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3/11

13:30 社員食堂

世界はきっと一つではない。


全ての人の中にそれぞれの世界があって


夜、ときおり見られるソレこそが


自分にとっての 本当の世界。


****************************************


スーツ姿。

ここが、会社というからには、その身なりは基本ではある。

しかし、点滅を繰り返しながら53階を目指すランプを見上げ、右手に持った燻銀のジッポーライターを、せわしなくカチンカチンと開け閉めしている目の前の銀髪男は、サラリーマンというにはあまりにもかけ離れた風情をしていた。


…ヤクザ…?

…まふぃあ…?


黒の上着は羽織る程度で、その下にはグレーのシャツを着ているのだが、腰からだらしなくはみ出している。こげ茶色の革靴が、やけに高価そうだと思わせた。

くああっ…と大きな欠伸を一つ、男がしたところで、エレベーターは53階に到着する。


ポーン…。


扉が音もなく開く。


奥にいた智香と紘乃は、この柄の悪そうな男が自分達のために『お先にどうぞ』と言うとは、当然だが思ってはいなかった。

だから男が先に扉を出た時も、何も考えずにそのまま後をついて出ようとしただけだった。


まさか、男が出る瞬間に1階と『閉まる』のボタンを素早く押すとは。


夢にも思っていなかった。


「あああっ!! ちょ!! 何するんですかっ」

「おー、俊足俊足」


慌てた智香が、『開ける』のボタンに飛びついて連打する。

危うく、また1階まで降下する所だ。

子供染みた嫌がらせをした男はニヤリと歯を見せて笑うと、そのまま『staff canteen』と書かれたプレートの下がった扉へと歩いて行った。


「くはー、なんかむっかつく!」

「よこさんの好きそうな顔してたけどねぇ」

「…え。わかった?」


言葉とは裏腹に、少し口元を緩ませている智香を、紘乃が呆れた顔で笑う。

行動は受け入れがたかったが、その鋭い目つきと細身の体格は、智香の好みとする所だ。

ロビーで会った佐野といい、この会社は顔は良いが変な男が多いのだろうか。

それにしても空腹にはたまらない、香ばしい匂いがこの階には漂っている。


「なんかちょっとしたレストランみたいだねぇ~、よこさん」

「うわ、ちょー美味しそうだよ」


先ほど、銀髪男が通った扉を二人も進む。

ステンレスカウンターの向こう側のキッチンでは、幾人かの調理人がいるようで、もくもくと湯気が立つ大釜が5つもあった。頭上のパネルにはメニュー写真が映っている。

ラーメン、本日の焼き魚定食、カレーといった定番料理と、その横にランチセット。

Aランチは豚肉のソテーで、Bランチはスズキのポワレ(新)とある。


「ポワレて。社食でポワレて…」

「どんだけ凄い会社…」


受付を交代した巻き毛の女性が言ってたお勧めランチは、間違いなくBなのだろう。

だが、肉に目のない二人は、迷わずAランチを選択する。


「すいません、Aランチを二つお願いします」

「おうっ」


注文をすると、キッチンの中から野太い声が返ってきた。ちらりと見ると、レスラーのように大きな身体の中年男がフライパンを握りしめた所だった。


「おっ?新しい女の子達か。良かったな。Aランチはもうすぐなくなるとこだったんだぞ」

「わー、そうなんですか。良かったぁ」

「はっはっは、いい笑顔だ。肉も残り少ないし、特別にお嬢さん方に多く盛って…そうだなぁ、今日のAランチはこれで終わりにしちま…」

宇治川(うしがわ)のオッサン、待ってくれっ!俺っ、俺もAランチで!」

「ふぎゃ!?」


突然現れた男性が、紘乃の横から厨房に叫ぶ。

慌てて走ってきたらしく、レイヤーの入ったうねりがある髪の毛が、少し乱れていた。


「あと…み…水…」

「水くらい自分で取れ、日村(ひむら)。はっはっは」


日村、と呼ばれた青年は、厨房との境のカウンターに手を置きながら肩を上下に揺らし、ぜーぜーと息を整えている。

なんとなく可哀想に思った紘乃は、そこにあったグラスにピッチャーから水を注ぎ、両手を添えて日村の前に差し出した。


「どうぞ?」

「え。ああ…」


小首を傾げた紘乃を、日村のまっすぐな視線が捉える。好青年というのはこういう人の事を言うのではないだろうか。彼は真紅のネクタイを少し緩めると、水滴の付いたグラスを受け取って一気に飲み干し、一息ついた。


