01.食べて下さい。
「ダメだッ!」
狼の群れを引き連れ懸命に走っている中、そんな悲痛な叫びが聞こえたような気がする。
聞き間違いだろうか?
獣の荒い息づかいと砂塵を巻き上げる程の足音の前では、その音を拾うのは困難に等しい。そして、それを確認する余裕が自分には無かった。
きっと、自分に都合の良い幻聴でも聞こえたのかも知れない。
それに、こんな私にそんな声を投げかけてくれる人が居るなら、尚更──私はここから離れなきゃいけない。
大丈夫、怖くない。こんな事より、もっと怖い事がある。
決心した少女はこれが最善だと思い多くの狼を引き連れ──崖から飛び降りた。
だが、少女は知らなかった。
飛び降りた先が、川であると言う事を。
*****
長い時間流されて、目を覚ましたら当然知らない場所にたどり着いていた。
これからどうすればいいか何て、行き場のない自身では見当もつかなくて。けれど、ずっとその場に留まる事も良いとは思えず、一人ふらふらと彷徨った。
長い時間、惑いながら、怯えながら、勾配のある森を懸命に歩いた。
何時しか、森だった場所はガラリと景色を変え、木々が枯れている平地に出る。
平地には魔物の姿は見えなかったが、あちらこちらに変わった色の水が貯まっていて、次第に地面は毒々しい色になっていった。
私は、その風景を不思議に思いつつも足を止める事無く、只、ひたすら前へ進み続けた。
それから、どれだけ歩いたか。毒々しかった平地が、黒くゴツゴツと歩きずらいものとなり、地から煙も湧き上がっている事に気付く。穴の開いている箇所を覗いて見れば、赤く光る水が流れているのが見えた。
「凄い……赤く光るお水何て、初めて見た。……ぅん?もしかして、これが本に書いてあった、“溶岩“って言うやつなのかな?」
無論、その問いに答えてくれるものは誰もいない。
「溶岩があるって事は、ここは火山地帯、なのかな?……場所、余計分からなくなっちゃった。……あそこの一番高い山から見渡せば、分かったりするのかな?」
そう思い、今、目に映る中で一番高い場所に向け、再び足を踏み出そうとした瞬間──まだ日は落ち切っていない筈なのに突如として夜が訪れた。
「……?」
何でだろう?と不思議に思って空を見上げれば、巨大な生物が空を飛んで行くのが見えた。
それは、少女が初めて目にする生物であった。が、彼女はその生物の名前を知っていた。大好きな本の中で度々目にするその生物を、一度でいいから見てみたいと夢見た生物を──。
「──ドラゴンだ」
『ドラゴン』そう呼ばれた生物は少女の声でも聞こえたのだろうか?既に遠くに行ってしまっていた筈なのにその身をクルリと旋回し、グングン高度を下げてこちらに向かってくる。
「わ、わわっ」
ドラゴンが目前迄迫る。そして、そのドラゴンが巻き起こす風に耐えきれなかった少女は、目を瞑りコロコロとその場を転がっていってしまう。
「──ん、しょっ」
風が落ち着いたと感じると、全身のバネを使いその身を起き上がらせ、目前に落ちる黒い影の主を驚きの顔で見上げた。
てっきり自分の真上を飛び去っていったのだと思っていたが、違かった。
ドラゴンは、少女の前に、その身を降ろしていたのだ。
美しく力強いその姿に、只々感嘆の声が上がる。
絵本や書物にその巨大さは書かれていたが……本当に山を見上げているみたいだ。
奥深い紫みのある赤い鱗、角は片方が少し欠けていたが艶のある赤黒く捻じれたもので、白い鬣には赤と紫のメッシュが入り、尾の毛もまた同様な色をしていた。
キラキラとした眼差しでドラゴンを見上げていれば、朝焼けを彷彿させる隻眼と、自分の目がバチリと合い──。
ビリビリと身体に響く程の声が、突如上から降ってきた。
「フハハハハハッッ!!!|死の平野を人間が歩いているなんて、何かの見間違いかと思っていたが……まだ生きていたとは!然も!それがこんな小さな娘子だと言うのだ!なんと面白き事かッ!!」
いきなりの力強い男性の声に、体を飛び上がらせる程驚いてしまった。
少女は知らなかったのだ、ドラゴンが喋るだなんて。
「フ──ム、まっこと、久方ぶりに面白いものを見た。お主余程強い毒耐性でも持ち合わせているのか?」
「?毒、耐性???」
「ぬ?自身に覚えが無いのか?……フム、そう言う事も、あるか。まぁいい。娘子よ、面白いものを見させてもらった礼だ、望みが在るなら言ってみろ。──ワシが、叶えてやる」
ドラゴンは少女に向かって、とんでもない事を言いだした。
いくら機嫌が良いとは言え、この大陸に住む生物の頂点と言われている竜種の、しかもドラゴンが、只の人間の少女に望みが在るなら聞こうだなんて、それこそ夢物語でしかありえない話だ。
「──のぞ、み?」
「簡単な話、『願い』だ。いくら幼いとは言え、一つや二つ願い事くらいあるだろう?まぁ、流石に月や太陽が欲しいとかはワシとて無理だが」
「ねがい……」
難しい事を言った覚えはないのだが、考え込んでいるのか、少女の動きが止まる。
余程難しい願いなのか?財宝なら有るが、国が欲しいと言ったらどうするか、……まぁ、そんな事を望むような娘子には見えんか。
「──えっと、じゃあ、あの、ドラゴンさん、」
そんな事を思っていると望む物が決まったのか、顔を上げた少女は何とも申し訳なさそうにしながら、だが臆する事無く、しっかりとドラゴンの瞳を見ながら、『願い』を口にした。
「──私を、食べて下さいッ!」
「はっはっは。なーにを抜かしてるんだ、この童は」