24話 生きるためのくちづけ
夜も更け始めた頃、ついにアップルパイが焼き上がった。それをグランのいるバルコニーまで持っていく。
モカが代わりに持って行こうとしたが、アマレットは頑なに断った。
自分を犠牲にするわけじゃない、グランがアマレットの生き血を啜るようなことには、させない。
ただ、今はどうしてもアマレットはグランのそばにいたかった。
バルコニーの柵に手をかけて空を見上げるグランがいた。
爪は鋭く伸び、瞳孔は赤く裂けている。それでも全く恐ろしくなかった。
「グラン様、あなたの大好きなアップルパイをお持ちしました」
いつも通りのようにアマレットは言った。
いつも通りのように、グランは笑った。
その手がパイへと伸び、口へと一切れ放り込む。
赤くなっていた瞳は、いつの間にかいつもの優しい青灰色へと戻っていた。
その色を見て、安心したアマレットは、ふらりと傾いで、そのまま倒れたのだった。
◆
あれから、1週間。ラポストル領を襲った大嵐は、ただの一人の犠牲者も出すことなくおさまった。
けれど、アマレットは目を覚さないでいた。
栄養などはグランが水を操って無理やり飲ませているが、このままでは衰弱していく一方である。医者に見せても、このような症状は診たことがないと首を横に振るばかりだった。
グランは、魔術師カスティーリャに頼る事にした。
王都へ早馬を飛ばし、解決策はないかと問い合わせる。
カスティーリャは事態を知ってすぐに駆けつけてきてくれた。
「これは魔力不足じゃのう。目覚めるための魔力が足りていない状態なんじゃ。魔力が回復すれば目覚めるが、それまでに体が衰弱していってしまう危険性の方が高いのう」
「それなら一体どうすれば……!」
グランにとって、アマレットは救いそのものだった。父と母の死を眼前にして、人を遠ざけて生きてきたグラン。両親が領民を救った英雄だからこそ、グランもまた災害時には自分がどうなろうとも力を振るう覚悟を決め、それゆえに誰も巻き込まないよう孤独に生きてきた。
そんなグランを、救ったのがアマレットなのである。
生涯誰かと人生を共にする事なく、孤独に生きて孤独に死ぬのだと思っていたグランに、人と共にあるための術を生み出した。
そのために辛い修行にも耐えてくれたアマレットを愛しく思わないはずがない。
それなのに、アマレットがこのまま助からなければ、グランは何を支えにして生きていけばいいのかもわからなかった。
しかし、苦悩に顔を歪ませるグランに、魔術師カスティーリャは、あっさりとこう言った。
「なに、外から魔力を補給してやればいいのじゃよ」
「それは、どうやって……」
「そなたが一番よく知っているじゃろうて……血じゃよ。なに、そなたの魔力に満ちた血であれば、目覚める程度の魔力は回復するじゃろう」
なるほどそのような手段があったか! グランは目から鱗が落ちる思いだった。
そして、両親の最後の姿を思い出す。母は自らの唇を噛み切って、その血を父に飲ませたのである。
グランは自らの犬歯を下唇に突き立てた。
「アマレット、どうか目を覚ましてくれ。俺の両親はくちづけを以て共に死に、領民を生かしたが、俺と君はくちづけを以て共に生き、領民を守ってゆこう」
青白い顔で眠るアマレットに、唇を落とす。
こくり、とアマレットの喉が鳴った。
祈るように見つめていると、アマレットの頬に徐々に赤みが差してくる。
「アマレット! ああ、アマレット!」
ゆっくりと、はちみつ色の甘やかな瞳が開かれた。
水竜侯爵は甘いものがお好き 完
ここまでお付き合いいただいた皆様。ありがとうございました。
少しでもお楽しみいただけていたら幸いです。そのうち小さいライバル登場編(従兄弟くん5歳。アマレットが大好き)など書くかもしれませんので、その時はよろしくお願いします。
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また新連載始めました。こちらも基本毎日更新の予定なので、よろしくお願いします。https://ncode.syosetu.com/n2137kh/




