15:00 会議室2
夜見る幻は悪いもので 朝祈る事が正しいのであれば。
果たしてどちらが辿る果てなのだろう。
幾億ばかりが想う事。
本当の事は 夜か 朝か。
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「…仍古谷智香、27歳です。職業はスーパーのチェッカーをしていて、今はサービスカウンターをしたり、シフトを作ったり、マネージャー業務を任されています」
「ええと、峅原紘乃です。26歳です。インテリアコーディネーターをしていて、提携先会社のお客様が購入される家具やファブリックのコーディネートを一緒に打ち合わせしています」
名前、年齢と現在の職業の内容をひとまず伝えてはみるものの、彼らは一向に良しとしてくれる気配がない。
日村や白戸、短髪天然パーマの男性…堀川は頷きながら聞いてくれているが、黒部の視線は冷たいまま。そして金田に至っては視線が空を流れる雲に向かっていて、興味が一切ないのが見て取れた。
「…それで?」
「…と、仰られますと?」
水嶋の問いに、紘乃が『必殺:社会人の問い返し』で答える。
「貴女達は、何が出来るのか、と黒部さんは聞いているのだから、出来る事を言うべきだと私は思うが」
「出来る事…」
「例えば語学だな。何ヶ国語出来る?」
「えっ。に、日本語だけです…」
二人は慌てて首を横に振った。英語なんて、学校では習ったが、会社で使えるくらいのレベルを話せるかどうかは別問題だ。
しかも、水嶋は『何ヶ国語』と聞いてきた。つまり少なくとも、日本以外で一ヶ国語以上は基本という事か。
黒部が呆れたように溜息をついたのが、また居た堪れない気持ちにさせる。
まぁまぁ、と白戸が優しく声をかけてくれた。
「そんなに脅かさなくてもいいじゃないですか、水嶋君も黒部さんも。彼女達が怖がってしまいます。お二人とも、そんなに難しく考えないで下さい。質問を変えましょう。お二人が得意とする事を…教えて下さい」
二人は顔を見合わせた。それなら簡単だ。
自分達が得意とする事は、これしかない。
「「笑顔は 得意です」」
声を合わせて、満面の笑みが一つ。いや、二つ。
8人の男に対して、それは向けられた。
一瞬にして変わる空気は確かなもので、僅かに目を見開いた黒部と佐野の弟は微かに笑い、外を見ていたはずの金田がちらりと視線を二人に寄せる。
堀川は顔を少し赤らめて、白戸は何か確信したものがあるように微笑む。
そして、破顔した日村が大きく頷いた。
「うん。可愛いな!」
「…日村君」
着物の皺を直しながら早乙女が窘めたが、彼もまんざらではないようだ。
切れ長の澄んだ瞳で智香を見ると、口元に笑みを刻む。
「そうして自然な笑顔が出来る事に関しては、女性の方が我々男性よりも秀でていると感じる。特に接客をやっている君達ならば…確かに得意とする所なのだろうな」
「…はいっ。どんな困ったお客様にもできますっ」
早乙女に対してもう一度、智香が笑みを向ける。
仕方のない娘だ、とでもいうように早乙女も笑った。
「なるほど。早乙女の言う通り、我々の中でそのような笑顔を作れる者は…いないのかもな。総帥がお前達を選抜した理由はそこにあるのか…」
「あー、でもよ。笑顔なら、峨人やハナイデも得意なんじゃねぇか?」
「…ふ」
「…なんだよ、凪人」
佐野の弟が小さく笑った事に、金田は睨みを利かせる。
「よく考えろ。峨人のはどう見ても、偽善だろう」
「…おいおい。あの笑顔がどんだけ会社に貢献してんのか、知ってんだろ?それを、実の弟が言うかね」
「実の弟だからだ。大体、あの男のはあんなに」
凪人は言いながら、紘乃を指差す。
自分?と、目をぱちくりとさせて小首を傾げた彼女に凪人は何かを続けようとしたが、その口は閉じられた。
「?」
「…いや、何でもない」
「あー、解った。あの女みてーに阿呆くさい笑顔じゃなく『作られてる』ってハナシか。まぁ峨人はそうかもしれねぇが。でもハナイデは心底の笑顔だろ?」
「自分を気に入ってくれる相手に対してだけですよ」
しれっと白戸が答える。
『阿呆くさい笑顔』の冠をもらった紘乃は、先ほどから皆が口にするその人物が気になっていた。
「白戸さん。ハナイデさんって、どういう方なのですか?女性ですか?」
「ああ、いえ。…彼は私と同期で、ハナイデテツオという男性です」
「鼻井出鉄男?強そうですね!」
そして、めっちゃゴツそう。
智香と紘乃の脳裏に、ムキムキの筋肉質の男が浮かび上がった。何故か小麦色の肌で、全身はオイルで塗られたようにピッカピカである。
そしてその想像上のハナイデが筋肉美を象徴するように、屈んだポーズを取った時。
「…あのな」
こつん、と二人の頭が叩かれた。
いつの間に部屋に入ってきていたのか、振り向くとフリルのついた薄い水色のワイシャツに、細身の黒のストレートパンツをはいた、スレンダーで美しい人物が立っていた。
猫の毛のように柔らかそうなハニーブラウンの髪の毛は横で一つに結ばれていて、まつ毛が長い事で瞳が一段と大きく見える。
ほのかに、薔薇の香水が鼻をくすぐってきた。
「華々しい『華』が出る、で華出。哲学の哲に、男で哲男だよ。…勝手にボディビルダー紛いの人間を想像しないでくれないかい? お嬢さん方」
「………え…」
「まさか…」
あんぐりと口を開けた智香と紘乃が白戸を向くと、彼はこくりと頷いた。
「彼が、華出君です」
「ぅええええっっ!!??」
「…君達、それでも女の子?」
雄叫びに眉を寄せた華出の後ろから、颯爽ともう一人の男性が現れる。
姿を確認した智香が、ひっと小さい叫びを漏らした。
「黒部、遅くなった…これで全員が揃ったというわけか? …おっと、可愛いお嬢さん。またお会いできて何よりだ。これも、運命かな?」
「あわわわわ…」
硬直していた智香の右手を取って挨拶代わりの小さいキスをしたのは、今度こそ間違える事のないロビーで会ったナルシスト…佐野峨人だ。
彼が黒部の横の空席に座るまでの間、智香は厄を振り払い落とすが如く、唇の当てられた手の甲を必死の形相で擦っていた。
紘乃の憐れみの瞳がイタイ。
「黒部、先ほど天宮総帥から連絡があった。どうやらこのお嬢さん方は我々の任務を知らないようだ」
「……そうか」
佐野の兄が黒部に向って耳打ちしているが、残念な事にそれは全員にしっかりと聴こえている。
わざとなのか、天然なのか。
「お嬢さん方すまなかったな。何の説明もない状況で驚いた事だろう。ここからは私達『マルスフ』の仕事を教えよう。これでもう心配はないぞ」
後光が差すくらいの笑顔で、佐野の兄…峨人が智香と紘乃を見つめてくる。
違う意味で心配な二人をよそに、今度は彼らの自己紹介が始まった。
この『世界』の中で、日本のあらゆる産業を手掛ける大企業。
天宮コンツェルンのMRSF=Marketing Research Secret Force こそ、この10人の男達だった。