04.共に
ドラゴンのその言葉に、私の胸は、軋んだ。
イーリスは胸元を強く掴んだ。そうでもしないと溢れてしまいそうだったから。
「ああ、……そうだったな。すまん、これはワシの我儘だな」
「え?」
「これからをどうするかは、イーリス、お主が決めるべきだ。ワシに付き合わなくとも他の者に頼れば、もっといい解決方法があるかも知れん。死を求めていると言うのに、下手したら天寿を全うするまで許されないなど、お主にとっては苦痛でしかないだろう?」
「────あ、わ、ったし は、……私、は」
「然し、他と口にしてみたがワシより上位など、もう兄様か、ド腐れ爺婆蛇蜥蜴畜生しか────────」
きっと、私が黙ったまま胸元を抑えていたから、ドラゴンさんは勘違いをしてしまったのだ。言いたい事を言えずに、我慢しているのだと。
確かに、それ自体は間違っていない。けれど、私が我慢している事はドラゴンさんのせいではない。
怖いのだ、私は。
大切な物を守れる力何て、何も持っていないから。
失うのが。独りになってしまうのが、怖い。だから、言えずにいた。
こんな私を、拾って、育ててくれた人達が居た。愛を与えてくれる人達が居た。
他者に姿を見せないようにと、限られた世界で、小さな箱庭の中で生きて来た。
二人には、「不自由にさせてすまない」と、度々謝られていたが、私には十分だった。幸せだったから、幸せでいられたから、それ以上は、願わなかった。
けれど、幸せであったとしても、私の傍には、実感のない恐怖が、常に寄り添っていた。
私は、どの道崩れてしまうと分かっていたんだ、この幸せが。
この場所に残れなくとも、残っていても、『厄災の魔女』と、呼ばれる限り。
私は弱かった、力がなかった。だから、おじいちゃんとおばあちゃんをオッド―に任せて、捕まる事を選んだ。
予想外の狼の群れが襲ってきた時は、私がここに居なければ皆が助かる、そう、思って、崖から飛び降りた。
独り彷徨っている時は、何処かで魔物の影を探していた。『私なんて、いなくなった方が良いんだ』と、その時には、既にそう思ってしまっていたから。
ドラゴンさんに死を願ったのも『厄災の魔女』と言う、私を、終わらせたかったから。
そうして、私は今すぐ死ねないのだと知って、目の前が真っ暗になった。それじゃあ私はこれからずっと独りなの?と、忍び寄る孤独の寒さに恐怖した。
──けれど。けれど、ドラゴンさんが探すと言った。方法を探すって。終わりまで見届けるって。
そう、言ったんだ。
一度呼吸を整えてから、イーリスはジッとドラゴンを見つめた。何やらブツブツと独り言を言っては首を何度も傾げている。イーリスが見つめているのには気づいていなさそうだ。
「…………………………」
私は、『厄災』だ。
私は、人を不幸にする。人を傷つける。災いを引き起こす。
それは、きっとこのドラゴンにすらも。
けれど、彼は強い。長い年月を生きていて、圧倒的な力を有しているのに、それがこんな十年そこらしか生きていない、人間の子供に、傷の一つも付けれなかったと言うのに、愉快そうに笑ったのだから。
ドラゴンさんなら、受け止めてくれるかも知れない、こんな私でも。
そして、これから何が起こったとしても、このドラゴンさんなら乗り越えて行ってしまうような、────そんな気がした。
その予感は、まだ幼い少女故の思い上がりなのかも知れない。だが、『厄災の魔女』と言う運命を背負うイーリスにとってそれは、星の消えてしまった暗闇を彩る、新たな輝きに感じた。
「っド、ドラゴンさんッッッ!!!」
「──ム、ワシとした事が、少々物思いに耽っていたようだな」
大声なんて、今まで出した事何てなっかった。けれど、良かった。私は意外と、大声が出せるようだ。
「私っ、ドラゴンさんのお名前が!知りたいですっ!!」
長く生きているドラゴンには、たったそれだけの言葉で、全てを理解したらしい。強面の造りをしているその口角が、僅かに引き上がったのを、イーリスは見た。
「フム、そうだな。ワシはあちこちで様々な呼び名があるようだからなあ、だが、──リカロス。近しい者には、そう、呼ばれている」
「────リカロス」
ポツリと呟く位の声量でその名を呼んだ。
何故だろう、ここに辿り着く前にも私に関わってくれた人は名前を言ってくれて、あの時はこんなにも胸がむず痒くなるなんてなかったのに、どうしてリカロスの名前を呼ぶと、こんなにもそわそわと浮き立つ感じになるのだろう。
「???」
「フッ、クク、人にその名を呼ばれるなど、長い事生きてきて初めてだ!全く、未だ体験しなかった事がこうも立て続けに起こるのだ、面白い物だな、この世は」
「初めて……はゎ」
ドラゴンが初めてと言う何て、もしかしたら自分は、大それた事をしたのかも知れない。何だか少しだけ、肩身が狭くなった気分だ。
ああ、でも、それにも慣れなければ。
リカロスとは、きっと、長い付き合いになるのだから。
色々な事に胸をどぎまぎさせていると、リカロスがイーリスの服を器用に咥え、ぽーい、と宙に放り投げた。軽い身体は、そんなちょっとの動作でも良く、飛ぶ。
「へぷッ」
痛くはないが、顔面から着地したせいで反射的に情けない声を上げてしまった。だが、情けない声が出た理由はそれだけではない、やたら手触りの良い毛が、顔面を覆ったからである。
「落ちるでないぞ、イーリス」
「え?え、えッ」
ぐわんと、毛で覆われた地が揺れた。必死に目の前の毛を掴んで、その揺れに耐えようとして気付く、バサリ、バサリとドラゴンの翼がはためいているのを。
浮いっ。
そう思った時には、もう既に急上昇する体勢へと入っていた。そこからは風魔法でも使ったのか、瞬く間に空に居た。
「こんなに魔法を使ったのは久方ぶりで腹が減ってな!ここいらじゃ大型の魔物はおらんし、移動だ」
「お、落ちっ落ちっ~~~!」
リカロスが何か言っていたが、こちらはそれどころではない。死ぬ事は無いと言われては居るが……この高さとスピード、怖いものは、怖いのだ。
『ドラゴンの背中に乗って、空を飛ぶ』何て、誰もが夢見る、憧れの光景だったが、実際はそうではなかったようだ。
尚、この数秒後、イーリスは空に投げ出された。