05.報告
黒髪黒目の少女はドラゴンに願う、「私を食べて下さい!」と。
何をぬかすんだこの童は、とも思ったが、どうやら少女は『死』を求めているようだ。ならば、痛みも感じないよう、一瞬でその命を終わらせてやろうと、ドラゴンは最大火力の魔法を放った。
───だが、少女は傷一つ負う事なく、生きていた。
生まれ持ってのスキルか、加護か、あるいは呪いか。だが、この世界に永遠等ない、原因を解明して、少女の望みを叶えるべく、少女とドラゴンは、共に旅を始める───。
イーリス、リカロスが出会い、旅立つ、その数刻前──。
イディクエサ国──北方、ウエドラン領、都市・ベルノベルン
ロヴァレンス公爵家────執務室
日は既に落ち、淡い乳白色とオレンジが混ざる暖かな色合いの灯りが、優しく室内を照らす。
そんなランプが灯る部屋の中、一人黙々と書類に目を通す男が居た。
ロヴァレンス公爵家当主、アイリニーヒ・ロヴァレンスである。
「…………」
執務机の両わきに積まれた書類、一枚、一枚にしっかりと目を通し、サインが必要な物には洩れが無いか確認する。そんな、規則正しく、かつ洗礼された動きは、外の騒めきにより、中断される事となる。
しとしとと小雨降る外では、「お待ち下さい!」、「お休みになって下さい!」等の、中々に切羽詰まった従者の声が響く。そして、その声に、「何事だ?!」と、屋敷内の従者も慌てて外へ飛び出して行き、数秒も経たずに屋敷内で、「お待ち下さい!」と言う、叫びが飛び交う。
「……戻ってきたか」
そう呟くと、書類を読むのを中断し、積まれている場に戻し、手にしていたペンを静かに置き、の、タイミングで、ノックも無しに、青年が部屋へと飛び込んできた。
「──ッ、申し訳ありません」
少し息を荒げながら室内へ入ってきた青年。その後方では、従者がかなり焦った様子でこちらを見ていたので、視線を送り、下がるように伝えた。
察した従者がゆっくりと扉を閉じるのを見送りつつ立ち上がり、青年の元まで近づき、その姿をしっかりと見た。
出立する前の時と比べ、その身体は随分と憔悴している様に感じた。
そもそも、こちらが想定していた日数よりも大分到着が早い。余程無茶をして、それこそ寝ずに馬を走らせてきたのかも知れない。
「…………」
そこまでの無茶をさせる為に、任務を任せた訳ではない。そう、冷えたため息が出そうになるのをグッと堪える。
この子はこの子なりに、そうするべきだと判断して行動した。それに、私の為に役立ちたいと思う気持ちが強いのも知っていた。今ではない、子を思って叱るのは。
今は────。
「──レッフェディオン、何が、あった」
アイリニーヒは静かに、息子であるレッフェディオンに問う。
「………………ッ」
レッフェディオンの視線は、上げられる事は無く、下を向いたままだった。だが、拳がギチリと音を立てるのを、アイリニーヒは聞き逃さなかった。
チラリと見た拳、その手もまた、アイリニーヒの記憶の中にあるものとは変わってしまっていた。たった今、強く握り締めたから、手綱をずっと強く握っていたからだけではない、不自然な拳の切れ、皮の捲れがやけに目に付いた。
アイリニーヒは、気づけばその左手を取っていた。痛ましいその手を、優しく包みながら、言葉が零れる。
「……私は、お前に随分と無茶をさせてしまったね」
その言葉に、レッフェディオンの顔が弾かれたかのように持ち上がる。その表情は、不安と喪失感と無力感と怒りが入り混じったような顔で。とても十六の青年がしていいような表情ではなかった。
そんな彼の瞳に、涙が滲む。
「──ッッ!違いますっ!!違うんです!僕が、至らなかったんです!お父様が警告だってしてくれていたのに……っ。僕は、お父様の十一年を無駄にして……ッッ」
レッフェディオンは左手を包み込んでいた父の左腕を縋るように掴んだ。アイリニーヒはその慟哭を、静かに聞き入れる。
