02.痛みのない死を
『──私を、食べて下さいッ!』
つい、反射で暴言が飛び出てしまったが、今、この娘子はそう言った。
間違いであって欲しいと思う。だが、己を見上げる漆黒の双眸に迷いは見えず、噓偽りのない本心だと分かり、重たい溜息が吐き出そうになる。
「……娘子よ、ワシは、人は喰えん主義なのだ」
そう告げてやると、娘子は、「どうぞ、食べて下さい」とでも言うかの如く、両手を広げたままショックを受けた顔をし、「お願い……叶えるって……」と、今にも泣きそうな声で訴えてくる。
「すまんが、こればかりは譲れんでな。が、それが本当に願っている事であるならば、その願いを叶えられないワシは、口だけのホラ吹きドラゴンと言う、大変不名誉な称号を得てしまう訳だ。で、だ、娘子よ、ここは一つ、喰えとは言わず死だけを望むと言うのはどうだ?それなら、ワシは与えてやれるぞ」
その言葉を聞いた少女は、「ドラゴンさんは人の心が見えるんですか??」と、驚きの声を上げ、キラキラとした視線をドラゴンに向ける。
勿論そんな芸当、このドラゴンは持ち合わせていない。
少女が魔物すらも寄り付かない’’死の平野’’と呼ばれる場所を歩いていたのを見ているのだ、そんな場所を歩かねばならない理由など、大抵死を求めている者の行動だ、その考えに辿り着くのも無理のない事だろう。
「噛み砕かれ、胃液に溶かされていくだなんて、そんな痛くて残酷な死に方はしたくないだろう?安心しろ、ワシが痛みすら感じる間もなく一瞬で、無に、還してやる」
そう、言葉を言い終えるのと同時、ドラゴンはバサリと両翼広げ、頭上に複雑な魔法陣を描き始めた。
その、赤く発光する魔法陣は、頭上を起点とし、次々と同様の魔法陣を周囲に拡げていく。その拡がりは、少女の両の目でも収まりきらない程で、瞬く間に魔法陣は空を埋め尽くす。
「誇るがいい娘子よ。ワシの前に一人だけで立った者はお主だけだ。そして、この技を人一人に使うのも、お主が初めてだ」
赤く発光する魔法陣の輝きが、より一層増す。
そして、初めに展開された魔法陣の上に小さな火球が生まれ、大気が震えた。
その火球は大気から膨大な魔力を集めているのだろう、ゴウゴウと音を上げながら徐々に膨らんでいき、膨らみが増すごとに熱量も上がり、リリリと、空気が音を上げる。
────太陽だ。
日が落ち切ろうとしていた空に、今、まさに太陽が新たに姿を成そうとしている。
「凄い……」
少女の口からこぼれたのは、恐怖ではなく感嘆。
そして、逃げる事はせず、祈りをするかのように手を組み、只、静かに瞳を閉じた。
あの時とは、まるで逆だ。
少女のその姿を見たドラゴンは、ふと、昔を思い出した。
思い出したくもない記憶を。だがしかし、決して、忘れてはならない日の事を。
地を焼く程の熱量に恐れ、逃げ惑う人々を。
助けてくれと、死にたくないと、ひたすら懇願する人々を。
何もかも溶けて消えた、愚で哀れな小国の事を。
「……娘子よ、お主の名は?」
気づけば、そう、口にしていた。
「?」
死ぬ直前だと言うのにそんな事を聞かれた少女は、閉じていた目を再び開き、不思議そうに首を傾げた。
「覚えておかねばと思ってな。小さき、勇敢なる者の名を」
「!────イーリス」
驚きの後、自分の名を、力強く口にした黒髪黒眼の幼い少女は、何よりも美しかった。
「イーリスか、善き、名だ」
その言葉を最後に、空に描かれていた魔法陣が一斉に消える。そして、光り輝く白い火球がゆっくりと少女に向け、降下した────。
ドパリと、地面に接着した瞬間、火球が弾ける。
弾けた火球からは、赤白く発光する緩い粘液が溢れ、魔法陣が描かれた範囲まで、全てを巻き込みながら拡がっていく。赤白く発光するそれは決して水などでは無かったが、まるで一瞬にして湖が現れたかのように地を埋めた。
既に日は落ち、空は暗い。
だが、ドラゴンの佇むその地だけは、先の魔法により、明るく光を保ち続けている。その明るさは、ドラゴンの顔を、隻眼を見開く驚きの顔さえも、見える程に。