07.対峙
黒髪黒目の少女はドラゴンに願う、「私を食べて下さい!」と。
何をぬかすんだこの童は、とも思ったが、どうやら少女は『死』を求めているようだ。ならば、痛みも感じないよう、一瞬でその命を終わらせてやろうと、ドラゴンは最大火力の魔法を放った。
───だが、少女は傷一つ負う事なく、生きていた。
生まれ持ってのスキルか、加護か、あるいは呪いか。だが、この世界に永遠等ない、原因を解明して、少女の望みを叶えるべく、少女とドラゴンは、共に旅を始める───。
「んと、あの山ハ……アレ?一応あれモ、セイクヒュレになるのカナ?リーダー、わたしじゃコの地図、分からナいよ」
「おい、ジュゼ。何で地図をアトラに渡してんだよ。これはイディクエサの方の字だからアトラじゃ分かんねぇだろが」
「そう言うな、シーク。セイクヒュレとちゃんと読めてるじゃないか。大丈夫だ、アトラ合ってるぞ」
地図をバサリと広げて見れば、仲間の二人がそれぞれにアトラに対して物を言う。
シークは冒険者の先輩として、文句を挟みつつ不器用ながらもアトラに物事を教え、ゾムザは厳格ながらも、アトラにはまるで孫のように優しく接している。
新人の冒険者を入れてみないか?と、ギルドの職員に紹介された時は、隣国出身、女性、年若い、と言う事も有り、上手く馴染めるか心配だったが……。三人の様子を見れば、中々良いパーティーになって来たんじゃないかと、パーティーリーダーを務めるジュゼは思う。
「ゾムザ、さっき飛んで行ったドラゴンは、遠目でも中々の大きさだったと思うんだが……どう思う?」
「形から見るに新代ではなさそうだったな……恐らく、古代龍だろうな。だが如何せん遠くて、何の、迄は分からんかったが」
「何の目的で、セイクヒュレ付近まで来たと思う?」
そう、パーティーメンバーの中で一番年長のゾムザに問うジュゼの顔は、真剣な物だった。
「──あの辺か、一応魔物も居るとは聞く……腹が減って、偶々狩り場をそこにしただけだと、俺は思いたいがな」
「住処を変える為……では、ないと?」
「竜種がわざわざあんな寒くなる所を、住処にするとは思えん」
確かに、竜種は一般的には寒い所を好まないと聞く。
未だゴロゴロと轟く雷雲を眺めるジュゼはその答えに納得したのか、緊張を解くように長く息をついた。
「──そう、だよな。ギルドには、カルクマスドからセイクヒュレ方面へ向かう上空に、古代龍を視認。念を期して移動の制限、もしくは護衛義務等を設けるように、と、報告してみるか」
「それがいいだろ。後の判断はギルドに任せりゃいい。それより、シークの言ったように早くここを離れよう。ビリビリした感覚が髭にまで来て、ぞわぞわするんだ」
目を閉じながら身体をブルりと一震えしてみれば、ジュゼも「確かに肌が、」と何とも言えない表情で、ピリつく肌を一撫でする。さっさと移動しようとシークとアトラに声を掛けようとし。ジュゼは、ようやくそこで、二人が場を離れているのに気づいた。
どうやらアトラが、草原に積み上がってる、白い物が何だか気になってしまったようだ。好奇心旺盛なのはいい事だが、勝手な行動は冒険者にとって命取りだ。追いかけたシークが、アトラを捕まえて引きずろうとしているが、アトラの力も強いのだろう、二人して膠着状態だった。
やれやれと思いつつ、シークへ助け舟を出す為、ジュゼとゾムザは、草原へ足を踏み入れた。
*****
どうしよう。
綿兎に埋もれている状態では逃げる事も叶わず、イーリスは綿兎の中で、「こっちに来ないで」と祈る事しか出来ずに居た。だが、そんな祈りも虚しく、冒険者が一人こちらに向かって来、一度は止まったと思ったが、気付けば全員こちらに向かって来ている。
女の人の声と、男の人と、後から来た人も男の人達で……。
四人──
その視線を思うだけで、イーリスの体は強張り、尚更動けなくなってしまう。