「僕は、『厄災の魔女』を、あの子を、助けられなかった」
ポツリと、言葉を落とす。
「『厄災の魔女』だからなんだって言うんだ……あの子はッ──」
「レッフェディオン」
アイリニーヒはレッフェディオンが続けざまに言おうとした言葉を遮った、今の状態でその話をするのも、今この場所でその発言をするのも、良くはないと判断したからだ。
「詳細は、また後日に聞くとしよう。今はもう、身体を休ませることに専念しなさい」
「ですがッ僕は、まだ……」
「レッフェディオン……いや、レオン。魔力欠乏を短時間で繰り返すのは、危険な行為だと良く分かっているね?」
「ッ」
「……君の急いた気持も分からなくはない。だが、判断力も鈍っている時にこれ以上の話をしても意味が無い。どうか今は、私の言葉を受け入れて欲しい」
「────ッッ……はい、お父様」
相当の無理をしてこの場に来たのだ、その言葉を直ぐに受け入れるのは難しいいものだっただろう。
だが、レッフェディオンはその言葉に素直に頷き、張っていた気も解けたのか、次の瞬間────気絶した。
突如全身の力が抜け落ち、その全体重が縋りついていたアイリニーヒの腕へと集中するが、アイリニーヒは難なくそれを受け止め、そのまま流暢にレッフェディオンの身体を横抱きすると、重さを一切感じられない足取りで扉へと向かう。
「すまないが、扉を開けて貰えないか」
「は、ハイっ」
突如かけられた声に、廊下で待機していた従者が、慌て急ぎながら扉を開ける。そして、開けたその先の光景を見、更に慌てる事となる。
従者とちょっとした問答はあったが、アイリニーヒはレッフェディオンを慎重にレッフェディオンの自室へと運び、寝具に寝かせた。
本当なら暖かい食事に、暖かな湯を取らせ、衣服も変えたかったのだが……。
今は、規則正しく上がる呼吸音だけで満足する事にした。
「!……この感覚は」
そろそろ部屋を後にしようと足を踏み出した矢先、アイリニーヒは首根っこにピリ付く感覚を覚えた。クルリと室内を一周見渡し、窓側に置かれた机の上に、通信石が置かれているのに気づく。
通信石とは、遠くに居る者と会話する為開発された──携帯不可、固定限定の道具である。
が、中々に高額な為、結局の所、置かれている場所は裕福な家やギルド等に限られてしまっているというのが現状である品だ。
どうやら、ピリ付く感覚の出所はこれのようだ。
連絡を入れている相手はレオンに繋げたいようだが、その本人が出られない為に、親族の此方にも魔法の余波が少し飛んできてしまっている。
一般的に通信石は、連絡を入れている通信相手が出れないから、他者が代わって出る事が出来ない。それをするとなると、連絡を入れている側が一度切ってから、再度、違う相手を思い浮かべる必要がある。
詰まる所、通信石を使うには、片方が通信相手の顔を思い浮かべ、場所も指定しないといけないのである。
発売当時は、かけて来る相手が通信石に出るまで分からない。と言う中々にリスキーな物となっていたが、今は改良が進み、相手が指定した場所にいない場合はかからないと言うのと、連絡を入れた者の名前が通信石に表示される様になっている。
だが、それでもやはり、行き違いは有り、現在では各所のギルド支店場所と、支店場所の受付係りを模写した絵がセットで描かれた、"交信依頼帳”が発行しており、冒険者やギルド職員は、その依頼帳を基に、受付係に取次の連絡を入れる仕組となったのだ。
そんな通信石に近づいてみれば、石が発信者の名前を何度も薄緑色で表示しながら明滅していた。その映し出される名前を見、やはりと思ったアイリニーヒは即座にその通信に介入する。
一般的に通信石は他者は代わって出れない、だが、それは結局の所掛けてきた相手の検討はついても、相手の居場所までは分からない、だから折り返しの連絡が出来ない。と言うだけなので、互いに知り合いで、相手がどこから掛けているのかも当たってていれば可能なのだ。
