11話 グランの帰還
本日2回更新です。読み飛ばしにご注意ください。
手紙を出してから7日、その間毎日襲来するキャロンをやり過ごす中、大急ぎでグランは帰って来てくれた。
「待たせた。すまなかったな、アマレット嬢。危険なことはなかったか?」
「ええ、大丈夫ですわ。こちらこそ我が家の従姉妹が本当に申し訳ありません」
アマレットがグランに頭を下げる。これはむしろアマレットが侯爵家に持ち込んだ厄介ごとである。グランが帰ってくるまでの間、保存の効くお菓子を大量生産してしまうぐらい申し訳なく思っていた。
「さて、中々厄介そうだが直接話し合わねばな。その従姉妹殿がどこの宿をとっているか知っているか?」
「いえ。でも毎日襲来してくるので待っていれば今日も来ると思いますわ」
そう話している側から、屋敷のドアノッカーがごんごんと鳴らされた。
「ほら……」
ロンガンもモカもげんなりとした顔を無理やり引き締めて出迎えに行く。
「グラン様、やっとお帰りになったのですね! わたくし、バクラヴァ伯爵家令嬢のキャロンと申しますわ。わたくし、アマレットお姉さまに変わって花嫁候補となるべくお伺いいたしましたの!」
礼儀も何もなっていない頭に花が咲いたような自己紹介に、グランは頭を抱えた。
玄関先で額を抑えたまま動かないグランに、アマレットがスッとクッキーを差し出す。
ボリボリ。
グランは無言で食べた。しかしまだ頭を抱えたまま動かない。
スッ。
ボリボリ。
「あのぅ、グラン様? わたくしをお屋敷にあげてくださいませんか?」
キャロンが問う。
グランは答えない。
スッ。
ボリボリ。
無言でクッキーを差し出すアマレット、それを無言で食べるグラン。
「はぁ、とりあえず玄関先で話すのもなんだ。応接室へ移動しよう」
クッキーを何枚か食べたグランが復活したところで、ロンガンは応接室にキャロンを案内した。
「あー、君は自分がやっている事の意味はわかっているかね?」
「もちろんですわ。アマレットお姉様では水竜公の花嫁候補として不適切だと思いますの。お恥ずかしながらこのお姉様は厨房で使用人の真似事をするような変わり者なんですわ。伯爵家の恥を晒すようですけれども。だからこそわたくしが参りましたの!」
勢い込んでキャロンが捲し立てる。
「あー、バクラヴァ伯ご本人はアマレット嬢が嫁ぐことを歓迎していると伺っているが?」
「あら、歓迎しているのは嫁ぐことだけですわ。あんまり位の高いお方ですと変人のアマレットお姉様としても窮屈だと思いますの。だったら名のある庶民の商会にでも嫁ぐ方が良いに決まっていますわ」
確かにアマレットも以前は庶民の商会にでも嫁げればと考えていた。だが今更バクラヴァ伯家の整える縁談など受ける気にもなれない。どうせ碌なものではないからだ。無力感に苛まれて流されるままに生きていたアマレットはもういない。この侯爵家で過ごしているうちに視野も広がったのである。
「いや、今のバクラヴァ伯家ではアマレットが庶民に嫁ぐ必要性はないな。君は今のバクラヴァ家の現状をわかっているのか?」
「現状、でございますか?」
「俺は王都でバクラヴァ家当主ゴフリー・バクラヴァを告発した。このアマレットが相続すべきご両親の資産を横領した罪でな。裁判はまだ終わっていないが、伯爵家当主の位を剥奪されるのは免れないだろう」
「んなッ、なんですってえぇ!?」
キャロンが叫ぶ。
アマレットもこれには驚き同じく叫びそうになった口を両手で抑えた。
「おかしいと思ったんだ。早くにご両親を亡くしているとはいえ、伯爵家の一人娘が貧しい格好で共も連れずに訪れてきた。伯爵家の資産をゴフリー・バクラヴァが相続するのは妥当だが、それとは別に娘に資産を残していないはずがない。法務官に問い合わせたらやはりそのような遺言が残されていた」
「な……な……な……。そんなの私は知りませんわ!」
「君は知らなかっただろう。だが、君のお父君は知らぬ存ぜぬでは済まされない。本来庇護すべき対象であるアマレットに対する仕打ち、それに資産の横領。ただでは済まないだろう」