連れていかれた時を思えば、随分少ない人数だ。だが、人の視線に恐れを覚えてしまったイーリスにとって、例え一人だったとしても恐怖でしかない。
「────────ッ」
少女は迫りくる恐怖に怯え、今、唯一信頼できる者の名を、とても小さな声で呼ぶ。だが、無情にも、それと時同じくして、今一番の雷が、轟いた。
「こんのッアホアトラがッッッ!今の雷見たっだろ!さっさと、離れる、ぞッオ」
「でモ、アレ、わタ?兎でしょ?手持ちの食材少ナい、アんなに沢山いるナら二、三羽捕まえようよ。シークノ魔法で、ふわふわ~っテ」
「綿兎は警戒心強ぇから魔法に敏感なんだよっ、捕まえてぇなら追い込み式……じゃなくて!戻るぞ!!」
「……手伝いは要りそうか?シーク」
白い山が、怯えて固まった綿兎だと教えたのに、アトラの奴は今度は食料として捕まえておきたいと言い出した。
何でコイツはこんなに自由行動なんだ、パーティーの意味分かってんのか?ここは一度ジュゼとゾム爺にガツンと言ってもらわないと。
そんな事を考えながらも、懸命に連れ戻そうと引っ張ってたら、ゾム爺の方が先に着いてしまった。後方支援職とは言え、こうも連れ戻せないと言うのは、何とも情けない思いだ。
「あ、」
ゾム爺に声を掛けられ気が緩んだのか、腕を掴んでいた手が緩んでしまう。そこからアトラの腕がするりと離れてしまった。
「ほぁ?」
今までお互いが逆方向に力を入れていたのだ、釣り合うように張っていた糸が外れて、方向だけに力が流れたら、その後に何が起きるか何て大体想像が付く事だろう。
「………………ンン?」
派手に転ぶと思い、即座に受け身の体勢を取るアトラだったが、身体にはその様な衝撃は訪れず。その代わり、身体に感じたのは柔らかな風だった。
「あっぶね……」
どうやらシークが風魔法を使い、身体が地面に叩きつけられないようにしてくれたみたいだ。地面と自身の間にゴウゴウと薄緑色の風が渦巻いているのが見える。浮いていた足が、何事もなかったかのように再び地面に付くと、渦巻いていた薄緑色の風は、ブワリと霧散する。
だが、霧散したのは、どうやら風魔法だけではなかったようだ。少し前にあった綿兎の山もまた風魔法に反応してしまい、一斉に飛び去ってしまった。
滅多に見る事の出来ない光景に目を奪われていれば、飛び交う白の中で、黒く残る影に、アトラは気付いてしまった。
そこに居たのは一人の少女だった。全てを吞み込んでしまうような漆黒の長髪と、瞳を持つ、少女だった。
「黒────」
その特徴に対し、少し覚えのあったアトラは、自然と少女に向かって手を伸ばす。が、その伸ばされた手が、少女に届く事は叶わなかった。
それよりも早く、シークとゾムザが間に入り、アトラを後方に突き飛ばしたからだ。
「『厄災』のッッ……!」
そう、低い唸り声を絞り出したのは、果たしてどちらだったのだろうか。強い怒気を纏った二人の形相の方が印象に強く残り、アトラはそれ所ではなかったのだ。
「────石槍ッッ!!!」
「────風よ!その軌道に導を、」
アトラを後方に突き飛ばした直後、ゾムザは即座に土魔法を唱え、シークもまた、その魔法を強化し補助する為の祝詞を唱える。
「────ッ!ダメッッ!」
「待て!ゾムザ!シーク!!」
その行動に、アトラと駆け付けたジュゼが止めようと言葉を掛けるが、魔法を発動した後では、もう、手遅れだ。
無数に形成された石の槍が、風魔法で威力を増し、走り去る黒髪黒目の少女へと──降り注ぐ。
「──ッ後ろに下がれアトラ!!石壁!!」
次々と少女に向け放たれた石の槍は砕け、風に乗り、少し離れた二人の場所にまでも礫となって飛んでくる。ジュゼは即座にアトラの前に出て石壁を形成し、その後ろで魔法が止む時を待った。
少しして、ズドドと、地が抉れる音がようやく止んだ。
止まったか?