名前だけを表示していた画面が切り替わり、ノイズを出しながらも──その相手が通信石に映し出され始めた。
『あ、やっと繋がった!良かった、ねぇ大丈夫?レオく────きゃぁあああああっっ?!!!お父様???!!!』
レッフェディオンに向け掛けていた筈なのに、自分の親が通信石に出るだなんて、全く予想しなかった展開に大いに慌てる。何なら今はかなりラフな格好をしているので、それを見られてしまった恥ずかしさで尚慌てた。
「落ち着きなさい、リーシェ」
『ごめんなさいお父様……お見苦しい姿で』
リーシェと呼ばれた女性、正確にはリリーシェ・ロヴァレンスは、肌の露出が高い寝着から、薄手のシーツにぐるぐる巻きの出で立ちで、再び通信石の前に姿を現した。
「レオンなら今は身体を休ませている、余程無理をしてきたようだった。リーシェ、君は何か知っているかい?」
そう聞かれたリーシェは大分戸惑っている様子だった。
それもそうだろう。
レオンが通信に出られない状態だと知っていたら、最初から通信石に連絡を入れようとは思わない。
『えっと……レオ君は、ロゾニクス公と複数の騎士団員と、モルテサオネ砂漠からイディクエサ王国に向かうルートを使うからって……』
「モルテサオネ砂漠か……」
『──お父様……レオ君は、大丈夫なの?』
モルテサオネ砂漠で何かが起きたのは確かだが──ジュタールが居たのだ、余程想定外な事が起きてしまったのだろうか?
答えにならない思考を巡らせていれば、大切な弟の事が気になるのだろう、リーシェが心配の声を上げる。
「本来なら、治癒魔法士を呼び、すぐにでも治療するのが望ましいのだが……。魔力欠乏を繰り返し起こし、その都度ポーションを飲んで誤魔化していたようだからな。安全を考え、自然療法で治す事にした」
『そう……なの……』
「リーシェの方は大丈夫なのかい?ブルートからセントトロン方面に向かう大橋が壊れたと耳にしたが」
『……大丈夫よ、お父様。親蜘蛛が突然出て、仕方なしで橋を壊しちゃったけど、私は、怪我の一つも無いわ!』
怪我や体調の有無を知りたかったのだが、どうやら橋を壊したのは自分の娘だったようだ。中々の戦闘威力を持っているようだが、私に似てしまったのだろうか?この事に喜ぶべきなのだろうか、しっかりと叱るべきなのだろうか?
心の中に住まう妻に、どうするべきか聞くも、「貴方は、優しいから」と、微笑まれて終わってしまう。
そんな事を考えていると、リーシェが通信石の無効で深く深呼吸をし、『うん、よし!』と声を張り、気持ちを入れ替える。
『橋の方は皆で協力して無事修復が済んだの!だから私も、明日からは無理しない程度に、でも全力で戻るから、「レオ君はそれまでに絶対良くなってるようにっ」て伝えて下さいね!お父様!』
気持ちを入れ替えたリリーシェは、何とも頼もしい事を言いと、こちらが返答をする前にブツリと通信を切ってしまう。
「こう言う切り替わりの良さは、私にではなく、ウルミラ、君に似たのだろうね」
切られた通信石は、先程のような薄緑色の光を放つのを止め、基の、薄透明な紫を、その身に宿すだけに留まる。再度静まり帰る寝室を見渡し、アイリニーヒはレッフェディオンの側へと寄ると、銀白色の髪を、さらりと撫でた。
「……君は、この子達の優しさは、私に似たのだと言ったが、やはり私は、君に似たのだと思うんだ」
誰も聞く者がいない部屋、だからこそ、アイリニーヒは己の内を溢す。
「優しいこの子達ならきっと──、私も、そう思うよ」
しとしとと降り続いていた雨は、いつの間にか止み、雲の切れ間から漏れた月明りが、部屋を薄明るく照らす。月明りに照らされたアイリニーヒの青みがかった銀白色の髪は、輝きを増し、藍玉色の瞳を持つ整った容姿が、より幻想的な魅力を際立たせる。
「探し物は見つかったんだ。まだ少し、時間は掛かってしまうけれど、全部終わらせて来るよ。でないと、君の願いも、無駄になってしまうから」