」
そう、報告に来たロンガンは言う。
「海流の様子がおかしく、今まで取れなかった魚が取れていると、漁師たちが証言していると。それに、海賊は本物の水竜公を名乗っているそうです」
「何? 本物の水竜公、だと?」
本物、とはどう言うことだろうか。ラポストル侯爵家は、遠縁の分家を除き、血は途絶えかかっている。グランには兄弟はおらず、後継者争いなども発生していない。遠縁の分家とは仲も良好だし、おかしな野心を持つようなものたちでもない。
「ともあれ、海賊が出たと言うなら国を守護する水竜公として駆けつけぬわけには行くまい。疾く、参る。アマレットはこの屋敷を守っていてくれ」
海賊に近づけるのを厭うてか、クラスとともに屋敷で待機するよう言いつけるグランに、しかしアマレットは力強く首を横に振った。
「いいえ、グラン様。もし相手方が同じ海流を操る術を持っているのなら、より一層強い力を振るう必要があるはずです。私も魔力菓子で援護いたします」
あの大嵐の日、アマレットが目覚めなくなったことはグランの中では辛い記憶となっていた。だからこそ、アマレットを寄せ付けたくはない。
だが、揉めている時間もなかった。グランはあの日と同じように、短期でサントノーレへと駆けて行き、それをアマレットが追いかける。
アマレットが数刻かけて馬車でたどり着いたサントノーレは、街中が騒然となっていた。
サントノーレ男爵家へと辿り着くと、急いでグランの行方を問う。
「バクラヴァ伯アマレットです! グラン・ラポストル侯爵を追いかけて参りました! グラン様はどちらにいらっしゃいますか?」
「それが……、キャロンお嬢様が海賊へ誘拐され、グラン様はそれを追いかけて行かれました」
「なんですって!?」
だが、今のアマレットがそれを追いかけて行っても、無力なだけだ。
心配はしつつも歯を食いしばって、お菓子を作ることにする。
「魔力譲渡のための菓子、ですか」
サントノーレ男爵家の使用人に説明すると、少し理解が難しい話だったのかきょとんとしている。しかしそこへ通りがかったクラストの祖母、マドレーヌ夫人が話を聞きつけ、手早く厨房が使用できるように指示してくれた。
「お菓子を作ることで魔力を譲渡されるのですね? わかりました。この屋敷の厨房はご自由にお使いください。何か必要なものがあればこちらの使用人に言いつけを。素早く手配させていただきますわ」
「あの、一つだけよろしいですか? キャロンはなぜ誘拐などされることに……。無事ではいるのでしょうか?」
その疑問に、マドレーヌ夫人は嘆息した。
「あの子は、自分こそが正当なバクラヴァ伯爵令嬢であると吹聴していたのです。それを港町に乗り込んでいた海賊の密偵に付け込まれたようで、誘拐を。人質として捉えた、身代金をよこせとの声明を受けました」
「そんな……」
「あの子のことが心配なのですね。あなたはあまりいい扱いを受けていなかったと聞いていますが」
「それは……。それでも、従姉妹ですから。キャロンはキャロンで、辛い思いをしてきた部分もあると思いますし」
クラストの話を思い出す。
伯爵令嬢として認められなければ、父に娘として見放されるという不安に晒されながら育ってきたのだろう。
アマレットの両親は、きちんと躾こそしてくれていたけれど、たとえアマレットが伯爵令嬢として相応しくなくても、変わらぬ愛情を注いでくれたに違いない。そのような愛情を受けて育ったアマレットには、キャロンの気持ちは想像することもできなかったが、だからこそ、彼女を頭ごなしに否定する気にはなれなかった。
キャロンを救助しに行く部隊は、海流に邪魔されて沖に浮かぶ海賊船にまるで近寄れないでいるらしかった。
グランが海流を操っているが、あちらに妨害されてなかなかうまくいっていないようだ。
アマレットは魔力を込めた菓子を作るべく、厨房へ急いで向かう。
アップルパイでは時間がかかるため、今回は手早く作ることができるパンケーキとした。
粉を計量したら、ミルクと卵黄を加え、手早く泡立てたメレンゲとさっくり混ぜ合わせる。その短時間で、魔力を練り上げて菓子に込めなければならない。
あの大嵐の日に無茶をした成果もあり、アマレットは魔力の操作が上達していた。
パンケーキはあっという間に焼き上がり、海辺にいるグランの元へと駆ける。
グランは、海流をなんとか操作しようと腐心していた。
「グラン様。魔力のこもったパンケーキをお持ちしました!」
「アマレット! ああ、全く、来るなと言ったのに。だが、助かった」
グランは、一つの作戦を考えていた。
日が落ちて辺りが暗くなったのち、一人で海流を操作し、海の底から海賊船へと侵入、そしてキャロンを連れて海に飛び込み逃げるというものである。
だが、そのためには魔力が足りていなかった。
船で近づこうにも、あちらにも水竜の力を持つものが居るのは本当らしく、海流の操作に邪魔をされてサントノーレ軍の船は近づけないでいた。
だからこそ、深夜遅くに一人で参ろうという作戦なのだろう。
「でも、それはあまりに危険では!」
「だが、これ以上時間をかけてはキャロン嬢の身も危ないだろう。身代金を払ったとて、無事に帰ってくる保証もない」
そうして、月のみが照らす海へとグランは旅立っていった。




