13話 バクラヴァ領へ
伯爵家当主となったアマレットは、一度バクラヴァ領の屋敷に戻った後、王宮にて継承の顔見せと挨拶を行うことになった。
グランはそれに連れ立って準備を手伝ってくれるという。
何から何まで世話になっているアマレットは、少しでも恩返ししようとお菓子作りに入る熱も一入であった。
ゆったりと馬車が進む旅路の中、「疲れていないか? 体は痛くないか? この街ではアマレットが世話になった屋敷の人たちに何か土産を買って行こうか」などとグランは何くれとなく気を遣ってくれる。
バクラヴァ領からラポストル領を訪れる旅の時、アマレットはひとりぼっちで、先々への不安を抱えていたというのに、その時とは全く違う旅の景色に新鮮な思いで過ごしていた。
道中寄ったラポストル領の宿場町では、名物だという干し林檎の蜜がけを一緒に食べた。普段は侯爵らしく上品に食事をするグランが、食べ歩きにはしゃいで、熱くとろけた蜜で指先をベタベタにしている姿に、アマレットは大笑いしてしまったものだ。
そんな旅路の末、バクラヴァ伯爵邸に到達する。
「お嬢様! アマレットお嬢様! よくぞご無事にお帰りで、心配しておりましたぞ!」
「まぁ、ボッシュボール。出迎えをありがとう、会いたかったわ」
仲の良かった使用人たちが皆玄関先まで押し寄せてきて、アマレットを歓迎する。
「グラン様、ボッシュボールは私のお菓子作りの師匠なのですわ。きっと今夜も美味しいお菓子でおもてなししてくださいます。ボッシュボール、厨房に伝えて。水竜公はその血筋の関係で甘味しかお召し上がりにならないの。そのように手配して夕食の準備をお願いね」
「おお、アマレットの師匠か。アマレットはいつも屋敷でとても素晴らしい菓子を作ってくれている。俺はその虜なんだ。アマレットの師匠なら俺の恩人も同然。褒賞を授けるゆえ欲しいものがあったら言ってくれ」
グランは目を輝かせてそういう。ボッシュボールは、「アマレットお嬢様を幸せにしてくだされば十分ですぞ、ほほほ」などと言ってのんびりと笑った。
「お嬢様、綺麗なドレスをお召しになって、侯爵様によくして頂いているのですね。お嬢様ほど美しい方であれば花嫁候補としても大丈夫と信じておりましたが、まぁまぁまぁ」
メイド達はすでにアマレットの嫁ぎ先が決まったかのように目に涙を浮かべている。
古参の使用人達はアマレットが赤ん坊の頃からずっと見守っていたのだ。アマレットが不遇の時代に、下手にゴフリーに逆らって首を切られてはアマレットの味方が居なくなってしまうと、耐え抜きながらこっそり手助けしていた猛者達である。
アマレットが、おっとりのんびりした性格の、掃除洗濯料理大好きな人間に育ったのはおおむねこの使用人達の影響だった。
「こうなったら侯爵様のためにもお嬢様を磨き上げませんと! さぁ旅装をといて身支度いたしましょうね! ようやくお嬢様のお世話ができて私は感無量です!」
「まぁアシュレったら。まだ結婚すると決まったわけではないのよ。私はこちらに戻ったらみんなへのお礼にたくさんお菓子を作ろうと思っていたのに」
無意識に『まだ結婚すると決まったわけではない』と言うアマレットに、グランは赤面した。その姿を見てさらに使用人達が盛り上がる。背後ではモカがガッツポーズをしており、それを見たアシュレがモカと目を見交わし、頷きあった。なお、これが「お嬢様とグラン様をくっつけ隊」最強戦士二人の、最初の出会いである。
モカはアシュレにアマレットのドレスや宝飾品、身支度のあれこれを引き継ぎつつ、屋敷の使用人達は晩餐の準備のため散開した。
ずっと貴婦人のいなかったラポストル侯爵邸には香油や化粧道具がなかったが、この屋敷にはキャロンのものが残されている。グランの買い与えたドレスや宝飾品の数々、そして屋敷に残された化粧道具をもって磨き抜かれたアマレットの破壊力は、グランに直撃した。
晩餐の支度が出来上がったと食堂に降りたアマレットは、そこで同時に客間から降りてきたはずのグランが固まったことに首を傾げた。その首から漂う香りは……。
「あ、甘い……」
「どうしたのですか? グラン様」
「い、いや。ゴホン! アマレット、よく似合っている。磨き抜かれるとますます美しいな」
ずっと人を遠ざけていたグランは、さほど女性の扱いに物慣れてはいなかったが、侯爵の意地もあり耐え抜いた。
「まぁ、グラン様、お上手ですわ」
「か、かわ……!」
恥じらうアマレットが頬を染めて俯くと、侯爵の意地は撃沈した。
「さあ、お二方とも。晩餐の支度はできております。席におつきくださいませな」
同じ男として侯爵の限界を察したボッシュボールが助け舟を出し、晩餐は概ね和やかに(時折グランが撃沈しながら)進んで行ったのだった。




