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13:00 本社ロビー

音が聴こえる。


これは本当じゃないって。

早く気付いてって。


でも もう少し。


まだ もう少し。


****************************************


「えっと…あの?」

「どうした?」


目の前で首を少し傾けた男性に、紘乃は困惑した。


この人は誰だろう。

そして、ここは何処だろう。


むしろ、私は何をしているのだろう。


自分の記憶の限りでは、この会社に覚えはない。

勤めている会社の本社ではないし、営業先にもこのように立派なビルを持つ会社はなかったハズだ。

派遣を依頼されたわけでもなく、いやそれよりも隣に智香が一緒にいるのが、まず不思議だ。


ちらり、と智香を見ると相手も同じく、こちらに視線を向けていた。

そして、その瞳は明らかにこう語っている。


『ひろちん、この人、めっちゃ格好良いですけど!?』


…う、うん。

ソウダネ…。


智香の輝いた瞳に気圧されて、改めて目の前の男性を見上げる。

確かにその男の顔立ちは整っていた。


深い紺に、細いグレーのストライプが入ったスーツ。白いワイシャツのボタンは一番上まで閉じられていて、その太い首元には、蒼のネクタイが綺麗に結ばれている。

有酸素運動で鍛え上げられたかのような、しっかりとした体格を持つその男の身長は、ゆうに180cmを超えているだろう。

少し茶色味がかかった髪の毛は首筋で綺麗に揃えられていて、切れ長で物憂げな瞳が、口をぽかんと開けている二人の受付嬢を映していた。


「すまない。早く鍵を渡してくれると助かるのだが…」

「…かぎ?」

「そうだ、私の家の鍵だ」

「家の 鍵 ?」


なんで 私が アナタの家の鍵を?


彼氏でしたっけ?

と冗談を言おうかと思ったが、相手は至って真剣そうだ。

茶化している場合ではないなと紘乃が困った瞬間、隣の智香が足元にあるケースを見つけた。


「ひろち…峅原さん、これっ。これじゃない?なんか鍵がいっぱい入ってるっぽいですよ?」

「なんだ、新しい受付の者だったのか。ならば解らないのも仕方ないな。そうだ、そのケースの中にある、私の家の鍵を渡して欲しいのだ」


低く落ち着きのある声で、男は右手を紘乃の前に差し出してきた。


長い指だなぁ…と、紘乃はその大きな手を、ぼんやり見つめる。


「名前がいっぱいあるんですけど…」

「ああ、そうか。私は 佐野峨人(さのたかひと) だ」

「佐野…佐野… あのぅ、佐野さん二人いるんですが」

「山に我で、たかひと と読む方だが」

「あっ、こっちか」


機転の効く智香は、てきぱきと物事を進めていく。

白いケースの、佐野峨人と書かれたネームシールのある引出の中には、藍い革で出来た楕円のキーホルダーがあった。

その先には、銀色の鍵が付いている。


「これですよね?」

「ああ」


にこり、とお互いに笑みをたたえて、智香が佐野に鍵を差し出す。

受け渡しのその瞬間に、指先が少し触れた。


「あっ」

「おっと」


普段なら、特に意識することもない偶然の触れ合いなのだが、その瞬間、智香の右手に何か走る感覚があり、思わず鍵の束から手を離してしまった。

カウンターテーブルに落ちるその前に、佐野が素早く鍵を受け止める。


「すみません、佐野さ…」

「…ふ、私に見とれたかな? 有難う、お嬢さん」


軽く片目を瞑り、その男──佐野は、踵を返してガラスの自動扉の入口へ歩いて行った。

シャンデリアから反射された煌めく太陽光を受け、颯爽と風を切るように歩く姿は、老若男女問わず、見る者全てを魅了するかのようだ。


ああ、しかし。


「…残念だね…」

「うん…非常に残念な人だったね…」


佐野の大きな背中を見つめながら、智香と紘乃はぽつりと呟きあった。

いくら顔が格好良くて、身体つきが格好良くて、声が格好良くても、残念なところが目立っちゃう人間はいるものだ。

いや、逆に他が全部素敵すぎるから余計に悲しくなるというか。


「ナルシストは頂けないわ…めっちゃ好みだったけど」


ふうう~と智香が溜息を吐いた時、エレベーターの方からヒールで歩く音が聞こえてきた。

見ると、すらりとした美脚を持つ、これまたスタイルの良い茶髪の美女が2人、小さなバッグを抱えて近づいてくる。


「お疲れ様。悪いわね、先にお昼食べてきちゃって。あなた達もどうぞ」

「へ? はぁ…」

「新しく出来たランチ、すっごく美味しかったわよ~。ぜぇったいに、お勧め!」

「ほぇ? はぁ…」


凛とした雰囲気の女性が微笑み、智香の肩に手を置いた。

腰までの巻き毛を揺らす女性は、今食べてきたランチの魅力を、どうしても伝えたいらしく、紘乃の手をぎゅっと握りしめる。女性特有の、甘い香りが鼻をくすぐった。


「どうしたの?早く行かないと次の仕事に差し支えるんじゃない?食堂は53階よ」

「ランチタイム2時半までだから、気をつけてね~」


あれよあれよという間に受付カウンターを交代した紘乃と智香だったが、改めてその女性達を見るとその容姿に感嘆せざるを得なかった。

顔良し、スタイル抜群、仕草は優雅。実に申し分なし。これぞ、受付嬢。

対して自分達は。


顔…普通(寝起きは特にひどい)

スタイル…ダイエット必要(もう何年も必要としている)

仕草…大げさ(がさつともいわれますが、何か)


…考えると、なんだか実に居た堪れなくなってくる。

さっきまで、よくもあの大理石カウンターに座っていられたものだ。


「よこさん、とりあえず53階に…行ってみる?」

「そうだね」


二人の美女が出てきたエレベーターに目を向けて、何も分からないこの状況だけど、違う場所に行けば何か起こるかもしれないと期待を持つ。

あと、お腹が空いている。

エレベーターに乗り込むと、全面ガラス張りで出来ていて外が見えるようになっていた。

55階まであるうちの、53Fと印字されたボタンを押すとそれは淡く点灯し、ガラスの箱が即座に音もなく上昇していく。


ぼーっと外の景色を眺めていた紘乃が、ふと口を開いた。


「私ねぇ、一つ思ってる事があるんだ、よこさん」

「ん?」

「これはね…  夢なんだよ」

「…夢か!」

「そう、夢なのよ!!」


くわっ、とお互いに目を開きつつ、こくりと頷き合う。

そうだ、これは夢だ。だから、何だかふわふわするし、イイ男もイイ美女も登場しちゃうし、こんな大きな会社に勤めている(らしい)し。

夢だと解れば、怖いものなんてない。


「きっと、起きたら忘れちゃっているかもだし、楽しんだ方が得だと思うのっ」

「だよねっ。よーし、そうと決まれば…食べるよ、ひろちん!」

「お~うっ」


ポーン…。


智香と紘乃が小さくガッツポーズを取った瞬間、ガラスの箱が突然止まって、扉が静かに開いた。

一瞬53階に到着したのかと思ったのだが、階数ランプは44階を示している。

右こぶしを作ったままの、間抜けな状態の二人の前に、鋭い目つきを持つ銀髪の男が立っていた。

そして明らかな嘲笑を浮かべ、はき捨てるように小さく呟く。


「…アタマ、悪そーだな」

「っ…」


ずかずかとエレベーターに乗り込んできた男は、そのまま『閉』のボタンを押した。


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