「最初からタダで済ますつもりはないくせに」
ボソッとロンガンが呟く。それをひと睨みしてグランは続けた。
「俺は君を花嫁候補として受け入れるつもりは一切ない。その上で君は今後の身の振り方を早めに考えた方がいいんじゃないか?」
「そんな……、そんな……。でも、そうだわ! お父様に罪があっても私には罪がないんだから、バクラヴァ家は私と弟が受け継いでいくことになるはず! それならなんの問題も無いはずですわ!」
「いいや、伯爵家を継ぐのはアマレットだ」
「は!?」
「は!?」
キャロンとアマレットが同時に叫んだ。
「女性が家を継げないのは、力ずくで夫の座に収まって支配しようとする男から守るためでもある。国王に認められた正当な後見人がいれば女性でも伯爵家の当主となることは可能だ。今回王都で俺が後見人となる手続きをしてきた。君の弟はまだ幼いんだろう? 君には俺を上回る後見人の当てはあるのか?」
アマレットにとっては全て初耳の話だ。まさか使用人同然に生きてきた自分が突然伯爵家当主に祭り上げられるとは思っていなかった。適切な教育も受けていないのにと不安になる。
「勝手なことをしてすまない。アマレット嬢。だが、今のバクラヴァ家の現状を黙殺することはできなかった。ゴフリーが失脚すれば本来正当な後継は君だ」
「それは……。グラン様が謝るようなことではございませんわ。高貴な血筋に生まれた者の義務ですもの。今まできちんと教育を受けてきたわけではないですから不安はありますけれど……」
アマレットがそう言うと、固まっていたキャロンが復活した。
「そうだわ! 後見人が必要だという話なら何も侯爵様がお姉様の後見人にならなくてもわたくしの後見人になっていただければいいじゃない! 本人も言っている通り教育を受けていないお姉様はふさわしくありませんわ!」
「では君は当主として適切な教育を受けているのか? 横領をして爵位剥奪された罪人の娘として社交界で晒し者になる覚悟は? アマレットを押し退けて高貴な血筋に生まれた者の義務を果たすつもりが君にあるのか?」
「う……それは……」
グランがアマレットを振り返り、ふわりと微笑む。
「君が目立つのを嫌う性分だということは知っている。貴族然とした生活に馴染みにくいことも。それでも突然の事態にまず高貴な者の義務のことを考えられる、君がそういう考え方を出来る人で良かった。伯爵家には優秀な家臣も居ると聞く。俺も可能な限り手伝おう」
グランにそう言われ、アマレットも改めて覚悟を固めた。少なくとも、ちょっと頭に花が咲き気味の従姉妹には到底バクラヴァ家を任せられないことだけは確かなのだから。
その後、まだ何か色々言い募るキャロンを屋敷から追い出して、騒がしい一日は終わった。
「ふぅ、ようやく帰ったか」
グッタリとした屋敷の面々は、談話室でアマレットのクッキーをポリポリ食べながら、でろんと休んでいる。
「それにしても、突然伯爵家当主なんて驚きましたわ。でも、陰でそんな風に私の両親の事まで考えて動いてくださっていたのですね。改めてありがとうございます、グラン様」
「いいや、これは君の正当な権利だ。君のご両親が君のために残したものだからな」
「そう、なんですね。両親が私のために……あ、あら?」
ぽろり、とアマレットの瞳から涙がこぼれ落ちる。
両親が亡くなってから9年もの間、ずっと悲しむ暇も無かった。生きるために必死で、耐えるために必死で、泣くこともできなかった。
張り詰めていた糸が切れたように、ぽろり、ぽろりと止めどなく涙は溢れる。
「ご、ごめんなさいグラン様。なんだか涙が止まらなくて」
グランは、少し躊躇ったのちにアマレットを優しく抱き寄せ、背中をとんとんと叩いた。
「君は今まで随分と頑張ってきただろう。そして、君の責任感の強い性分ならこれからも頑張ってしまうだろう。だから今日はなにも気にせずに泣くといい。泣いていいんだ」
強張っていたアマレットの体からゆっくりと力が抜け、泣き疲れたアマレットはそのままグランの腕の中で眠り込んだ。
その腕の中は暖かく、安心できる場所だったから。




