■百貨店へ行こう!■ 2
「仍古谷クン、仍古谷クンにはこういうのがいいんじゃないか?」
紘乃と逆方向に向って1分ほど歩くと、きらきらと眩しい照明があるショップの前で、マネキンが着ている服を華出が指さした。
エンボス皺加工の白地のトップスと、ハイウェストで切り替えられた明るいオレンジのふわっとしたギャザースカートが広がるワンピース。
「…ええー…私、こういうのあんまり着た事ないからわかんないです…」
「じゃあ着てみるといい。店員さん、これ試着させてもらうね」
「はい、こちらへどうぞ」
ちょっ…華出さん、私の意見も聞いて下さいよ!
原色に近い、明るい色のスカートに抵抗心のあった智香は、慌てて華出にしがみついた。
今までこういう色は素敵だと思う時はあれど、自分には似合わないと思って敬遠してきたのだ。
可愛い格好は好きだけど、もっと目立たない、グレーとか、ベージュとかを希望したいのだが。
「ん? 何? 着せてほしい?」
「ちがっ! あの変態さんと一緒ですよ、それじゃあ」
「峨人サンを変態と言いきってしまうのも、凄いな。とにかく、この僕の目に狂いはないから大丈夫」
そう言いながら華出は、腕にしがみついていた智香を、強制的に試着室へと押し込んだ。
どうやら、何がなんでもこの明るい色味の服を着なければならないようだ。
智香は試着室の中で、握ったり広げたりして暫く見つめていたが、えいやっ、と覚悟を決めて着ていた服を脱ぎ始める。オレンジスカートのワンピースは上から被る形だ。
そして、頭を入れて、両腕を通した時に、はたと気づいた。
…これ…後ろにチャックがあるやつだ…。
あろうことか、いやある意味予想通りというべきか、その服には背中にファスナーが付いていた。
ここ数年、そんなタイプの服は着ていない。何せ楽に着られる服が大好きなのだ。頭からすぽーん、はい、おわりー。
…このワンピースは、間違いなく、そんな楽なものじゃない。
「おおお…思った通り、閉じられない…」
手をひくつかせながら、なんとかチャックを肩甲骨の辺りまで引き上る事は出来たものの、最後の最後が上がらない。しかもその後には、多分首筋のフックをひっかけるという作業が残っている。
どうしようかと、半ば汗ばんできた時、華出の苛立った声が扉の向こうから聞こえた。
「ちょっと、君、遅すぎ。もう五分経つんだけど」
「ご、ごめんなさい。あとちょっとで…」
「まさか、着れないとか言わないよね? それ、大きめなんだけど」
「服は着れましたっ。着れましたけど、でもっ…最後がうまく…」
「最後?」
後少し、後少しで、手が届くんですっ…。
智香の手が、震えながらチャックのつまみに触れた瞬間。
試着室の扉が勢いよく開けられた。
「っ!? ぎゃああああああっっ」
「うるさい! ぎゃーぎゃー騒ぐなっ。ファスナーくらいさっさと閉めろ、ホラッ!」
華出がずかずかと試着室に押入ってきて、有無を言わさずにジャッとチャックを引き上げる。
「あああ…乙女の背中を、しっかり見られたああ」
「乙女って歳か、君。うーん、やっぱりストールよりファーだな」
嘆く智香をよそに、華出は勝手に選んできたベージュ色のファーを巻きつけ、姿見の前でコーディネートをし始めた。
かなりの傍若無人ぶりだが、真剣な表情を見てると、なんとなく微笑ましくなってくるのが不思議だ。
「一番上の、フックもひっかけてくれました?」
「…随分ちゃっかりしてるな、君」
智香の茶色く長い髪の毛を、ふわりと右手に取ってほぐしながら華出が呆れた顔で見つめてくる。
鏡を通して男の表情を確認した智香は、えへへと笑った。
華出は智香のヘアスタイルを思案しているらしく、全部おろしたり、アップにまとめてみたり、束ねたりしながら、ああでもないこうでもないと呟いている。