「はー…助かった。ありがとう、ええと…その名前、何て読むんだ?」

「えっ?あ、くらはら、です」

「有難う、峅原さん」


今気付いたが、紘乃の着ている服の左胸には小さい長方形の名札がついていた。

太陽のような笑顔の日村が、もう一度、今度は自分で水を注ぎながら二人に話しかける。


「いやー、午前の仕事が思ったより長引いてさ…昼飯にありつけないかと思って焦ったんだよなー。…で、そっちの君は何て読むんだ?その名前」

「よこや、です」

「へえ。二人とも珍しい名字なんだな」

「よく言われます」

「おう、日村出来たぞ。そっちのお嬢さん方も…日村(とびこみ)のせいで、大盛りどころか肉がちょっと少なくなっちまったが…カンベンしてくれよ」

「あ、そんな全然。頂きます~」

「わー、美味しそう!」


厨房から、宇治川がランチプレートを3つ出してきた。

受け取ろうとした紘乃の横から、日村の腕がひょい、と飛び出す。

彼は自分の分を左手に、紘乃と智香の分のプレートを器用に右手に二つ乗せると、ウィンクをした。


「じゃあ、峅原さんに仍古谷さん。肉を少なくしてしまった代わりに、俺が席までお持ちします」

「…ぷっ」

「あははっ、宜しくお願いしまーす」


大股で歩く日村の後ろから、二人はちょこちょこと付いて行った。

食堂の窓は大きくて、明るい日差しが降り注いでいて気持ちがいい。

直射日光を避け、インテリアグリーンが映りこんでいる窓側の席に日村は決めたようだ。上に乗っている皿を滑らせないように、3つのプレートを綺麗にテーブルに並べた。


「初めて会うと思うんだが。新入社員…ってワケでもなさそうだよな?」

「えっ、そ、そうですね…まぁ新しいっちゃ新しいというか…なんというか…」


席に着いた日村は、小さく手を合わせていただきます、と呟くと、すぐに汁椀を口にする。

続いて豚肉を取り、白米と一緒に頬張った。

なんと説明しようか困った紘乃は、智香を見る。


どうしようか。

いきなり受付に座ってました、とか。通じるだろうか。

これは私達の夢の中なんです、とか。通じるだろうか。


それにしては、美味しそうな匂いがリアルだ。


「日村、食事中すまないが、少しいいか?」

「ん? おう、どうしたツカサ」

「会社では、水嶋と呼べと言っているだろう…」


智香と紘乃が困って顔を見合わせた時、日村に声をかける人物が現れた。

綺麗に前髪を分けていて、黒縁の眼鏡をかけた知的そうな男だ。左手にある書類の束が、食堂にまで仕事を持ち込むという真面目さを覗わせる。


「あー、二人とも悪い。ちょっと俺、席外すな」

「あ、はい」


間一髪、質問を乗り切る事が出来たようだ。

また聞かれるかもしれないが、回避方法は後で考えよう。


「まー、とりあえず食べようひろちん、いただきまーす!」

「いただきまあす!」


智香は手の平を合わせ、紘乃は指を組み祈る。

そして二人は豚肉に箸をつけた。






──ピーピピピピー…

──ちゃ~ららら~…


「………」

「………」


──ピーピピピピー…

──ちゃ~ららら~…


「……朝…?」

「……え…夢…?」


もそり、と掛け布団の中から紘乃が携帯に手を伸ばす。同時にベッドの下の智香も、自分の携帯を握りしめた。

表示された時刻は、7:00とある。

今日は休みなのに、昨日の夜は酔ってしまっていたので、いつも通りの起床時間のままにしていたようだ。


寝ぐせが爆発している紘乃は、ぼーっとしながら智香のいる方を向く。


「あのねぇ、よこさん。私、いい夢見てたの」

「うん…私も」

「しかも今、超イイ所だったの」

「私も」


もぞもぞと布団の中で動く智香は、全く起き上がる気配はない。

そうそう、だって今日はお休みだし。


「もういっかい行ってくるね。だって大事な事してないもん」

「…私も」



さあ、Aランチを食べに行こう。



こうして、二人はもう一度目を閉じたのだった。

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