ジュゼはそろりと石壁から顔を出し、様子を伺うが、土煙が酷く、どうなっているかが分からない。鼻もスンと動かすが土と草の臭いの方が勝るのか、血生臭い物が全く感じられず、疑問を覚える。
自分は風魔法は持ち合わせていない、この煙の先がどうなっているのかを直ぐ確認する事は出来ない。アトラにはこの場に留まるように言い、二人の方へと足を進めると、ようやく強めの風が吹き上がり、重い土煙を飛ばしていった。
良かった、二人は何ともないようだな……。
土煙が薄れた先で、二人の姿を見つけほっと胸を撫降ろすが、ジュゼは同時にとてつもない違和感を覚えた。
何かがおかしい。
二人を見たその一瞬の景色の中に、違和感の物があると感覚が言っている。
再度ジュゼは顔を上げた、違和感の正体を確認する為に。
「────────なっ」
有り得ない物を見た。口からは絶句の言葉しか紡がれない。
生きている、黒髪黒目の少女が。
あれだけの攻撃を受けている筈なのに、怪我もなく平然と。
俺等ぐらいでは、傷も付けられないと言うのだろうか?『厄災の魔女』とは。
この状況に困惑したままでいると、厄災の魔女のその双眸と目が合ってしまった。
常闇を連想させるその黒さに、何とも言えない怖気と恐怖心が、ジュゼを襲い──咄嗟に腕が出てしまった、魔法を放とうとして。
今しがた、二人の魔法が効かなかったのを見たと言うのに。
だが、ジュゼは魔法を放つ事は出来なかった。
突如として降り注いだ、強力な威圧によって。
「っう、ぐ、」
ズジャリと片膝が地についてしまう。魔法を放とうとしていた腕もまた、降ろさずにはいられない。
ビリビリと上から降り注ぐ威圧、他の皆もこの威圧が耐えられないようで、地に伏し苦しそうな声を上げていた。一体何が起きてしまったんだと、何とか首を動かせば、上から落ちてくる影に気付く。
「──ッッ避けろぉおおおおッッッ」
降り注ぐ威圧に対抗しながら必死に叫んだ。俺の声が届き、上空の影に気づけたゾムザとシークが何とか魔法を使い、その場から離れようとする、が。
ドッッッッッ
「ぐぅッッ」
空から落ちて来たものは相当重く、その衝撃迄は避けきれなかったのか、シークが少し受け身に失敗し、草原の上を転がっていってしまった。
「ッ石壁!」
「──グッ、悪い、助かったジュゼ」
即座に石壁を出し、勢いよく転がるシークを受け止める。少し衝撃をくらってしまったようだが、あのまま転がり続けるよりは良いだろう。
「クソッ、魔女には攻撃が効かないし、今といい、何が起きてるってんだ」
「分からない。だが、とりあえず、上から降ってきたものはアレみたいだな」
ジュゼが顎で落ちてきたものを指す。ソレは白金色の長い毛に覆われていて何の動物かは検討が付かないが、デカいのは確かだ。
全長は五メートルは優に超えるのだろうか、よく見れば緩やかなカーブを描く角があり、落下の衝撃でか、方角は折れてしまっていた。
角の形と長さ、その生物の図体から、牛が連想されるが、このような種類は初めて見た。
だが、今はそんな事を気にしている暇はない。
一時的とは言え、動けなくなる程の威圧、そしてこんな巨大な生物を運べるものなんて……。
嫌な予感がする。そして残念な事に、その嫌な予感は、すぐさま答えとして、姿を現した。
「「「!!!!!」」」
再び、彼らを強い威圧が襲う。それは先程受けたものよりも更に強く、先の威圧がどれ程弱かったのかと思い知らされる。
呼吸は荒く、浅く、身体はガタガタと震え、全身から脂汗が吹き出しそうだった。今すぐにでも逃げ出したい、だが、身体はピクリとも動かず、それは許されない。
鎧がガチャガチャ、ガチャガチャと音を立てる中、バサリ、バサリと、風を巻きたてる音と風圧が近づく。
先程落とされた牛が、ミシミシと音を立て軋んだ。ドラゴンがそこに降り立ったからだ。
そして、次にゴギャリと嫌な音がした、ドラゴンが牛の骨でも折ったのだろう。
血の臭いも漂ってきた、ドラゴンの鋭い爪が、牛の身を割いたのだろう。
生きた心地がしない。いや、ここで終わるのだろう俺達は。
ドラゴンが唸り、口を開けば、その吐き出す空気だけで、その場の気温が上昇したように熱くなる。
ドラゴンブレスで殺そうとしてるのか、ハハハ、俺等はそんな上等な獲物じゃないだろう。
いまだ威圧で動けない、情けない身体。
もう、どうしよも出来ないと、既に諦めたジュゼは、そう笑ってその時を静かに待つ。
「────────………………?」
だが、いくら待てっもブレスは来ず、ドラゴンの口からは、重苦しい唸り声が上がるのみだった。