その都度、智香の周りに漂うのは、甘く澄んだ薔薇の香り。
男の人の香水って、良い匂いの時もあるんだなぁ…。
ぼんやりしながら思っているうちに彼女の髪の毛は右上でお団子状に巻かれ、そこからひと房下される。
よし、と華出が呟いた。
「今夜はこれでいこう」
「…ん? そういえば、この格好は明らかに仕事モードではないんですけど…」
「まあ半分は仕事じゃないからね。…聞いてない? 君達の歓迎パーティだって」
「…へえええっ!?」
足早に試着室の扉を出て会計を始めた華出に、オレンジのギャザースカートをなびかせた智香が、慌てて駆け寄った。
「これ着たまま行くから、着てきたやつを袋に入れてくれるかな。支払いはこれで」
「華出さん、華出さんっ、じゃあひろちんも…」
「ああ、今頃は日村によって服を選ばれているんじゃないか? ヘアサロンにも行かなきゃいけないし、早くしないと時間がないって意味…わかった?」
「わ、わかりました…」
華出が店員からカードを返してもらっている間、智香は店内にあった姿見でもう一度自分の姿をチェックする。
普段は絶対に選ばないであろう、目が冴える程のオレンジ色のスカートがなんだか目新しい。白は元々好きだったし、袖無はちょっと恥ずかしいなと思っていたけれど、ふわふわの可愛いベージュのファーがそれを隠してくれるので、安心だ。
「…ほら、可愛いだろ?」
「ひゃあ!」
後ろから耳元へ囁くように、華出が話しかけてきた。
慌てて振り向いたが、相手が笑っている所を見ると、どうやらからかわれたらしい。
「もおおっ。…でも、おかげでこれからは違う色もチャレンジしてみようって気になれました。ありがとうございます、華出さん」
「どういたしまして。…ああ、そうだ」
智香の唇に、華出の人差し指がそうっと当てられ、相手の男は綺麗に片目を瞑って見せた。
「これから一緒に仕事するんだ。華出さん、は他人行儀だから愛称で呼んでくれて構わないよ」
「えっ、愛称ですか?」
フランクに呼んでよいと言われるのは嬉しいが、名付けるのは結構困ってしまう。
うーんうーんと智香が唸っていると、紘乃と日村が買い物を終えて向こうから歩いてきた。
「ああっ、よこさん可愛いねぇ! オレンジは似合うと思ってたんだぁ~」
「ひろちんもいいじゃん、その赤! 可愛すぎなくて、落ち着いてていい感じだよ」
一通り褒め合って、お互いの服を確かめるように触り、ふんふんと頷く。
そして何だか恥ずかしいね、とはにかんだ。
「そうだひろちん、今ね、華出さんが愛称で呼んでって言ってくれたんだ。なんて呼んだらいいと思う?」
「え。う~ん、華出哲男さんだから…『てっちゃん』!」
「却下。金田がテツで、あいつを思い出すからやめてくれ」
「じゃあ『オッちゃん』」
「殺すぞ、君」
マイナス100度の視線で、華出が紘乃を射抜く。
殺気に怯えて縮こまった紘乃の横で、智香がぽん、と手を打った。
「『ハナちゃん』、はどうですか? なんか可愛いと思ったんですけど」
「ハナちゃんか…」
口元に手をあて、思案するように華出は目を瞑った。そして笑みを浮かべて、智香の頭に優しく手を置く。
「いいよ、それで。…僕も君の事を、トモって呼んでもいいかな」
「…はい!」
気にいってくれたようで、嬉しい、と智香は思った。
華出という人間は、最初は単に高飛車ですましているだけだと思ってたけれど、案外気さくな部分もあるのだと感じられるのもまた幸せだった。
「さ、時間がないんですよね? 行きませんか、ハナちゃん」
「その呼び方はトモだけだ。君に呼ぶ権利をあげた覚えはない、峅原クン」
「がーん!!!」
…ちょっと、クセはあるようだが。
何はともあれ、こうして4人は買物を済ませたのであった。